第13話 「喰罪、星に願いを」
ドガァァン!!
夜のスクランブル交差点に轟音が炸裂した。歩行者信号が粉々に砕け散り、跳ねるガラス片がネオンを乱反射させる。
「びっっくりしたー! 急になんだよ!」
咄嗟に後ろへ跳び退いたままリンが怒鳴る。
が、モモの姿は既に遥か頭上にあった。振り返りもせず、ビルの壁面を蹴り一直線に屋上を目指している。
リンが舌打ちした。手に夜空色の和傘を呼び出し、一息で弾丸のように跳躍する。
背後の気配に気づき、モモが空中で鋭く振り向いた。
金色の目に恐怖が走る。
「来ないで!!」
「ちょ、前っ前!」
モモが前方に迫るハイボールの巨大看板に気づく。上手く身を翻した動きのまま、勢いを殺さずその縁に手をかけた。
ギギギギッ……!
金属フレームが耳障りな悲鳴を上げ、大型バス一台分もある看板がゆっくりと傾いていく。
「うそだろ!?」
――バキィン!!
支柱が折れ、モモが渾身の力で看板を投げつけた。
ハイボールを掲げる美女の笑顔が唸りながら飛来する。リンが空中で看板を蹴り付ける。軌道を変えた看板がビル壁に激突してワンフロアごと崩れ落ちた。
モモが立体駐車場へ飛び込む。
「待て!」
リンが暗い半屋内にスライディングで滑り込んだ瞬間、今度は回転するセダンが立て続けに襲いかかった。
和傘で二台を薙ぎ払う。弾かれた車体が鉄柱に激突し、轟音を響かせた。
ガン! ドン!!
崩れ始める立体駐車場からリンが飛び出し――目を丸くした。二つ先のビルの給水塔の上にモモが立っていたのだ。
手には鉄パイプを握りしめ、怯えた目でこちらが追いつくのを待っている。
「さっきからなんなんだよ! 逃げんのか、やんのか、どっちなんだ!」
鉄柵に着地し、リンが怒鳴った。
モモの小さな手が鉄パイプをぎゅっと握り締める。
「貴方が正義の神様だってことはわかった……! つまり、貴方は私を裁きたいんだよね!? 悪い鬼を倒す動画を撮りたいってことだよね!?」
「は!? だからそれは違うって――」
「私を裁いていいのは貴方じゃない……! だからもうほっといて!!」
一息で叫ぶや、モモは次のビルへ跳んだ。
頼りない武器一本を手に、屋上から屋上へ必死の跳躍を連ねる。
しかし、次のビルに着地した瞬間モモは息を呑んだ。
「えっ」
見覚えのある屋上だった。
直後、頭上から風を裂く音が降ってくる。
「はいおかえり!」
「!?」
背後でリンの右腕が和傘を振り下ろしていた。モモが鉄パイプを振り上げようとするが遅い。
バチン!!
石突が正確に小手を打ち据えた。衝撃に指が開き、鉄パイプが床に落ちる。
怯んだ隙を縫い、リンの左手が閃く。
白い拳がモモの眉間へ迫り、指がゆっくりと狐の形に変わった。
そして――
ばちっ!!
「あ゛っ!!」
強烈なデコピンが額に炸裂した。
視界いっぱいに火花が弾け、モモの頭が勢いよく後ろへ仰け反る。
ドッ……!!
背中から屋上に叩きつけられ、とうとうモモは、大の字になって動かなくなった。
*
リンがぜえぜえと息を繰り返す。
やっと大人しくなったモモを見下ろし、手から和傘を消した。
「はぁ、くそっ! とんだじゃじゃ馬だな! どっかの誰かさんそっくりだよ!」
「……なんで……」
「なんで元の場所に戻ったかって!? 今ここ、ボクの固有スペースなんだよね。君が端っこにぶち当たったから勝手に戻ってきた! それだけだよ!!」
モモはじっと虚空を見つめていた。
じわじわと引き結んだ唇が震えだす。
顔がぐしゃりと歪み、今まで必死に貼り付けていた仮面が、大粒の涙と共に剥がれ落ちた。
「――う、わ……あ、ああああああん!!!」
リンがビクッ!と飛び上がった。
耳をつんざくような泣き声に思わず両耳を押さえる。
「泣くなっ! 話も聞かずに逃げるお前が悪いんだぞ!」
「わぁぁぁぁん!!」
「聞けっ!!」
「はぁっ、あっ……こ、ころ、殺される……!」
「だからしないって! そんなことしてボクに何の得があるんだよ!」
モモが、嗚咽の合間に必死に言葉を紡ぐ。
「だって、わかるもん私が悪いんだって……! 私の中に、雪乃さんがいるってわかるもん……! でも、覚えてないなんて言い訳じゃなくて、許されなくても謝りたかったの……! だから、あそこから離れたくなかったのに……! なのに……全部貴方がめちゃくちゃにしたんじゃんか!」
「ボ、ボクはそんなつもりじゃ……!」
モモが激しく首を振る。
「殺されるならみんながいい……! 亜蓮さんがいいよぉ……!!」
はっと、リンの大きな耳が下がる。
そして、ここまでモモが一度も異能を使ってこなかったことに今更になって気づいた。
ただ逃げるのに必死で、周りにあるものを投げただけ。自分が追いつくのを待っていたのだって……本当に傷つける気はなかった。
「私が死ねば雪乃さん、返ってくるのかなぁ……! わかんないよぉ……雪乃さん返したいよぉ……!」
モモの両手の隙間から涙が溢れる。
いたのは強くて気丈な女の子じゃなかった。
選ぶことすら許されず、断罪を待つだけの心を持った鬼だ。
「ごめんね……みんな、ごめんね……! 亜蓮さんごめんね……!! 雪乃さ……!! わ、あ、あああああああ――――!!」
空まで届くような泣き声が、ネオンの街に満ちていく。
リンはおろおろと辺りを見回した。何度もモモに手を伸ばしかけては、かける言葉に詰まる。
「ああ〜もう、時間がないっていうのに……!」
乱暴に息を吐き出すと、リンはモモのそばにしゃがみ込んだ。怖がらせないよう出来るだけ優しく声を落とす。
「あのね、君が見た目よりパニックだったってことはわかったよ。でもボクは君を追い詰めるつもりで聞いたんじゃないんだから落ち着いて?」
「嘘ばっかぁ……」
「本当だってば! ていうか、怒ってる相手にご馳走出したり動画見せたりする奴がいる? これでも結構気をつかったんだけどなぁ……」
モモはまた激しく首を横に振る。
とうとう痺れを切らし、リンは重いため息と共に項垂れた。
「……はぁ、もういいよ。こっちおいで」
半ば強引に、リンはモモを立ち上がらせた。
その手を離さず、長い長い屋上を歩き出す。
「……お前、千年京で死んだら人がどうなるか知ってる?」
「……千年京と同化するって……」
鼻をすすりながら、モモは小さく口を開いた。
「それは肉体の話。ボクがしてるのは、魂の話だよ」
大地が唸るような風鳴りと共に、視界が開けた。
モモが目を見開いた。
闇の中に、怪しく光る巨大な桜の古木が佇んでいる。
桜の周りには無数の白い人魂が誘われるように舞っていた。満開の枝は生き物のように風を大きく吸い込み、桜吹雪が血のように散る。
「イロハ桜……」
「そんなロマンチックな名前もあるらしいね」
リンが憎しみを浮かべて目を細めた。
「見て」
リンの指が闇を指した。
白い光が枝先に吸い込まれる。鮮やかな赤い光が、血管のように幹を逆流した。蕾が悦びに震えるように花開いた瞬間、聞こえないはずの断末魔がモモの耳元を裂く。
「喰ってる、の……?」
「そう。あれは死んだ人の魂を呼び寄せ、その養分で花を咲かせる【人喰い冥桜】さ」
ざあっ――と、重たい花枝の揺れる音が耳元で響いた。それが無数の人々の声にならない叫びに聞こえて、モモの背筋が冷たくなる。
「あの悪趣味な花の下じゃ、妖怪や神様が朝から晩まで花見騒ぎしてるって言うけど……ま、ただの噂さ。あながち間違いじゃないかもしれないけどね」
「あれからは、逃げ切れるの……?」
「いいや。異形の食い物になるのがオチさ」
リンが振り返り、モモの目を真っ直ぐ見つめた。
「でもね、稀にいるんだ。君みたいに魂が実体を得て、異形に成り果てる奴が」
リンの後ろでビルの稜線が白く染まり始めた。地平線から溢れ出す朝の光が街のネオンを飲み込み、景色をただの荒れ果てた街へ戻していく。
リンがモモの肩を強く掴んだ。
「なあ、渡良瀬 モモ。全てを知って、華上 亜蓮は君を責めたか? そうじゃなかっただろ? あの子は君を庇ってた。おかしくないか? 普通は混乱する。なのにあの子は迷わず君の隣に立った。なんでだと思う?」
泣き腫らしたモモの金色の目がゆっくりと見開かれた。どうして亜蓮の名前を知ってるのか、何でも知った風なのか、そんな疑問さえ頭を掠めただけだ。
「あの子も気づいていたはずなんだ。だから、ボクが言いたいのは、一つの可能性だ」
真剣な眼差しが朝日で輝く。
ごうっ――と、桜吹雪が嵐になって舞い上がった。
「華上 雪乃は、君に喰われたんじゃない。喰わせたんだ。化け物になった自分を――弟に斬らせない為に」
――瞬間、世界が音を失った。
モモの胸の奥で、何かが音を立てて崩れ落ちる。金色の瞳が大きく見開かれ、息が止まる。
リンの肌が透け始めた。
朝の光が体を溶かす中、遺言みたいに言葉を叩きつける。
「いいか、よく聞け。今からここに国家退魔師隊の男が来る。銀縁眼鏡に仏頂面の、つまらない態度したつまらない男だ。無愛想だけど、そいつだけは信用していい。何があっても、絶対に君に危害を加えないと誓う」
「……会ったら……どうなるの……?」
「全てがひっくり返る。君を、仲間のところに返してやれるかもしれない」
モモの心臓がどきんと跳ねた。
その瞬間、モモの胸に熱い確信が込み上げる。
――この人は、本当に味方だったのだ。
「待って!! もう会えないの!?」
「大丈夫、夜になればまた……! なあ、君はどうしたい!? このまま一人になってもいいのか!?」
リンが声を張り上げた。
その言葉が、モモの奥底に押し込めていたものを引きずり出す。
「……帰りたい……帰りたいよ……みんなのところに……」
口に出した途端怖くなった。
罪悪感がまた胸を押しつぶす。
「その後は……どうなってもいいから……」
リンが優しく首を横に振った。
「どうすべきかじゃない。君がどうしたいか言ってごらん。……大丈夫。今はボクしか聞いてない。」
温かい声に、モモの目からまた涙が伝った。
罪悪感が剥がれ落ち、素直な気持ちが溢れる。
「みんなと、まだ一緒にいたいよ……」
リンがふっと満足そうに笑った。
肩から手が静かに離れ、そっと身を引く。
――それでいいんだよ。
リンの嬉しそうな声が、最後まで風の中に残っていた。




