記録10-3 ダンジョンの移動宿
私はドアを開け、営業用のスマイルを浮かべた。
「どうされましたか?」
カティアは半信半疑といった様子で私を見上げ、問いかけてくる。
「……メニューにあるもの、本当にすべて用意できるのですか?」
「ええ、基本的には。ただ、環境の制約がありますので、品質は及格点(赤点ではない程度)とお考えください。洗練されたサービスとはいきませんが、簡易版としてなら保証しますよ」
カティアはしばらく逡巡した後、意を決して注文を口にした。
「……人数分の宿泊施設をお願いします」
「かしこまりました」
空いたスペースを見定め、指をパチンと鳴らす。
次の瞬間、外観の整ったログハウスが唐突に出現した。内部は清潔そのもので、カティアたちの人数に合わせた寝具、収納棚、小ぶりな机と椅子、そして暖を取るための暖炉と薪まで完備されている。
当たり前のように建造物を取り出す私の挙動は、彼女たちの目には造物主の神業か何かに映っているようだった。彼女たちの常識では、魔法によるアイテムボックスの空間拡張は、消費魔力量と正比例する。
一般的な魔導師が空間を八立方メートル――馬車の荷台程度まで広げるだけでも、維持する魔力は相当な負担になる。ましてや倉庫クラスともなれば、一流の術者でも根を上げるレベルだ。
だというのに、目の前の男は基礎材を除いても、すでに二棟のログハウスを現出させている。
「……これ、一体どんな魔法なの……?」
衛士の一人が思わず呟いた。
「魔法ではありませんよ。このギフトに目覚めた私は、魔法というものが一切使えませんから」
呟きを聞かれた衛士は、慌てて口を塞ぎ、申し訳なさそうに俯いた。
すると、他の衛士たちがカティアを突き動かすようにざわめき始める。
「隊長、あれ、あれを……!」
「ええと……メニューにある『温泉』。それも、可能なのですか?」
おっと、それは最も高価なオプションの一つだ。
通常の入浴プランがないわけではないが、温泉のような純粋な娯楽プランは、本来私とレシーナが個人的に楽しむためのものだ。過酷な任務中の冒険者なら、数日風呂に入れないことなど日常茶飯事だろう。
メニューに載せているのは、どうせ自分たちが使うついでに売ればいいという、単なる「ついで」に過ぎない。
まさか、あの金額を見てなお利用しようとする者が現れるとは。流石はエルフ族、懐の深さが違う。
「ありますが、価格は相応ですよ……。本当に、よろしいのですか?」
カティアは黙り込んだが、他の衛士たちは狂おしいほどの勢いで首を縦に振った。
「分かりました。ただ、君たちが想像しているものとは少し勝手が違うかもしれない。まずは内容を見てから決めてくれ」
指を鳴らすと、三棟目のログハウスが現れた。前の二つとは違い、石造りの強固な基礎の上に建てられている。浴槽を掘り込み、そこに温泉水を溜めるための仕様だ。
中に案内すると、白濁した湯気と共に温泉特有の硫黄の香りが鼻を突く。
「源泉かけ流しとはいかないが、魔石で常に適温に加熱されるようになっている。これでも構わないか?」
返事の代わりに返ってきたのは、もはや信仰に近い熱を帯びた頷きだった。風呂に入りたい、まともに洗いたいという彼女たちの欲望は、もはや狂気と言っていい。
「隣には上がり湯用の清潔な真水、それとサウナ室も併設してある。……他に何か要望は――」
言いかけた私の言葉は、獲物を狙う猛獣のような彼女たちの気勢に遮られた。
泥と汗にまみれた彼女たちの瞳には、「さっさと出ていけ」という剥き出しの欲望が宿っている。その圧倒的な圧力に押され、私は苦笑いを浮かべながら一歩ずつ後退し、入り口まで下がった。
「……では、ごゆっくり。何かあれば隣の家まで――」
言いかけた私の言葉を遮るように、泥に汚れた白皙の手がドアへと叩きつけられた。
普段は礼儀正しく、何事にも優雅さを求める衛士長カティア。だが、今の彼女の瞳には、ある種の恐ろしい「狂熱」が宿っている。
彼女は私の話を聞く気など微塵もないようだった。その「邪魔者は消えろ」と言わんばかりの決然とした意志は、すぐさま行動へと移される――。
バンッ!!
私の鼻先一センチという至近距離で、ドアが暴力的な勢いで閉ざされた。鼻柱を叩き折られそうになり、私は数秒ほど呆然と立ち尽くす。
すると、ドアの向こうから急いで鎧を脱ぎ捨てるような音が聞こえ、続いて驚くほどの勢いで「ドボン!」「ドボン!」と景気のいい音が響き渡った。
(……水餃子でも放り込むような急ぎようだな)
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