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華炎戦譚 ―伝承を攻略し、魔を穿つ。業と恋の現代退魔群像劇―  作者: 織河トオコ
第三章 「八岐神楽《ヤマタカグラ》」

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第18話 「怪物・ヤマタノオロチ」



 最後の大会より以前。

 大学四年、秋のことだ。


 久しぶりに足を踏み入れた実家の座敷で、男——千助(せんすけ)は目を輝かせた。


「ヤベェ……お前んちすげえな……!」

「何がやねん。」

「何がって、これだよ! こんなの普通の家から出てこねえって!」


 畳の上には、蔵から引っ張り出してきた古い書物が何点も並べられていた。

 丁寧に広げられた風呂敷の上にこれまた丁寧に並べられ、まるでお宝鑑定の様相だ。


 祖父が生きていた頃、御之(みゆき)はこれらを何度か見せられたことがある。

 先祖のことだとか、昔のことだとか、何だか色々と聞かされたような気もするが、当時の御之にとっては全部まとめて「関係のない昔話」だった。


 川に入るな。

 酒を飲むな。

 何故だと訊いても、大人達はまともに答えられない。

 そんな家が嫌で、御之は早々に外の世界へ出た。


「ちゅーか、民俗学やっけ? 何するやつなん?」

「んあ〜。なんつーか一言で説明しづらいんだよな。」

「ほーん、金になるん?」

「うっせーな、教師だって薄給だろ。」

「先生はやりがいやもん。」


 ふんと鼻を揺らして御之は柱にもたれる。

 風呂敷の上から、千助は一冊を手に取った。


「はぁ、お前みたいなデリカシーねえ奴が教員なんて世も末だよ。」

「そういうお前はどないやねん。就職?」

「大学院だよ。このまま研究職狙いますんで。これしか取り柄ないし、好きなことして生きてくって決めたの!」


 言い切るや無言になり、食い入るように読み耽る。


「そないおもろい?」

「……面白いなんてもんじゃねえよ……。お前すげえよ、これ『ヤマタノオロチ』だぞ!」


 千助が興奮して、広げたページを御之の前へ差し出した。

 墨で描かれた、巨大な蛇。

 御之は胡座をかいてそれを見る。


「ヤマタノオロチくらい知っとるわ。酒飲まされて神様に倒された蛇やろ。」

「雑っ! まあそうなんだけどさぁ……!」


 千助はページをめくる。


「ヤマタノオロチっつーのは、八つの頭と八つの尾を持つ大蛇だな。山と谷を跨ぐほど大きな日本神話の怪物だ。ただ、ヤマタノオロチが『何を表していたのか』については色んな説があるんだよ。」


「何を表す?」


「そ。今風に言うと元ネタだな。例えば、河川の氾濫、水害そのものを怪物に見立てたんじゃないか、って説。」


 千助がスマホをタップし、畳の上に画面を置く。

 まだ若い姫を襲おうとする、巨大な大蛇の絵だ。


「ほら、昔の人にとっちゃ、荒れ狂う自然って得体の知れないでっけー化け物が大暴れしてるみたいなもんだろ? 川が崩れれば、せっかく耕した田んぼも畑も流されちまう。食う物がなくなるんだから、そのまま人の生き死にに関わる。」


 画面の中の姫を、千助の指が示す。


「クシナダヒメっつーのは『奇(くし)稲田姫(なだひめ)』とも書かれて、稲田の擬人化だって読む説もあるんだ。壊されて壊されて、それでも必死こいて作った田んぼに、またヤマタノオロチが襲いかかる時が迫ってる。もう絶体絶命なストーリー。」


「そういやこれ、皆してヤマタノオロチが来るタイミングわかってへん? なんでなん?」


「おっ、いいとこつくじゃん……! 毎年娘が食われて、今年もまた来るってわかってるからな。ここは、台風とか雨の季節と結びつけて読める。」


「じゃあ何や。それを倒したスサノオは、人々の生活のために治水をした奴っちゅーことか?」


「そう! やればできんじゃん!」


 千助の目が光った。


「つまり、ヤマタノオロチとスサノオの伝説は、治水の重要性を解きながら、自然の脅威に怯える人々の心を慰めた救済譚、って読めるんだ。ヤマタノオロチ退治はただの英雄伝説じゃない。平穏な暮らしへの憧れとか、願いも込められてたのかもな。」


 千助はいきいきとスマホをスワイプした。

 

 お酒で眠ったところを、スサノオにバラバラに断ち斬られたヤマタノオロチ。

 その体から——一本の美しい剣が出てくる。


「な、こうやって読むと神話も面白えだろ?」

「うーん……」

「うーんじゃねえよ。そうだな……お前んち、水に関する禁忌ねえ? 海じゃなくて、山とか川の。」


 御之の目が見開いた。


「……あるで。」

「だろ?」


 ドヤ顔で笑って、千助はまた別の書物を開いた。


「川に気をつけろとか、雨の日に山に入るなとか、そういうこと言われてこなかった?」

「あるな……! えっ、なんでなん!?」

「これだけヤマタノオロチのネタが残ってるなら、水の事故に気をつけろ系の警告も残ってていいかなって。」

「そういうことか……! いや……お前すごいな……!?」

「ふん、だろ? ……なんて言いたいとこだけど、俺なんかまだまだなんだよな。」


 御之は口に手を当て、千助の言葉を反芻した。

 ずっと誰もわからなかった言い伝えの謎に、こんなにあっさり答えが来るとは。


「なんや、呪いが解けるってこんな感じやな……」

「そうそう。こういう伝承を、歴史とか人の営みと重ね合わせて考えてばっかいんのよ、俺は。」


 千助が紙をめくっていく。

 御之も前のめりになって覗きこんだ。

 古びた紙の上に、また同じような蛇が描かれている。

 だが——。


「……これ、頭三つやな?」

「だろ!?」


 千助が顔を上げた。

 さらに別の古書を並べる。


「こっちは五つ。で、これは八つ。」

「描くスペースなかったんとちゃう?」

「俺も最初そう思った。でも違うな。出てくるのは三、五、八。今んとこそれ以外がない。」


 御之は眉を寄せた。

 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)なのだから、頭は八つでいいはずだ。

 なのに、この家に残された記録の中では、頭の数が一定しない。


「よっし」


 千助がすくっと立ち上がった。


「庭のあれ。もう一回見に行くぞ。」

「好きやなぁ、お前も。」


 縁側から庭へ出る。

 長く人の住んでいない庭は閑散としていたが、誰かが管理しているのか荒れ果ててはいない。

 伸びた草を踏み分け、二人は奥へ進む。


 庭の隅の乾いた日向に、古い石がある。

 墓石とも石碑ともつかない奇妙な形で、御之は子供の頃からそれが嫌いだった。


「これだな……」


 千助がしゃがみ込んで、石肌を撫でる。

 御之も隣にしゃがんだ。


 絡み合う、蛇のような溝。

 そして上部で――三つに分かれている。


「三つ首やな。」

「やっぱりそう見えるよなぁ……」

「これ、実はヤマタノオロチちゃうんとちがう?」

「お前こそなんか聞いてないのかよ? この石のこととか、三ツ首の大蛇のこととか。」

「聞いたかもしれへんけど覚えてへん。そういう話されたら全部聞き流しとったし。」

「もっったいねえ……!」


 千助が本気で頭を抱えた。


「お前なあ! こんな立派な家に生まれといてなんで何も聞いとかねえんだよ!」

「知らんがな。俺からしたらただの実家やもん。」

「俺からしたら宝の山だよ!」


 千助の顔から悪ふざけが消える。


「あんな、こういうのって勝手には残らねえんだぞ! 何代も前の奴がわざわざ書いて、石に掘って、禁忌にして、次に渡す。そいつも捨てずにまた次へ残してる。なんのためだと思う!?」

「なんやろな……。」

「悲しい思いを繰り返さないためだよ!」


 御之が黙る。


「昔の人間だって、家族に悲しい思いをさせたくねえんだ。自分達が痛い目見て覚えたことを、文字にして、絵にして、物語や教訓にして次の世代に残す。昔話とか伝承っつーのはな、そういうのを伝えていく役割もあるんだよ。」


 千助は、石に刻まれた三つ首を指した。


「残ってる理由がわからないからって、意味がなかったことにはならねえだろ。誰かが残したものなんだから。だから、これの声だって拾ってやんなきゃなんねぇんだよ。」


「まあ……言いたいことはわかるで?」


 御之のテンションが下がる。

 

「仮にそれが、水害に気をつけろ、って教訓だったとしてやで? 今はそういうんはもっと現実的な形でやっとる時代やん。ほな、古いもんは古いもんでおもろいなで終わってええんとちゃう?」


「そうなんだけど……そうじゃなくてさ……。」


 千助が俯く。

 御之は苦笑して立ち上がった。

 

 千助はまだ石の前にしゃがみ込み、食い入るように模様を眺めている。

 意地悪なことを言った自覚はあった。

 だが、昔話は昔話だ。

 面白いとは思っても、現実として受け取る気はない。



 ——それからしばらく、千助は紫月(しづき)家の資料を調べ続けた。


 御之は途中から完全に飽きた。

 そろそろ帰るから何冊か持っていっていいと言うと、千助は宝でも預けられたような顔をして喜んだ。



 *

 

 

 二週間後。

 大学からの帰り道、御之のスマホが震えた。


『うおおお! てめー、やっと繋がったな!』


 電話に出た瞬間、鼓膜が痛くなるほどの声が飛んでくる。

 千助だ。

 御之は思わずスマホから耳を離した。


「うるっさ。なんやねん。」

『紫月、お前んとこすげえぞ!』

「それこないだも聞いたわ。」

『違う! お前んとこの先祖、陰陽道(おんみょうどう)に通じてたかもしれねえぞ!』


 歩いていた御之の足が止まった。


「——はぁ?」

『陰陽師、式神だよ! 式神について書かれたものがある! 単なる伝承の記録じゃない。術式みたいな記述も残ってんぞ!』

「は……いやいやいや……」


 思わず笑った。


「お前学者やろ。急にファンタジーに走んなや。」

『俺だってそう思ってるよ! でも資料として残ってんだ!』


 興奮した千助の声がスピーカーから響く。


『ヤマタノオロチの記録も少しずつだけど読めてきた。そっちとも照らし合わせながら見てんだけど、すげえよこれ。』


 千助は研究室の机に向かっていた。

 スマホを片手に、古びたページの端を押さえている。


『ヤマタノオロチって実はな——あの後、何度も復(・)活(・)してんだ。』


 足が止まる。

 ——パリ、と靴の裏で落ち葉の割れる音が響いた。


 雲に太陽が陰る。

 急に、あたりの湿度が増す。


「……復活?」

 

『そ。当たり前の話なんだけどな。いくら伝説の中でスサノオがヤマタノオロチを退治してくれても、自然の脅威はなくならないだろ? だから、ヤ(・)マ(・)タ(・)ノ(・)オ(・)ロ(・)チ(・)は何度も人間の前に現れた。』


「……ああ、そういう意味な。」


 御之がほっと息をつく。


「そら、相手が自然様ならそうなんな。んで、それと式神がなんの関係あんねん?」


 御之の足が再び動き出す。


『そう。で、ここからがマジで面白えんだけど、お前んちの資料、途中から良い意味でおかしいんだよ。』

「おかしい?」


 千助が息を切る。


『——まるで、ヤマタノオロチが実在するみたいに書いてあるんだ。』


 御之が固まる。


「……つまり?」


『何百年も怪物として信じられ、時代が移り変わるうちに、ヤマタノオロチから荒れ狂う河川やその他の比喩が薄まっていって、八ツ首の大蛇としての姿だけが残った。そいつが今度は、怪物として一人歩きし始めたんだ。』

 

 足元から背筋へ、冷たい予感が這い上がる。


『——"怪物・ヤマタノオロチ"が生まれたんだよ。』


 ぞく、と御之の背筋が固まった。

 

 暗闇の中から、八ツ首の大蛇が輪郭を持って現れる。

 赤い目を持ち、鋼のように硬い鱗を持ち、毒の炎を吐く——化け物。


『んでな、お前んちの祖先は、その"怪物・ヤマタノオロチ"を、式神の力を使って封じてたらしい。』

「封じてたって、どこに?」

『わっかんねえんだよなぁそれが……! あと、三つ、五つ、八つって、首の数が違う理由もまだわかんねえ。』

 

 御之が黙る。


『でも、この古書すげえよ。ただ伝承を記録してるんじゃない、対処法が書いてあるんだ。封じ方とか、禁忌とか。式神繰りの方法とか。お前が言ってた家の決まりも、きっとこれと繋がってくるぜ。』


「ほな何や。うちの家、代々ヤマタノオロチでも飼っとったんか?」


 御之が誤魔化すように笑う。


『そこまではわかんねえよ。ただ——』


 紙をめくる音。

 足元を、何かが掠める。

 黒くて細い何か。

 

 背中に冷たい汗が伝う。

 心音がどくどくと耳元で大きくなる。

 

 スマホの向こうで、千助がすっ——と息を吸った。


 

『——めっっちゃくちゃ面白え!!』


 ぽかん、と御之が口を開ける。

 次の瞬間、どっと肩から力が抜けた。


「お前なぁ……!」

『いや、だって面白えだろ!? えっ、何、本気にした?』

「あ? んなわけないやん。」

 

 雲が流れ、ぬるい日差しが辺りを照らしだす。

 御之の耳に、辺りの雑音が戻ってきた。

 

『今度、借りてた本返すよ。これ、お前の財産だぜ。大事にした方がいいと思う。いやーあと一年早かったら卒論テーマにしてたんだけどなぁ〜!』

「……ふっ、そら堪忍やったな。」

『いや、むしろ超絶感謝だよ。ここまで分かった範囲でまとめたやつも一緒に渡すから、読んでみろよ。面白いぜ。』

「おーほな頼むわ。」

『はぁ……あのなあ! お前もちょっとは自分で読めよ! 自分ちのことだぞ!』

「古文書読解は教免単位に入ってへんからな。」


 電話の向こうで盛大なため息が聞こえた。

 御之も、笑いながら通話を切った。



 *


 

 後日。

 御之は自室のベッドに転がり、千助から渡された資料に目を通していた。

 

 紫月家に残されていたという、式神繰りの方法がコピー用紙にびっしりとまとめられている。

 

「ゆきくん、何読んどるん?」


 隣から、舞がひょいと御之の顔を覗き込んだ。

 

「んー、魔法使いのべんきょ。」

「あ? なんやそれ。」


 御之は笑って、また紙へ目を向けた。


 その時はまだ、それが本当に自分の為に残されたものだなどとは、思ってもみなかった。

 とうに終わった昔話を、死んだ人間達が律儀に書き残しただけなのだと。


 ——あの春の日が来るまでは。


 

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