第15話 「ファントム」
「もうええ! わかった、全部話す!!」
御之がとうとう叫んだ。
花緒が、開いていた『恋するあなたの素顔♡完全診断』から顔を上げる。
「異魔者や……! 八岐大蛇や! 覚醒した時に暴走して、付き合っとった子殺した! これでええやろ!」
床に転がった御之は肩で息をしながら、自棄になって吐き捨てた。
「異魔者……? 貴方も、モモさんと同じように命を落として異形になったということですか……?」
「いや、死んでへん。多分な……。けど、突然成った……」
「……恋人を、亡くしたんですか……?」
「亡くした……違う。殺した。」
部屋に重たい沈黙が落ちた。
花緒が目を伏せる。
「……すみませんでした」
「何が」
「恋愛の心理テストで攻めたことです」
「ああ……」
御之は視線を合わせずため息をついた。
「知らんかったもん、しゃあないわ。別にそこやなくてな、心理テストとかそういうのは……」
「なるほど図星だったんですね」
「なんでまた刺してくんねん!」
起き上がりかけ、御之はそのまま力尽きて床へ沈んだ。目を細める表情に、いつもはない諦めの色が浮かぶ。
「全部、あの家のせいや。あの家に生まれたんが間違いやった」
「貴方のご実家のことですか?」
「ああ……。川に入ったらあかんとか、酒飲んだらあかんとか。理由もよう分からん決まりばっかりある家やった。なんで守らなあかんとか、理屈も理由もなんもない。ただ昔からそう決まっとるから守れ、や。」
「伝承そのものが途中で途切れて、禁忌だけが残ったんでしょうか……」
「後になって考えると、そうだったんやろな。俺はそういうん嫌いやってん、中学で家出て寮入って、そのまま大学も遠都にした。せやけど逢魔時が起きて……千年京に入って……」
御之はそこで言葉を切った。
「気ぃついた時には……全部終わっとった……」
何が終わっていたのか、聞かずとも分かった。
花緒が何も言えずにいると、手元でスマートフォンが震える。
画面に表示された婚約者の名前。
沈黙に耐えかねて、花緒はメッセージ画面を開いた。
『身体の調子はどうだ? 紫月君から連絡があったよ。』
(——え?)
続けて画像が一枚送られてきた。メッセージ画面のスクリーンショットだ。綴られていたのは、自分のせいで花緒に怪我を負わせてしまったことへの謝罪と、容体の経過報告だった。
——大切な婚約者に怪我をさせて、ほんまに申し訳ありません。
——今回の件は全部俺の責任です。
(いつの間に……)
さらに慈雨月からメッセージが届く。
『思い出した。本人で間違いないと思うけど、紫月・藤宮組って界隈だとちょっと有名人だよ。』
今度は動画のリンクだった。
サムネイルには、体育館のフロアの俯瞰図が映っている。
『2028年 タンゴオナーダンス 第一位 紫月御之・藤宮舞組』
花緒は目を瞬かせて御之を見た。
「社交ダンスをしていたんですか?」
「ああ……慈雨月さんか。懐かしいもん引っ張り出してきよったな……」
御之が顔を歪め、ため息をつく。
「社交ダンスやなくて競技な。それ、亜蓮にも言うてへんねんけどな」
「競技?」
「平たく言うたら、社交ダンスのスポーツ版な」
柄やないやろ、と御之は笑った。
確かに意外だった。だが、言われてみれば腑に落ちるところも多い。
185センチの長身に、無駄なくついた筋肉と、堕神と戦えるだけの運動神経と動体視力の良さ。だが、彼の恵まれた全てを堂々たるものにしているのは、頭の先から爪先まで芯の通った立ち姿だった。
そして以前、花緒がバランスを崩して落下しかけた時も、御之は花緒の身体を驚くほど自然に抱き止めていた。
人間の体重を受け止めることに妙に手慣れている。
女性の扱いに妙に慣れた感じがある。
花緒は動画へ視線を戻した。
再生ボタンを押す。
画面に映ったのは、大きな体育館に広がる競技フロアだった。
無人のフロアをひしめく観客が取り囲み、熱気で空気まで揺れている。結果発表を待つ選手達の間へアナウンスが響いた瞬間、スマホのスピーカーが割れるほどの歓声と拍手が巻き起こった。
『第一位――紫月 御之、藤宮 舞組、遠都大学!』
熱狂する人混みの中から、両腕を突き上げた男が飛び出した。
オールバックに纏めた金髪に、黒の燕尾服。
——御之だった。
「……若い。」
「んな2年かそこらで変わるか。」
画面の中の御之は満面の笑みでガッツポーズを繰り返している。今の人を食ったような笑い方ではない。嬉しいから笑う、感情が爆発する。普通の学生相応の、明るさと若々しさ。
後ろからもう一人、女が飛び跳ねながらフロアへ現れた。
純白のドレスが跳ねる。
花緒は息を呑んだ。
華やかな衣装よりも、白い肌よりも、何より目を奪われたものがあった。
——彼女の顔右半分に広がる、大きな火傷の痕だ。
「……」
遠目からでもはっきりと分かるほどの赤み。
けれど彼女はそれを隠していない。髪で覆うことも化粧で隠すこともせず、真っ白なドレスを纏って何百人もの観客の前へ飛び出してくる。
「……この人が、舞さんですか」
「せやで」
御之が笑った。
「めっちゃ可愛ええやろ」
あまりにも当たり前に言うものだから、花緒は思わず御之を見た。スマホから流れる歓声を聞きながら、御之は得意そうに笑う。
画面の中で、御之は軽々と舞を抱き上げてぐるりと回った。
舞が御之から離れ、大急ぎでフロアの外へ走っていく。手には一枚のCDが握られていた。
その間も、観客席からは歓声が降り続けている。
『紫月ーッ!』
『舞ちゃーん!』
名前を呼ぶ声が無数に重なる。
「オナーダンスってなんです?」
「大会で優勝したらな、フロアを独り占めにして踊れんねん。」
つまり、そこまでは複数のカップルが同時に同じフロアで争うのだと。
フロアの中央で待っていた御之のもとへ戻ると、彼女は少し背伸びをして、御之の目元へ両手を伸ばした。俯く御之の目元を、舞の指先が拭う。
ふっと二人は身を引き、少し離れたところで向かい合った。
『お待たせいたしました! 紫月 御之、藤宮 舞組による、タンゴのオナーダンスでございます!』
フロアが水を打ったように静まり返った。
直後——激しいオルガンの音が空間を切り裂く。
会場から悲鳴にも似た歓声が上がった。
二人の体が重なる。
花緒も曲を知っていた。
『オペラ座の怪人』だ。
ベーシックな曲だ。けれど、繰り広げられていたのは、花緒が知っているダンスともオペラ座ともまるで違う光景だった。
白い炎が燃えていた。
惹きつけられるだなんて言葉も生温い。
二人で一つの魔物と化し、見るものを呑み込み、フロアごと食らってくる。
舞が鋭く首を切り返すたび、火傷の痕と、美しい少女の顔が交互に観客の目に晒された。クリスタルのピアスが照明を跳ね返す。
——ファントムだ。
この子はファントムを演じているのだ。
不思議とその姿は痛々しくない。
傷そのものが、彼女を美しき怪人へ変える魔法だった。
舞の全身が叫んでいる。
見ろ。
これが私だ。
私を見ろ。
そして御之も、決して舞の影ではなかった。
フロアの空気を奪い、支配する。大柄な身体を惜しげもなく使う、けれど、その強さは決して舞を食わない。
そして御之もまた全身で叫んでいた。
俺達を見ろ、と。
舞の胸が大きく仰反るように開く。それを支える御之の手はぴったりと指先を揃え、細かく震えるほど繊細だった。
息が合っているなどという言葉では足りない。
どれほど同じ時間を過ごせば、人間はここまで他人を信じられるようになるのだろう。
最後の長い一音が鳴った。会場が爆発する。
御之の左手が鋭く舞を送り出す。
二人の手が離れ、白いドレスが大きく翻りながら前に躍り出る。
万雷の拍手の中、二人はフロアに向かって恭しく礼をした。前にも、後ろにも、審査員席にも、頭上の観客席にも。
ガッツポーズを掲げて戻ってくる二人を、仲間の学生達が取り囲んだ。泣いている者もいた。抱きしめる者もいた。肩を叩いて激励する者もいて——動画はそこで終わった。
充電が切れ、黒く落ちた画面に、涙でぐしゃぐしゃになった顔が映り込む。
花緒は手首で顔を拭いながら、もう一度停止した画面に目を落とした。
真っ暗だった。
握りしめたスマホの画面に、また涙が落ちる。
舞の姿が、二人の姿が焼きついて離れない。
ファントムだった。
なのに、御之の腕の中だけでは無防備な少女にも見えた。
「……すごい人ですね」
「ま……優勝の為に二人して単位落としまくったんやけどな。」
御之はふっと笑うと何もない場所を見つめた。
部屋の隅に、テーピングまみれのボロボロの足が立っている。
そんなもの、今見えるはずないのに。
「舞ちゃんは……ほんま、すごい子やったで。」
御之は懐かしそうに目を細めた。
左手の指が、無くした片割れを探すかのように微かに動く。
「あいつの言う通りにしとったら、今頃、全部違てたんやろな。」
金色の目が細められる。
御之の意識が、まだ世界の終わりなど知らなかった頃へ沈んでいく。
——君、めっちゃスタイルええなぁ。
ダンスやらへん?
初めて会ったのは学生向けの食堂だった。
遅めの昼食を食べようとしていた時の、なんのロマンチックさのかけらもない雑多な空間。
なのに、彼女が現れた瞬間空気が変わった。
「私な、タンゴで優勝したいねん。だから今、私よりデカい男募集中。」
舞はテーブルに片手をつき、ショートボブの横髪を耳に掛けながら首を傾げた。
顔は包帯で覆われ、片目しか見えない。
なのにその佇まいも指先の動きも、今まで見たことがないほど繊細で、自信に満ちていて、目が奪われた。
ラーメンを口に運ぼうとした格好のまま、御之が固まる。
いつも煩わしい音を立てるプラスチックの椅子を音も無く引き、舞は前の席に腰掛けた。この椅子はこれほど優雅に見えるものだったろうか。
「……その包帯コスプレか?」
「ちゃうで、本物の大怪我。な、君のこと知っとるで。教育の紫月君やろ。そのビジュでがっこのセンセてエグいな。なぁ、身長なんぼ?」
「185。」
プレッシャーに負けて、御之は素直に口を開いた。舞が嬉しそうに目を細める。
「ほな、ヒール履いても君のが7センチ上か。ちょうどええわ、協力してくれへん? あ、彼女はまだおらんよね?」
懐かしい京訛りで、その子は言った。
「うちを、ファントムにして欲しいねん。」
包帯の少女——舞と出会ったのは、大学二年の春だった。




