表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冒険者ギルドの記録員  作者: 六花葵
第一巻
31/36

記録10-2 文明の窓灯りと、扉を叩く音

あたりが暗くなり始めたが、隊列は沈黙を保ったまま前進を続けていた。唯一、背後の馬車からはレシーナとルミエルの話し声が聞こえてくる。会話の頻度から察するに、二人の仲はそれほど悪くないようだ。


 この階層は果てが見えないほど広い。「レガシーダンジョン」は自然発生したダンジョンとは異なり、先人による探索記録や地図が存在しない。前者は一度探索されれば霧散するが、後者はそのまま残り続けるからだ。


 つまり、カティア自身もこの階層のルートを知らないはずだった。


 レガシーダンジョンの形成過程は、その主となった人物と密接に関係している。ここは、その人物の「心象風景」が投影された世界だ。もしこのダンジョンに攻略情報があるとすれば、それはその人物が生前に残したあらゆる記録に他ならない。


 一行の中で最もグレーヴンという人物に詳しいはずのルミエルも、今のところはお手上げの様子だった。彼女が知るグレーヴンの経歴には、このような情景に繋がる物語は存在しないという。


 カティアは決して無目的に歩いているわけではなかった。エルフの衛士長として、彼女は微かな緑光を放つ「森の指針」を手にし、時折腰を落としては沼地に点在する枯れ木の成長方向を観察し、魔力の流れから活路を見出そうとしていた。


 しかし、自然の感覚を頼りにしても、エルフ族の秘宝を用いても、返ってくる結果は彼女を焦らせるばかりだった。ここの空間は何らかの歪んだ執念によって無理やり捻じ曲げられており、本来導きとなるはずの指針は、何の反応も示さない。


 あらゆる手段を尽くしても壁にぶつかる挫折感。高潔なエルフが泥塗れになって狼狽する姿は、見ていて痛々しいほどだった。彼女はただ奥歯を噛み締め、勝機のない手探りの探索を続けるしかなかった。


 馬車の中で茶を啜るルミエルも、その眉を僅かに潜めていた。


「おかしいわね……」


 彼女は車窓越しに、死の静寂に包まれた腐臭漂う沼地を見つめ、低く呟く。


「グレーヴンの爺様は、偏執的で傍若無人な性格だったけれど、それでもエルフの一族だわ。種族としての本能に従えば、美しく自然豊かな景色を好むはず。秩序もなく、腐敗しきったこの泥濘は、一体どのような心境の変化があれば現れるというのかしら?」


 その強烈な違和感に、彼女は思わず茶器を置いた。このレガシーダンジョンの核心には、グレーヴンが生前にひた隠しにしていた「闇」が潜んでいるようだった。


 やがて、光が失われ前方の人影が辛うじて視認できる程度になった頃、隊列が止まった。


「全員、ここで休整とする。明日の夜明けに再び出発だ」


 指針もなく、方向も分からず、目標すら見えない行軍を一日中続けることは、想像を絶する消耗を強いる。特に指揮官の精神的な緊張は、カティアの表情に色濃く滲み出ていた。


 今、彼女たちに最も必要なのは、まともな休息環境だ。


 だが、この地形がそれを阻む。エルフたちが携行しているテントは、ここでは全く役に立たない。一日歩き通して分かったが、ここはどこまでも泥濘の地だ。テントがどれほど華美で快適な構造をしていようと、設置した瞬間に泥に沈み、内部まで泥漿に塗れるだろう。


 その窮地を察したカティアが、私の後ろにある馬車へ視線を送った。金を払ってでも、馬車の中で一夜を過ごしたいと考えたのだろう。


 私はその困惑を見逃さず、口角に不敵な笑みを浮かべた。


(ふふん、悪徳商人レストの出番だな)


 まず、私は適当な場所に物を放り出すような真似はしない。


 選定した区域に広範囲のアイテムボックスの「開口」を展開し、ポンプのように地表下三メートルまでの腐った泥水を一瞬で吸い上げた。続いて、あらかじめ貯蔵しておいた大量の乾燥砕石を流し込み、圧密していく。


「基礎こそが、建築の魂だからな」


 独り言をこぼしながら、地層の安定を確認する。それから、丁寧に研磨された巨大な石板を一枚ずつ敷き詰めていった。一瞬のうちに、この腐臭漂う沼地の中心に、ホテルのロビーのごとく平坦で乾燥し、強固な人工の空地が出現した。


 そして、ログハウスの前にサービス項目を記したメニュー表を立てかける。


「この泥濘ではテントを張るのも一苦労だろう? この石板の土台は福利厚生として、無料で開放してやるよ」


 私はカティアに向かって、鷹揚な笑みを浮かべた。そう、石板は無料だ。だが、この薄暗く、悪臭が立ち込め、寒気が骨身に染みる沼地の夜、ただ乾いた地面があるだけでは到底足りないのだ。


 私はログハウスの中に入ると、背後でドアの鍵をカチリと閉め、屋内の暖色系照明と全温風システムを起動した。


 ロックが掛かる軽い音とともに、壁際の吹き出し口からは乾燥した木材の香りを孕んだ熱風が吹き出す。この薄暗く、湿り、腐臭の漂う沼地の中心に、私は「文明」という名の領域を強引に開拓した。


 ログハウスの窓から漏れるオレンジ色の灯りは、この広大な闇の中で唯一の温かな色彩となった。さらに残酷なのは、ドアの隙間からこぼれ出る暖かな空気が、暖炉の薪がはぜるパチパチという音と共に、外の衛士たちの鼻腔へ容赦なく潜り込んでいくことだろう。


 彼女たちは、私が「寛大にも提供した」無料の石板の上に座っている。足元は乾いたが、零れ落ちる寒霧の中で、神業のごとき温もりを放つ我が家を見つめるのは、ただ泥道を歩くよりも過酷な精神的責め苦に違いない。


 冗談じゃない。家ごと持ち歩ける能力があるのに、なぜ野宿なんてする必要がある?


 浴室、寝室、キッチン――すべてはサバイバル・クラフト系ゲームを愛する私が、こだわり抜いて設計した究極の「マイホーム」なのだから。


 ――コン、コン、コン。


 ノックの音が響く。

 来たな。商売のお出ましだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ