30 命懸けの婚活4
「イザベル様、昼食のお時間です」
サラがカートを押しながら近づいてきた。
遥香は、さぞ豪華な昼食が出てくるのだろうとワクワクしていた。しかし、目に飛び込んできたのは、スープとサラダだけだった。
「え、これだけですか!?」
あまりの簡素さに、思わず声を上げる。
「ええ、貴婦人たるもの、か弱くなくては!」
サラは胸を反らして得意げに、言葉を重ねた。
「淑女は、細く、儚く、守ってあげたくなる存在であるべきなのです!」
(いや、倒れるわ)
遥香は心の中で突っ込んだ。
しかし、イザベルはというと、慣れた手つきでそれを静かに口に運んでいた。
(それにしても、とんでもない)
貴族令嬢とはもっと優雅で、楽なものかと思っていた。
だが、そんなことを考えていた頃の無知な自分を殴ってやりたい。
令嬢の人生とはーー
まるで、命懸けの婚活だ。
「さてと、19時にお客様がお見えです。そろそろ準備をしましょう」
サラが手を叩き、遥香に告げる。
(いや、まだ15時だけど?)
心の中でツッコミを入れるも、現実はギリギリの時間だった。
二人がかりでコルセットを締め、化粧を施す。
終わる頃には、遥香は半分魂が抜けていた。
「つ、疲れた……」
ボロボロの遥香とは対照的に、ピンク色のドレスを纏ったイザベルは優雅に座っている。
「ああ、お美しいです! イザベル様!」
サラがうっとりと言った。
(確かに……)
青緑色のドレスも似合うが、このピンク色もイザベルの美貌を引き立てていた。
「今日は、いつもの青緑色じゃないんですね」
縋りついていた柱から、身を起こして遥香は言う。
「青緑色は今王都でとっても流行っているので、着る頻度が高いですが、イザベル様は何色でもお似合いになるので」
サラは、まるで自分の事かのように胸を張って言った。
今王都では青緑色が流行っているらしい。
高貴な方々は、こぞってこれを買い求め、身につけることがステータスの一種となっているようだ。
「さあ、イザベル様! 最後の仕上げですよ」
イザベルはサラに手を引かれて、鏡台の前に座った。サラは手に茶色の小瓶を持っている。
(まだあるのか……)
遥香がうんざりした目で、そちらを見る。
サラが瓶を逆さにすると、緑色の液体がイザベルの目に落ちそうになった。
「危ない!」
遥香は慌ててその手を掴んだ。液体が床にぽたりと落ちた。
「何をするんですか!」
サラが抗議の声を上げる。
「まだ目の不調の原因が分かっていないのに、危険です」
そう言うと、遥香はサラの手から瓶を取り上げた。
「でも、これをしないと目がぱっちりしませんよ」
サラは不服そうに口を尖らせる。
「目を、ぱっちり……?」
遥香は眉を顰める。
「これ、何なんですか?」
遥香は、瓶を覗き込んだ。
「ベラドンナですよ」
サラは何でもないように答える。
その名を聞いた瞬間、遥香の背筋が冷えた。
「……ベラドンナ?」
遥香の声が低く響いた。
「……? はい」
サラは不思議そうに首を傾げる。
「なんて、危険なことを……」
絞り出すように呟き、遥香は顔を上げた。
「これは毒です。瞳孔を無理に開かせる薬。失明……いや、最悪命も落としますよ!」
遥香が言い切ると、部屋の空気が凍りついた。
「……そ、そんな!」
サラの肩が小刻みに震える。
「で、でも、他のご令嬢達も……」
(他の令嬢たちもやってるの!?)
遥香は思わず眉間を押さえた。
なんて無茶なことを――。
「これ、どれくらい使ったんですか?」
遥香は瓶を掲げたまま、サラを見据える。
「あ、あの、それは、毎日……」
視線を泳がせながら、サラはかすれた声で答えた。
「毎日!?」
「……し、知らなかったんです。そんなに危険、だなんて」
サラは俯き、消え入りそうに続けた。
「なんてことを……」
遥香は静かに息を吐く。
しかし、これで合点がいった。
その時、
「ごめんなさい」
凛とした声が、部屋に落ちた。
イザベルだった。
「でも……お父様をがっかりさせるわけには、いかなくて」
その声には、どこか諦めに似た音が滲んでいた。
公爵は、娘の美貌を何よりの誇りとしている。
その期待に応えようと、彼女は――。
「もうしないわ……ごめんなさい」
イザベルは長いまつ毛を伏せたまま、もう一度、静かに頭を下げた。
その横顔は、どこか怯えているようにも見えた。
********
その後。
ベラドンナの点眼をやめると、イザベルの視界は日に日に回復していった。
腕のただれも、毎日の軟膏と保護のおかげで、化粧をすればほぼ目立たなくなっていた。
「よかった……なんとか間に合った」
遥香は胸に手を当て、深く息をついた。
社交界は今夜。これが終われば、ようやくお役御免だ。
(これで、ルーンヘルムに帰れる)
遥香は顔がにやけそうになるのを手で抑えた。
それからは、目が回るほどに忙しかった。
爪を磨き、香油を塗り込み、宝石を飾る。
綱引きのようにコルセットを締め上げると、ようやく終わった。
ぐったりする遥香に対し、イザベルはふんわりと青緑色のドレスを纏い、優雅に微笑んでいる。
「お美しい……!」
サラは手を合わせ、恍惚としている。
「旦那様が1年も前から注文していただけのことはありますね」
この日のために公爵が一年も前から準備した宮廷用ドレス。
青緑色にレースがあしらわれ、宝石付きの手袋までセットされた華やかな逸品だった。
社交会へは、母親である公爵夫人の他、体調面でサポートするようにと遥香も指名された。
(もう、ここまで来たら、とことん付き合おう)
もはや、諦めの境地である。
玄関へ降りると、公爵が現れた。
公爵は娘の姿を見た瞬間、満足そうに目を細めた。
「完璧だ。これなら誰の目にも恥じぬ」
公爵の視線が外れた瞬間、イザベルはわずかに息を吐いた。
目は治り、腕は回復した。
全てが解決したかと思った。
しかし、これで終わりではなかった。
ーーむしろ、始まりだった。




