29 命懸けの婚活3
翌朝。
廊下で顔を合わせたサラは、深々と頭を下げた。
「昨夜はありがとうございました……遥香さん」
昨日までは形式的だった声音が、今朝はどこか柔らかい。
「いえ……?」
遥香はサラの様子に首を傾げた。
サラは遥香ににっこり微笑むと、振り返って扉を叩いた。
「イザベル様、お目覚めですか?」
ドアを開けると、白いネグリジェを着たイザベルがベッドに座っていた。その姿は、寝起きでも清らかで美しい。
両手を覆う、青緑の手袋だけが妙に浮いて見えた。
「ああ、遥香さん! 来てくれたの?」
イザベルは笑顔で遥香に言う。その声は、昨夜より少しだけ明るかった。
サラがイザベルの手を引き、白い豪華な鏡台の前に座らせるとーー
もう一人の侍女が盆の上に、赤黒い何かを載せて持ってきた。
そして、イザベルの顔へ、それをペタリと貼り付けた。
辺りには、生温かい血の匂いがふわりと漂った。
「えっ、こ、これは?」
遥香は思わず声をあげる。
「パックです。鳥の内臓は肌を生き生きさせてくれるんですよ」
サラは真剣な表情で言う。今、貴族令嬢の間で大流行しているらしい。
(正気だろうか?)
遥香は目が飛び出るかと思った。
「イザベル様の美貌は知れ渡っています。旦那様からも励むよう仰せつかっておりますの!」
サラは胸を手でポンと叩いて言う。その姿は使命感に溢れていた。
(いや、もう……どこから突っ込めばいいのか、分からない)
遥香が頭を抱えているとーー
「サラ、遥香さんの言う通りにして」
イザベルが内臓パックを顔から外しながら言った。
「ですが……イザベル様」
「いいの。この方は、違うわ」
イザベルはゆっくり首を振ると、静かに顔を上げた。
「遥香さん、実は、これまでにも何人も医師が来たの」
(消えた医師達のことだ……)
遥香の胸が、ドクリと嫌な音を立てる。
「そ、それは……」
「けど、皆私の腕を見るなり顔色を変えて……っ」
イザベルは、そこまで言うと涙で言葉を詰まらせた。
「……“呪いだ”と申したのです」
イザベルの後ろで控えていたサラが、悔しそうに言葉を継いだ。
「治せない、と。そして――」
一瞬、サラは口を閉じた。
「医師達は皆、呪いが移る、と。関われば自分にまで災いが及ぶと、そう言ったのです」
サラは怒りで小刻みに震える手を握りしめた。
「……それで、お父様のご判断で、屋敷から去っていただきました」
イザベルは顔を覆ったまま、小さな声で呟いた。
遥香は一度、唇をキュッと結んだ。
「……それは、怖かったでしょうね」
その言葉は医師ではなく、イザベルへ向けられている。
「ですが、これは呪いなんかじゃありません」
遥香はきっぱりと言う。
「もちろん、移ることも、災いが及ぶこともありません」
そして、真っ直ぐイザベルの目を見て告げる。
「私は、逃げません」
遥香がそう言った瞬間、イザベルの目からは涙が溢れ出した。
「……っ!」
イザベルは嗚咽を漏らしながら、肩を震わせている。
「もう、大丈夫ですよ」
遥香はそっとイザベルの背中に手を添えて、言った。
「イザベル様……」
サラもその光景に涙ぐみ、手で目を拭おうとした。
するとーー
……ベチョリ。
その手から、内臓パックが滑り落ちた。
「……」
部屋は、時が止まったかのように静まりかえった。
遥香は、赤黒いそれを指先で拾い上げて言った。
「……とりあえず、これをなんとかしましょう」
********
「さてと、この世界に来てからお米って見たことないけど……」
遥香は厨房に行き、聞いてみる。
「これですか?」
さすがは公爵邸。
料理人は奥から白米を出してきた。
高価で貴重であるそれは、ここでは主食としてではなく香辛料として少量使われているらしい。
「あの、少し頂けませんか?」
その言葉に、料理人はサッと手を引っ込める。
負けじ、と遥香もその米を引っ張った。
料理人との米の引っ張り合いに勝利した遥香は、米を研いで、その研ぎ汁から白い沈殿物を取る。
"米の研ぎ汁パック"だ。
早速イザベルの顔にクリーム状のそれを塗り、5分ほどして洗い流す。
「ああ、あんなものを……! なんて恐ろしい」
遥香がイザベルに米ヌカを塗っている間、サラは一人頭を抱え、何やらぶつぶつ言っている。
「さぁ、出来ましたよ」
遥香は満足そうに言った。
イザベルの白くシミひとつない肌は、より白く輝いていた。
触れるとモチモチして、潤っていることが実感出来る。
「あら、まぁ……っ!」
サラは思わず感嘆の声をあげた。
3人が温かな白米の香りに包まれる一方で、
イザベルの体内では、“それ”が静かに蓄積していた。
王都に来てから、悪化した。
それは偶然か。
それともーー?




