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華炎戦譚 ー呪われた都で、退魔師達の業と恋が交錯するー  作者: 織河トオコ
第三章 「Dance Dawn Decadence of Gods

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第12話 「贖罪」



 アジトのリビングは、さっきまでの賑やかさが嘘みたいに静まり返っていた。


 重い空気の中、千助(せんすけ)はテーブルの上を眺め大袈裟に肩を落とす。

 

「あーあー。誰も片付けねえんだから、もう」


 テーブルの上には空のカップ麺とペットボトルが散らかったまま。亜蓮(あれん)御之(みゆき)の気配はない。片付けもせず一体どこに行ったのか。


「大丈夫っすよ花緒(はなお)さん。この手がかかる野郎どもの面倒は、ちゃんと俺が見ますんで」


 いつもの調子で笑ってみせながら、手は勝手に動いていた。てきぱきとお盆に空の容器を乗せていく。

 

 ぽたっ。


「……あれ」


 手の甲に熱い雫が落ちた。慌てて目を擦ろうとするが、次の一滴が落ちる方が早かった。


「っかしいな……」


 ぼろぼろと涙が止まらない。泣きたいのは俺じゃないはずなのに勝手に溢れてくる。

 

 そしてようやく頭が認めた。


 ――あ、そっか。俺、ショック受けてんのか。


 そうだ……。だって、つい数時間前までここには皆いた。ご飯食べて、作戦会議して、くだらねえこと話して。


 いつも通りだった。それが今はどうだ。

 花緒さんは倒れて、モモちゃんはいなくなって。亜蓮さんは妙に静かで、御之はひでえ顔してる。


 なのに自分だけは怪我一つなくて。誰の痛みも本当には分かってやれない。誰にでもできる雑用をやって、何かした気になっている。


「なんで、こうなんだよ……」


 もしあの時、モモちゃんを助けなければ、彼女は堕神(だしん)生贄(いけにえ)になって死んでいた。でももし俺が亜蓮さんにモモちゃんのことを教えなければ、二人が出会うこともなかった。こんな風に傷つけ合うことも、あの人が大事にしてるこの場所を壊すこともなかった。


 ――ギリ、と奥歯が鳴る。


「……おい。見てんだろ」


 喉の奥が怒りで震えた。テーブルに両手をついたまま、薄暗い天井に向かって声を振り絞る。


「全部、分かってたのかよ。こうなることも分かってて、俺にモモちゃん助けさせたのかよ? 全部俺のせいだって言いたいのかよ……!?」


 返事はない。静寂だけが情けない背中を嘲笑(あざわら)う。

 固く握る拳に、鋭く爪が食い込んだ。


「ああそうか、満足かよ!! 俺が惨めなところ見るのが、そんなに楽しいかよっ!!」


 ガンッ!

 テーブルを拳で打つ。弾かれたカップ麺の容器が床へ落ち、冷えたスープがフローリングに散った。じわじわと茶色い染みが広がっていくのを、涙で滲む目で呆然と見つめる。


 ――やがて、ぐしゃぐしゃと乱暴に顔を拭った。


「……俺は諦めねえからな……!」


 ――数分後、リビングの床は綺麗に片付いていた。

 

 手を洗い、薄暗いアジトの廊下を進んでいく。

 目的の扉を開ければ、壁中を埋め尽くす本棚の部屋が目の前に広がった。

 

 神話、オカルト、民話、呪術、郷土資料——崩壊した遠都(とおみや)市中から回収した本が隙間なく並んでいる。


 貸し出し禁止のシールが貼られた古書、焼け跡の残る新聞、修復された雑誌……。整理しきれていない手書きのノートやパンフレットは床に積み上げられていた。


「どうか、力を貸してください」


 千助は墓前のように両手をぴったりと合わせ、深く頭を下げた。ゆっくりと顔を上げ、屹然と前を見つめる。


 足を踏み入れる。思いつく限りの本に手を伸ばし机の上に積み上げる。埃が舞い、(すす)と紙の匂いが部屋を満たしていく。

 

 ――モモちゃんが帰ってくる為に、できることは全部やる!


 パチリ、とデスクライトのスイッチを押した。白い光が机を照らし出す。


「――?」

 

 その時、ふっと後ろ髪を引かれたような気がした。


 視線が一冊の本へと吸い寄せられる。

 棚の真ん中辺り。

 恐る恐る歩み寄り、背表紙を見て千助は眉間を歪めた。


『子どもに語る 日本の神話』


 静かに本を引き抜く。小口に薄い隙間が浮いていた。不自然に若々しい青紅葉が(しおり)のようにして挟まれている。


「……」


 額に冷たい汗が湧いた。

 滑り落ちた青紅葉の下から、禍々しい八ツ首の蛇の絵が現れる。


 ――「八岐大蛇(やまたのおろち)


 千助の喉が、ごくりと音を立てた。


 

 * * *


 

 ――あの日を、忘れたことなどない。

 

 指の間をまだ温かい血と冷たい雨が滑り落ちていく。悪い夢なら終わってくれと思ったのに、世界はまだ続いていた。

 

 泥色の水溜りに映る目は、もう人のものではなかった。瞳孔は針のように細く、異様な金色に輝いている。

 

 足元では、白い体がぐったりと倒れてた。踊るように四肢を投げ出し、ケロイドで引きつれた横顔が雨に打たれている。

 

 血と雨と泥の臭いが、強烈な吐き気を押し上げる。

 首だけがこちらを向き、もう動かないはずの唇が呟いた。


 ――だから言ったのに。


 はっと息を呑んだ瞬間、幻覚が霧になる。

 雨音は耳の痛い静寂へ変わり、背後に別の気配が立った。


 ……振り返らなくても覚えている。

 

 薄鼠(うすねずみ)色の着物。(おきな)の面。

 少年とも、青年ともつかない小柄な男。

 手には、炎のように赤く輝く日本刀。

 ……その手が握り直す、刀の金属音だけが妙に鮮明だった。


 ――カチン。


 ああ、やっと終わる。



 

 そして――今。

 

 御之(みゆき)は薄暗い縁側の廊下に立ち、ガラケーを空に掲げていた。

 

 辺りは、ただただ静かな藍色の世界だった。夏の虫の軽やかな鳴き声だけが、時折浮かび上がっては消える。

 

 ――モモの髪には常に一匹、式神を忍ばせている。無事なら居場所を教えてくれるはずだった。


「どうだ?」

「圏外や」


 暗がりから亜蓮(あれん)が歩み寄った。

 御之はガラケーを降ろし、パチンと閉じる。


「式神まで遮断されるとはな……。GPSも魔力探知も効かん。曲がりなりにも神やな」

 

「このままモモを返さない気なのか?」


「いや。それなら『ブロック』した方が早い」


 そのまま亜蓮の横を抜けようとした背中に、声がかかる。


「……思ってること言えよ」


 御之の足がぴたりと止まった。

 背を向けたまま深く息を吸い――ゆっくりと吐き出す。


「……モモちゃんのこと調べて、色々思い出したわ。」


 御之は目をうんざりと細め、息だけでふっと笑った。軽く聞こえるようにしたはずなのに、声は少し震えていた。


「可哀想にな。自分が死んどっただけでも信じられへんのに、仲間の姉ちゃん食うてるなんて思わへんやろ。こんなん漫画でもやりすぎやわ」


 胸が詰まる感覚を覚えながらも、御之はぽつりぽつりと言い切った。

 

 ずっと御之の背中を見つめていた亜蓮が、足元に視線を落とす。


「お前は……」


 御之の肩が強張る。


「"モモは事故だから仕方ない"。"僕は子供だったから仕方ない"。でも、自分はそうじゃないって思ってるんだろ」


「……」


 答えられない。ただ、自分と向き合おうとする度に心を閉ざしたくなる感覚がする。誰かに何か聞いてほしいとも思わないし、理解されたいとも思わない。

 

「今はそれでもいい。無理してみんなに全部話せとも思ってない。でも、お前だからわかってやれることもあるだろ。モモの気持ちも、立場も……」


 胸の奥がずきりと痛んだ。

 苦しいからじゃない。この場所に居続けた先に、まだ役に立てることがあると言われた気がした。

 

「それに……」


 背中で、亜蓮が息をつくのが聞こえる。


「お前が必要だって僕の気持ちは、最初から変わってないよ」


 あまりにも明け透けな言葉に、御之の口角が緩んだ。


「……ほんま、よお息するみたいにそんなこと言えるな」


 張り詰めていた肩から力が抜ける。御之はおかしそうに笑うと、ころっと表情を切り替えて振り返った。


「話逸れたな。今はモモちゃんやろ?」

「ああ。」


 亜蓮が頷いた。真っ直ぐで容赦のない視線が御之を射抜く。


「お前は自分を計算に入れない。だから、ここから先は僕が決める。」


 その言葉に、御之は嬉しそうに目を細めた。


「了解。リーダー」


「そうだぞっ!」


 二人が振り返ると、千助(せんすけ)が息を切らして廊下の先に立っていた。脇には本を一冊抱え、威圧感を振り撒きながらずかずかと歩み寄ってくる。


「ったく、ここにいたか! また独断で動こうとするなんて許さねえからな! こっからは全員で足並み揃えて動くぞ、クソ蛇!」


 御之が僅かに目を丸くする。

 千助の表情は焦りと本気の熱を帯びていた。


「モモちゃんを引き戻すなら、次がラストチャンスなんだからな……!」



 * * *



 一方、ガラスのドアをくぐった瞬間、モモは目を疑った。暖かい照明の下に、ありふれた台湾料理屋の外観が広がっていたからだ。


 『天天楼 各種大皿・宴会賜ります』

 ……黒字に赤と黄色の看板が、無邪気に輝いている。

 

 本当にただの飯屋だった。

 

「ボクの隠れ家の一つだよ。」


 リンが機嫌良く先を歩き出す。高下駄(たかげた)がアスファルトをカラン、カランと軽やかに鳴らした。


 そこは、ネオンに彩られた無人の繁華街(はんかがい)だった。

 

 傾いた看板、ひび割れた歩道。青やピンクの光が宝石のように煌めき、溶け合い、濡れた路面に反射している。

 

 退廃と幻想の狭間を、狐耳とおさげの影が歩いていく。川のように足元を流れるはずの瘴気が、何故かここには一切ない。見上げれば、夏の夜空のように澄んだ藍色があった。


(なんなの、ここ……?)


 ぼんやり見上げていると、リンが小さく舌打ちした。


「ちょっとゆっくりしすぎたな……。急がないと」


 赤い光だけが灯るスクランブル交差点に出る。人も車も無い、白と黒のラインの上をリンはすたすたと渡りだした。


「で、どうだった? ボクの動画」

「……面白かったよ」


 モモは歩行者信号の柱の傍らで足を止めた。


「人の感情をエネルギーにしてるって言ってた割には……人を食い物にしてる感じがしなかった。盲信じゃなくて、みんな好きで貴方を応援してるんだなって思ったし、良い神様なんだなって思った」


「あはは、なにそれぇ悪い宗教じゃないんだからさ〜! でも直球嬉しいなー⭐︎」


 リンが交差点の中心で振り返る。カラン、と下駄の音が止まった。


「……実はね、君を連れてきたのは知りたいことがあるからなんだ」


 モモがびくりと肩を揺らした。

 リンの目がゆっくり、悲しそうに細められる。ネオンの光が瞳に映り妖しく揺れる。


「……君が華上(かがみ) 雪乃(ゆきの)を喰った鬼っていうのは、本当かい?」


 心臓が氷の棘で貫かれた。

 青に変わった信号灯が、モモの強張った頰を冷たく照らす。


「……どうしてそれを?」

 

「ボクは神様だよ? 神様ならだいたいなんでもお見通しなもんだろ?」


 リンは得意げに背を向けた。

 モモは俯き、唇を震わせる。


「……それを聞くなら、貴方が何をしたいかもわかった気がする」


 ――ベキンッ!

 

 モモの右手が信号機のポールを鷲掴みにした。金属が悲鳴を上げて歪む。引き抜かれるコンクリートの基部が、バキバキと音を立てて砕け落ちる。


「あ、勘違いしないで欲しいんだけど、別に君を退治する動画を撮ろうって訳じゃないからね? ほら、ボクって人間の味方だけど神様でもあるでしょ? 迷える妖怪に手を差し伸べるのもボクの役目っていうか――」


 ふっ、とリンの上に長い影が落ちた。


 振り返る。モモが片手で歩行者信号を高々と振りかぶっている。唸りを上げて迫る巨大な赤緑灯に、リンの脳がフリーズした。


「え?」

 

 ドガァァン!!


 

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