28 命懸けの婚活2
イザベルへの挨拶を済ませた遥香は、東塔へ向かっていた。
(さっきの、何だったんだろ?)
遥香は、探るように手を伸ばしていたイザベルの様子を思い出す。
すると、
隣を歩くサラが静かに口を開いた。
「イザベル様の体調不良の件は……ごく一部の者しか知らないのです」
「ごく一部?」
遥香もつられて声を顰める。
「ええ……旦那様が縁談に差し障るから、と」
そう言うと、サラは眉を寄せた。
「イザベル様も、領地にいる時はお元気でした。でも、こちらに来られてから悪くなったのです」
「王都に……?」
ーー王都に来てから。
その言葉が、妙に耳に残った。
遥香は躊躇いがちに口を開いた。
「あの、さっきイザベル様の視線が……」
そこまで言うと、ピタリとサラの足が止まった。
「……気付かれましたか?」
サラは俯いたまま、低い声で問う。
「は、はい……」
遥香が小さく頷くと、手をグッと引かれた。
サラは遥香の耳元に口を寄せると、囁いた。
「その通り、イザベル様は、目が見えにくくなっていますわ」
「や、やっぱり……」
遥香は近すぎるその距離に戸惑いながらも、頷いた。
サラは少し離れて、続ける。
「最初は少し霞む程度だったのです。でも、日に日に、白いモヤが濃くなって」
「白いモヤですか……何か心当たりは?」
遥香は首を傾げた。
「全く、分かりません」
さらにサラは小声で続けた。
「それに……腕も腫れているんです。旦那様の指示で、手袋で隠しているので気づかれませんが……」
「なるほど」
あの美しい青緑の手袋は、腕のただれを隠すためのものだったようだ。
ーー目の霞みと皮膚の腫れ。
社交界まであと一ヶ月。
悠長に構えている時間はない。
(それに、消えた医師達も気になるけど……)
遥香はチラリと横目でサラを見た。
サラは前を見据え歩いていたが、ある扉の前で足を止めた。
「こちらが、薬師様の部屋です」
案内された部屋は狭かったが、一人部屋だった。
ベッドと机に、小さな窓がひとつ。
必要最低限の家具だけが置かれた質素な空間だったが、遥香にはそれで十分だった。
「疲れた……」
ベッドに荷物を置くと、疲れが一気に押し寄せた。
瞼が重く、眠気が襲ってくる。
(寝ちゃ、ダメだ……)
そう思ったのに、まるで意識が引きずり込まれるように、視界が暗くなった。
ーーコンコン
ドアを叩く音に、はっと目を覚ました。
窓からは薄い月明かりが漏れている。
いつの間にか、夜になっていた。
「夜分遅くに失礼します。イザベル様がお呼びです」
サラの声に、遥香は慌てて起き上がった。
(来た……っ)
御者の言葉を思い出す。
(消えた医師達も、こうして呼ばれたのかもしれない)
一抹の不安が胸をよぎった。
「でも、行くしかない!」
遥香は両頬を叩き、気合いを入れた。
サラに導かれてイザベルの部屋に入ると、ベッドに座るイザベルの姿が目に入った。
「これを見て下さる?」
イザベルは遥香に見せるように、ゆっくり青緑色の手袋を外した。
「……っ!」
遥香は息を呑んだ。
(これは、想像以上にひどい)
両肘から下は熱を帯びたように赤く腫れ、皮膚は裂け、滲んだ膿が乾いてこびりついていた。
(両腕とも? しかも対称的に……)
遥香は違和感に目を細めた。
「恐がらなくていいですよ」
遥香は慎重に傷に触れた。
触れられると痛むのか、イザベルは小さく息を漏らした。
「ねぇ、これをデビューまでに……治せますか?」
イザベルが顔を伏せたまま、問う。
サラはイザベルの後ろで静かに見守っていた。
「はい。皮膚が炎症を起こしているので、まずは炎症を抑えて、患部を保護しましょう」
遥香がはっきり言うと、イザベルがガバッと顔を上げた。
「治せるの……?」
「時間はかかりますが、治療を続けたら治ります。その間に原因を探っていきましょう」
遥香はイザベルを安心させるように笑顔で言った。
イザベルもサラも驚いたように、遥香を見つめている。
「……?」
遥香はその視線に首を傾げながらも、鞄を漁った。
(まずは、腫れを抑えなきゃ)
持参した薬草の中から、紫根を取り出す。
とても希少で高価らしいそれを、エルダが泣く泣く分けてくれたことを思い出す。
(……エルダさん、ごめんなさい)
両手を合わせると、それを勢いよくすり潰した。
潰した紫根をミツロウで練り固めたら軟膏の完成だ。
「少しだけ、薬を塗らせてくださいね」
鮮やかな紫の軟膏を、そっとイザベルの腕に塗り広げる。
夜の静けさの中、袖とシーツの擦れる音だけが響いた。
(やっぱり、これ左右差がほとんどない……)
感染症なら、左右で少しは差が出るはずだ。
だが、これではまるで鏡写しだ。
(接触性の皮膚炎?)
そう考えつつ、遥香は塗り終えた腕を白い布で包帯のように固定した。
これで美しい手袋を汚さず、肌も守れる。
「痛かったでしょう?」
ここまで腫れているのだ。その痛みは余程のものだろう。よく我慢したものだ、と遥香は感心した。
「……ええ、痛かったわ。とても」
イザベルは俯いたまま、小さい声でそう言った。
「ああ、やっと見つけた……」
そう言ったイザベルの目からは涙が一筋流れた。




