26 悲しき流行6
遥香は街から見える、小高い丘の上に立つ領主の居城にいた。
蝋燭を片手に地下への階段を降りる。
そこは薄暗く湿っていて、ひんやりとした空気が肌を撫でた。
石壁にはところどころ苔が生え、滴る水音だけが響いている。
階段の先、鉄格子越しに一人の女性の姿が見えた。
膝を抱えて座る化粧品店の店主――アリシアだった。
「……誰?」
アリシアは顔を上げずに、かすれた声で短くつぶやく。
「薬師の、遥香といいます。話がしたくて来ました」
遥香は小さく、そう返した。
“薬師”という言葉に反応したアリシアは、ゆっくり視線をこちらに向けた。
「薬師、ね……私の母も薬師だったの」
彼女はぽつりぽつりと身の上を話す。
「母はね、父の暴力に耐えきれず……ある日、父に毒を盛ったの」
アリシアは、そう言うとゆっくり目を瞑った。
「……そして、見つかって処刑された」
「……っ!」
遥香は息を呑んだ。
ーーぴちゃん、ぴちゃん
水音だけが牢獄に響く。
「それで、思ったの。母みたいな人を、薬で助けられないかって」
遥香は言葉を失った。
彼女は薬師としてやってはいけないことをした。
(でも……)
遥香は、鉄格子を握る手に力が入るのを感じた。
「時間です」
階段の上から騎士の声が響く。
レオニスの口添えで、特別に許可された面会だった。
遥香は薬師として、彼女と話してみたかった。
(もしかしたら、私も……)
時代が違えば、彼女と同じ轍を踏んでいたかもしれない。
そう思ったからだった。
*******
演習場に向かうと、騎士団が訓練しているのが見えた。
レオニスは一人の騎士相手に剣を振るっていた。
ーーカンッ
相手の剣が飛んだ。どうやら勝ったらしい。
遥香に気づいたレオニスは剣をしまいながら、歩み寄った。
「面会は終わったか?」
こくりと頷く遥香。
「……あの人は、どうなるんですか?」
「まず、死刑だろうな」
その言葉に息を飲む。
「だが、減刑を願い出ようかと思っている」
「減刑?」
「ああ。通れば、遠く離れた修道院で一生を過ごすことになるだろう」
今回の事件はレオニスも思うところがあったのだろう。
「良かった……」
思わず零れた言葉に、慌てて付け足す。
「あ、いえ、毒で人を殺すなんて許されないことです。でも、女性たちを救おうとしたことも事実で……」
「そうだな」
レオニスは静かに頷いた。
「……意見書を一つ提出した。女性の地位向上についての」
遠くを見る彼の横顔は真剣だった。
それが通るかどうかは分からない。
それでもーー
今日ここで上げられた声が、
どこか遠い未来で、誰かを救うこともあるのかもしれない。
演習場を吹き抜ける風が、冬の気配を含んで頬を撫でる。
その心地よさに目を閉じようとした
その時ーー
——ギンッ!
金属音がひときわ鋭く響いた。
顔を上げた瞬間、何かが空気を裂いてこちらへ飛んでくるのが見えた。
「下がれ!」
腕を掴まれ、ぐっと引き寄せられる。
レオニスの胸元に支えられながら、二人は後方へ身を引いた。
すぐ側の地面に、剣が突き刺さる鈍い音が響いた。
「……っ」
驚きで胸が跳ねた。
視界はレオニスの紺色の騎士服で埋め尽くされている。
息が乱れたまま、遥香はその腕の温度を近くに感じた。
「……大丈夫か?」
「は、はい、助けてくれて、ありがとうございます」
声が震えるのを自覚しながら、深く息をつく。
「気をつけろ」
レオニスは落ちた剣を確認し、訓練中の騎士たちに指示を飛ばした。
「怪我がなくて良かった」
淡々とした声だが、緊張の色が残っている。
遥香は頬に熱が集まるのを感じ、思わず手で覆った。
まだ残る鼓動の速さをごまかすように、深呼吸する。
「ひゃー!やるねぇ!副団長!」
「……ちょっ、ギルバートさんっ! 空気を読んでくださいよ!」
小隊長のギルバートとクリスだった。
他の騎士達も全員こちらを見ている。
レオニスはくるりと騎士たちに向き直り、低く命じる。
「訓練を続けろ」
そして、振り向き遥香に短く言った。
「送る」
「い、い、いえ。そんな……ご迷惑でしょうし、大丈夫です。お気になさらず」
両手を体の前で振り、恥ずかしさから遠慮しようと後ずさる。
レオニスは遥香に一歩だけ近づいた。
影が落ち、彼の気配が少し濃くなる。
「迷惑では、ない」
はっきりと言い切る低い声。
歩き出したレオニスの背中は、いつもと同じ筈なのに、胸の奥がじわりと揺れた。
(心臓がもたない)
遥香は小さく息をつき、その後ろにそっとついていった。
夕暮れの光が城壁を赤く染める。
伸びた影は、並んで揺れていた。




