36 予定外の拉致4
「……はぁ」
ベッドに腰掛け、遥香は大きなため息をついた。
今、自分がいるのは、レオニスの王都の邸の一室。
天蓋付きのベッドに背を預け、窓の外をぼんやりと眺める。
サラの亡骸は王家に引き渡された。
事件は、公爵家と王家の関係を壊そうとする者の犯行――そう処理されたらしい。
男たちも、翌朝には死んでいた。
結局、犯人は全員死亡という形で、不可解な事件は幕を閉じた。
「……はぁ」
もう一度、ため息をつく。
ーーコンコン
ドアがノックされた。
「傷の具合はどうだ」
いつもの騎士服に身を包んだレオニスが、手袋をはめながら部屋に入ってきた。
「もう治りました」
ベッドに座ったまま、遥香は手を握ったり開いたりして、治ったことを証明する。
事件後、レオニスに「休め」と言われてから、ずっとこの部屋に押し込められている。
「無理はするな。まだ寝ていた方がいい」
レオニスは肩に手を添え、遥香をベッドに押し戻そうとする。
「本当にっ、もう大丈夫です!」
遥香は、レオニスの胸を両手でぐいぐい押し返しながらそう言った。
傷はもう癒えた。だが、それよりイザベルのことが気になって仕方がなかった。
(ずっと一緒だったサラが間者で、私も自分と間違われて誘拐されて……イザベル様は大丈夫なのかな)
俯きながら、遥香は考え込む。
「……はぁ、仕方ないな」
レオニスは遥香の様子を見て、ため息をつく。
ため息をつきたいのは、こっちだ。
一体あと何日ここに籠っていなければいけないのか。
怒りを込めてジロリとレオニスを見る。
「……公爵令嬢から、手紙が届いた」
レオニスがしぶしぶといった様子で、一通の手紙を遥香に差し出した。
厚手で滑らかな象牙色の紙。封には深紅の蝋が落とされ、家紋の印章がくっきりと押されている。
「ありがとうございます」
遥香は慌てて手紙を受け取った。
それに目を通すと、顔を上げてレオニスに尋ねる。
「少しだけ、出掛けてもいいですか?」
*****
遥香は公爵邸に来ていた。
無論、一人ではない。背後には三人の騎士が控えている。
執事に案内され、イザベルの部屋へ入ると
「遥香さんっ! ごめんなさい」
イザベルが泣きそうな顔で駆け寄り、頭を下げた。
遥香はそっとイザベルの肩に手を置き、体を支える。
「いいえ、イザベル様。レオニスさんに伝えてくれて、ありがとうございました」
イザベルが伝令を出してくれなければ、遥香はここにいられなかった。
(怖かった、だろうな……)
いつも父親に従順に従ってきたイザベルだ。
逆らうのは勇気がいったであろう。
「大丈夫ですよ」
泣くイザベルの背中を遥香は優しく撫でる。
どれくらい時間が経っただろうか。
落ち着いたイザベルと、二人は長椅子に腰掛けた。
「ところで、イザベル様。お加減はいかがですか?」
遥香は気になっていたことを尋ねる。
毒は遠ざけられ、もう治っているはずだ。
「ええ、お陰様で、目も見えるようになりましたし、手も治りました」
イザベルは微笑み、遥香に頭を下げた。
(良かった!)
遥香も微笑み返した。
「……あの、遥香さん。サラを知りませんか?」
イザベルが、少し躊躇いながら尋ねる。
「……え」
遥香は言葉を失った。
イザベルは、サラが何者であったのか、まだ知らないのだ。
「サラが、あの日以来いなくなってしまって……」
長いまつ毛を伏せ、イザベルは言った。
「………すみません。私、あの日のことは、あまり記憶になくて」
遥香は、優しい嘘をついた。
サラを信頼していたイザベルに、真実を伝えるのは酷だと思ったからだ。
「そうですよね。ごめんなさい」
イザベルは小さな声でそう言うと、この話題にはそれ以上触れなかった。
だが、遥香の胸にはまだ疑問が残っていた。
サラはトリカブトの根を口にし、絶命した。
粉末だけで十分なはずなのに、わざわざ根を添えて……。
まるで――サラが、自分に何かを示そうとしているかのようだった。
公爵邸の地下は、静まり返っていた。
光の差さぬ石造りの一室。そこには、いくつもの影が折り重なっている。
白衣は、一着ではなかった。
影のあいだに、乾いた赤が沈んでいる。
彼らが最後に何を言いかけたのか―― それを知る者は、もういない。
娘の病を、知りすぎた。それだけで、十分だった。
地上では、何事もなかったかのように、朝日が差している。
公爵邸を後にし、レオニスが用意した馬車に乗ろうとすると、横から声が掛かった。
「もう終わったのか」
レオニスだった。遥香の方へ歩み寄ってくる。
「レオニスさん、もしかして、迎えに来てくれたんですか?」
遥香は馬車にかけていた足を引っ込め、少しからかうように聞いた。
「ああ、心配だからな」
レオニスは何食わぬ涼しい顔でそう言った。
赤面したのは遥香の方だった。
レオニスは手を差し出し、遥香を馬車へとエスコートする。
続いて自分も乗り込み、御者が手綱を引いた。
ーーガタン、ゴトン
馬車が走り出す。
「そろそろ、ルーンヘルムに帰るか」
窓に肘をつき、外を見ながらレオニスが口を開く。
「はい!」
嬉しさのあまり、遥香は身を乗り出して返事した。
その様子に、レオニスはわずかに口角を上げる。
「あっ、レオニスさん。念の為聞きますが、帰りは馬車ですよね?」
大事なことだった。また馬に相乗りして密着するのは遥香の心臓の為にも良くない。
「いや、馬だが」
平然と言い放つレオニスに、遥香の笑顔は固まる。
「……えっ?」
「馬車では時間がかかりすぎる。馬の方が早い」
あまりに当然のように言うレオニスに、遥香は思わず眉を寄せる。
「そ、そんな……! あの距離を、またレオニスさんと一緒に乗って……ですか?」
「他にどう乗るつもりなんだ」
レオニスは淡々と返す。
(む、無理だ! 心臓がもたない……!)
必死に考え込む遥香を横目に、レオニスは馬車の揺れに合わせ、軽く指を組み直す。
「そんな顔をするな。馬だったら3日で戻れる」
「みみみ、3日!? 3日もですか!」
絶望的な表情を浮かべる遥香。
三日間も、あの距離で。
「馬車だったら、五日も一緒だが?」
遥香の表情を見て、レオニスは笑いを堪えながらそう言った。
遥香はぐっと口を閉じた。言い返すと余計にからかわれるのは経験上わかっている。
やがて、レオニスが表情を引き締めた。
「ルーンヘルムに戻っても、しばらくは側に居た方がいいだろうな」
「……っ、どうしてですか?!」
やっとこの美しい顔とおさらばできると思っていた遥香は声を上げて抗議する。
「今回の事件は、実行犯が判明しただけだ。黒幕は別にいるだろう」
腕を組み、険しい顔で外を見るレオニス。
遥香は教会で聞いた犯人の言葉を思い出す。
ーー上からの指示だ。
彼等は確かにそう言っていた。
「犯人について、他に覚えていることはないか?」
「うーん、そうですね……」
目隠しをされていたし、恐怖のあまり細かくは覚えていなかった。
「あ、そういえば、変わった匂いがしました」
犯人が遥香に手を掛けようと近づいた時に、独特な香りがしたことを思い出す。
ーーそれは、どこかピリッとした柑橘系の匂いだった。
「……その香りは、限られた場所でしか使われない」
レオニスの声が、低く沈む。
「面倒なことになったな」
馬車は、何も知らぬまま走り続けていた。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
サラのことや黒幕の存在など、まだ気になることも多いままですが、ひとまず事件は一区切りです。
第2章では舞台はルーンヘルムに戻り、新しい出来事が始まります。
遥香の薬師としての活躍や、レオニスとの関係も少しずつ進んでいく予定です。
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それでは、第2章もどうぞ宜しくお願いします!




