25 悲しき流行5
(早く! 早くっ! レオニスさんに……!)
広場に出た。
だが、今日に限って、レオニスの姿が見えない。
例の化粧品店には、また女性達が列を成しているのが見えた。
「遥香」
背後から聞き慣れた声。
「レオニスさん!!」
息を切らして駆け寄る遥香に、レオニスは眉を寄せた。
「どうした?」
「インフルエンザの原因は、毒です! あの店の化粧水です」
言い終える前に、レオニスの表情が固まった。
「……分かった」
レオニスは一瞬だけ目を伏せた。
すぐに騎士団が招集され、店は包囲された。
レオニスは、騎士団の紋章を見せ、静かながら鋭い声で告げる。
「毒物混入の疑いがある。店内を改める」
レオニスがそう告げると、騎士団が一斉に店に突入した。
棚に並んだ無数の化粧水。
瓶に貼られた天使のラベルは、美しく微笑んでいた。
それは、まるで、何かを嘲笑うかのように。
「きゃあああ!……なに!?」
客の女性達は突然の出来事にざわめき、恐怖と混乱で出口へと押し寄せてきた。
ついに、女性店主が騎士の手によって捕縛された。
両腕を押さえつけられた彼女は、震える唇を強く噛みしめ、視線を床に落としている。
逃げ場は、もうどこにもなかった。
「化粧水を作ったのはお前か?」
レオニスが一歩前に出て、静かに問いかける。
その声は低く、感情を抑えたものだった。
店主は俯き、沈黙したまま何も言葉を発さない。
「………城に連れて行け」
レオニスが騎士にそう指示すると、
「……ええ、ええそうよ! 私が毒を作った!」
女店主が、弾かれたように顔を上げた。
「なぜ、そんなことをした」
レオニスは感情を交えず、ただ事実を求めるように問いかける。
「女性達を解放するためよ!!」
涙を流しながら、店主は叫んだ。
「……解放?」
「そうよ! じゃあ、どうすれば良かったの!?」
堰を切ったように、言葉が溢れ出す。
「毎日暴力を振るわれて、我慢して……私達はいつまで我慢すればいいの!?」
肩で荒く息をしながら、彼女は続ける。
その叫びに、店中が息を飲んだ。
「だから私は作ったのよ! あの地獄から逃げ出す為の、唯一の手段を……っ!!」
店主は、店内にいた女性たちを見渡す。
「仕方がないじゃない!! こうでもしなきゃ……誰が、私たちを守ってくれるって言うの!?」
遥香の胸が、ぎゅっと締めつけられた。
「男達から本当に解放されるには、こうするしかなかったのよ……」
それは、誰かに向けた言葉ではなく、自分自身に言い聞かせるような、か細い呟きだった。
――店内は、静まり返っていた。
誰も、反論できなかった。
客として居合わせた女性達は、店主の言葉にただ静かに涙を流していた。
(それでもーー)
声にならなかった悲痛な叫びが、遥香の耳には確かに届いていた。
「仕方ないじゃない……」
ボソボソと呟く店主は騎士に付き添われ、城へと連行されていく。
その場に残された女性たちは、力が抜けたように地面へと崩れ落ち、泣き伏した。
遥香は、その光景から目を逸らすことができなかった。
「心配するな」
馬上から、レオニスが遥香に声をかける。
「店主はともかく……購入した女性たちまで、厳しく罰することはしない」
遥香は、静かに頷いた。
「この事件は、毒だけの問題じゃない。この国、そのものの問題だ」
レオニスの後ろ姿は夕陽に照らされ、橙色に溶けそうだった。
馬の手綱を握るその手は、強く――強く、握りしめられていた。
******
遥香は解毒薬を完成させ、ハンスと共に“インフルエンザ”と診断されていた患者たちへ配っていく。
「早く……早く、くれ!!」
「いや、俺が先だ!!」
列を成していた男たちは、我先にと手を伸ばす。
焦りと恐怖に歪んだ顔が、そこかしこに並んでいた。
「くそっ……あの女ども……!」
解毒薬を受け取った男が、憎悪を込めて吐き捨てる。
周囲の男たちも、同意するように怒声を上げた。
殺されかけたのだ。
彼らが怒るのも、無理はない。
それでも遥香の胸には、別の問いが浮かんでいた。
(……でも)
毒を盛られるまで、彼女たちを追い詰めたものは何だったのか。
そこに目を向けなければ、何も終わらないのではないか。
遥香は、ざわめく男たちを見つめながら、静かにそう思った。
「よし、遥香くん。行こうか」
鞄を手にしたハンスが声をかける。
次は重症患者の往診だった。
街の広場を抜け、石造りの家の前に立つ。
ハンスがドアをノックすると、目を赤く腫らしたリズが姿を現した。
「……先生」
室内のベッドには、リズの夫が横たわっていた。一命は取り留めたものの、起き上がることすらできない状態だった。
(解毒剤は、ちゃんと飲ませているけど)
回復には、まだまだ時間がかかるだろう。
「……遥香さん、ありがとう」
ぽつりと、リズが言った。
彼女は、かつて自分の手で殺そうとした夫の側に残り、看病を続けていた。
それが罪悪感からなのか、愛なのか、
遥香には、分からなかった。
だが、リズはそれを“選んだ”のだ。
また、彼女の夫もそれを望んだ。
******
その後。
レオニス率いる騎士団の調査により、事件の全貌は明るみに出た。
化粧水は、暴力を受ける女性たちの間で、密やかに口伝えで広まっていた。
それは表向きの販売記録はなく、独自のルートで手渡されていた。
その毒は遅効性で、飲まされた者は徐々に衰弱し、病気と見分けがつかない。
そして――女達は疑われぬよう、懸命に看病していた。
遥香は、これまでに見た光景を思い出す。
夫の死に、泣き崩れていた女性たちの姿。
(あれ、全部演技だったの……?)
――いや。
きっと、本物の涙も混じっていたのだろう。
夫を殺してしまったという、消えない罪悪感。
そして、もう暴力を受けなくていいという、耐えがたいほどの安堵。
それらが絡み合った、複雑で、救いのない涙。
遥香は、静かに目を伏せた。
この事件は終わった。
だが――
女性達が抱える問題は、まだ何一つ、解決していない。




