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23 森への想いと国への慕情  

大変お待たせしました。今回は姫視点で。



 北の宮に入ってからのミスリルの生活は、到着した日を除けば、平穏そのものと言うべきだろう。五年間も村娘のように働いていたことなど無かったかのように、目覚めてから休むまで侍女の世話を受け過ごす。本を読み刺繍で暇をつぶし、時に呼ばれて太王太后の話し相手を務め、求められては手を引いて庭を散策する。


 兄は本宮に居ることが多い。各国の貴人と交流を深めることは、戴冠を控える王太子の大事な務めだ。忙しい合間を縫っては現れ、そこで耳にした噂話などを聞かせてくれるが、五年間、人と隔絶された生活を送っていたミスリルには分からない話ばかりだった。ただ一つ理解したのは、この国の王が四年前に早世した寵姫を今も想っているらしいこと。祭りを口実に各国の姫たちが妃の座を狙って集まっているが、彼女たちにも無関心らしいと言うことだ。

 そんな時になぜ自分が城に戻されたのか不思議に思っていたが、兄の言葉で納得がいった。

「国王と宰相がお前の話をしていたのを偶然聞いた。それが無ければきっと今もお前は、あの寂しい森で孤独な暮らしをしていたはずだ」

 話しながら兄は顔を顰める。

「惚れた女の事をいつまでも想い続けているのは仕方がない。だが大国の王として世継ぎを成さねばならぬ身でそれが許されるものではないはずだ。ましてや何の罪も無いお前を虐げる理由になどならない」

 森の生活は厳しく、寂しいものだったが、虐げられていたとまでは思えない。辛かった分、小さな喜びも確かにあり、身に付いた物は多かったのだから。ただそれが王族にとって不要なものということも分かっていたので兄に言うことは出来ず、ミスリルはどう応えるべきか困り果てた。

 そんなミスリルを見て兄は眉を上げる。

「まさか、あんな酷い男に惹かれているのではあるまいか」

 ミスリルは苦笑しながら首を振った。男性に惹かれる、と言うこと自体がミスリルにはよく分からない。

「森で会ったときに怖い、とは何度か思いました。突然怒り出したりする方は、今まで私の周囲におりませんでしたから」

「そうか。リューンでもイスタルドでも、お前は隠れ住んでいたようなものだったからな。だがこれからは、そうはいかない。夜会では大勢の者にお前の姿が晒される」

 兄の言葉にミスリルの顔が強張った。

「本来ならお前はイスタルド王の側に居るべき立場なのだが、わたしが介添えしたいと宰相に話を通した。案ずるな」

 胸を押さえてホッと息を吐くミスリルに、兄は優しく言った。

「夜会など一通りの挨拶さえ終われば、理由を付けて下がってしまえばよいのだ。お前を好奇の目に晒すのは私も本意ではない」

 人前に出ることが無かった自分がそんな場に出て、上手く振舞えるのだろうか。不安ばかりが増す。



 北の宮に来て数日ではあるが、なぜか森を懐かしく思うことが多くなっている。

 朝、まず空の機嫌を確かめてから動き出す毎日。手を掛けただけ応えるように育つ作物。姿を見れば餌を求めてまとわりつく山羊や鶏たち。抱え込んだ時の乾草の香り。汲み上げた井戸水の冷たさ。風に揺れる干したシーツの白さ。ふたを開けたら鍋から立ち上る湯気。ジャムを煮ているときの甘い香り。 ふと思い出し、胸が締め付けられる思いがする。

 太王太后も、侍女も、護衛もミスリルに優しく、満ち足りた生活を送ることが出来ているはずなのに。どうしてこんな気持ちになってしまうのだろう。


 そんな北の宮での生活に突然現れた他国の幼い姫は、小さな嵐のようだ。

「アンリエッタはまだまだ子供で、この北の宮は退屈であろう。ミスリルには申し訳ないが、相手をしてくれるとこの婆も嬉しいのだが」

 太王太后にそう言われるまでも無く、ミスリルは利発な王女に好感を持った。明るく、ハキハキとした物言いのアンリエッタは、人付き合いに慣れないミスリルをそっとしておいてはくれない。どんどん自分のペースにミスリルを巻き込んでいく。


「この国にいる間は逃れられると思っていたのに」

 三年前、カスクールに蔓延した悪性の風邪で、王妃と姉姫が亡くなり、アンリエッタは現在、王位継承権第一位なのだという。なので滞在中はイスタルドでも帝王学を学ばせたいとカスクール王が望み、午前中は勉強に充てられている。

 誘われるままアンリエッタに付き添い、ミスリルも共に学者の話を聴いている。リューンは女王を認めない国なので、ミスリルは帝王学を修めていない。諸国の実情や王族に必要な知識を知ることが出来る時間は、ミスリルには興味深いものだった。アンリエッタはイスタルドの教師たちにも物おじせず、思ったことをどんどん口にして時にはやり込めてしまう。


「オルランド王朝が戦に負けて滅亡したのは当然だわ、“オルランド仕様”のドレスをご覧になったことがおありになってミスリルさま。宝石がごてごて縫い付けられて滑稽なくらいにフリルまみれ。三人がかりで裾を持ち上げなければ階段も上がれないくらいなのよ。髪型だって膨らませ過ぎて首が折れそうなの。無駄な贅沢が過ぎたのよ」

 王女らしくない発言を重ねるアンリエッタ。母国ではじゃじゃ馬で有名なのだと自ら言い放つ。そんな飾り気のない姿が愛らしいと、ミスリルは思う。


「それにしても」

 近年の国外の動きについて学んでいるときに、ただ聞き入るばかりのミスリルを見てアンリエッタは首を傾げた。

「ミスリル様が療養していたことは聞いておりましたが、これほど最近の情勢に疎いとは思いませんでした。今は田舎に暮らしていても、御触れや噂でいろいろ知る機会もあるでしょうし。まるで塔に閉じ込められていた姫君のようですわね」

 五年間の森での暮らしは口外しないように言われているので、答えようがなく黙ってしまったミスリルを見て、アンリエッタは慌てた。

「ごめんなさい私、口が過ぎると良く怒られますの」

 お姉さまに、と言って何かを思い出したのかアンリエッタは俯いた。





 

「ミスリル様、これから本宮の鐘撞き塔に上りませんか?バルコニーより遠くが見渡せるそうですよ」

「アンリエッタ姫」

 ミスリルの部屋に入るなり話し出したアンリエッタの声は、訪れていた兄によって遮られた。

「ミスリルは少々お疲れのようですので、今日はご勘弁を」

「そうなのですか。ではミスリル様、日を改めて」

 優雅に礼を取ってはいるが、そのあとそそくさとアンリエッタは去っていく。その姿を目で追った後、兄は溜息を吐く。

「鐘撞き塔へ立ち入る許可まで得たとは。無邪気ながらも強引な姫だな」

「でも、明るい御気性なので、一緒に居て楽しいです」

「しかし」

 低く変わった兄の声に被るようにノックが響いた。

「どうぞ」

 侍女の一人が入ってきて、宰相様からですと文箱をミスリルに差し出した。

「イスタルド王からか」

「いえ、前に届いたお父さまからの手紙です」

 あの晩餐から、イスタルド王は姿を見せるどころか(ことづけ)ひとつミスリルは受けていない。首を傾げた兄に、そのことには触れずに答えることにした。

「封を切らずに届けられたので、その場で読んですぐに宰相様に読んでいただくようお返ししたのです。それが戻って来ただけの事」

 ああ、そうかと兄は納得し、侍女を下がらせてから話し出した。

「それは良い判断だった。しかし不思議だな。中を検めずにまっすぐ届くとは。後で何か企んでいたと騒ぎ立てるつもりだったのかも知れん」

 未開封の書状を受け取った時、ミスリルも確かに不思議に思った。同盟国とはいえ他国からの文は、中を検めたうえで届けられるのがこの世界での常識だ。故にミスリルは届けてきた侍女の前で手紙を読み、そのまま侍女に差し戻した。手紙の内容も娘を案ずる父の域を出ず、当たり障りのないことしか書かれていない。裏切るつもりがないことを常に示すことが、他国へ嫁いだ王族の務めである。

「お前の立場も曖昧なままだ。足元を掬われるようなことが無いように今後も気を付けてくれ」

「はい、お兄様」

 ミスリルは頷いた。大国との同盟は、相手の胸先三寸でいつでも破ることが出来る。そうならないように立ち振る舞うことの重要性は、輿入れが決まってからの短い間に繰り返し教えられている。




「カスクールの王女にも気を付けたほうが良い」

 兄の潜めた声に、ミスリルは目線を上げ、眉を寄せた。

「噂では正妃候補として姉姫が来ると言われていたが、どうやら亡くなっていたらしい。十二歳の王女を送りこんできたのは意外だったが、寵を狙う女たちに辟易(へきえき)しているイスタルド王が、周りを黙らせるため無邪気なはとこ殿を傍に置くということもありえる。あの歳なら白き結婚でも文句は出ないからな」

 カスクールも考えたな、と兄は嘲るように言う。

「でもお兄様」

「どうしたミスリル、お前の反論は珍しいな」

「アンリエッタ姫は、カスクールの世継ぎなのでは?」

 ああ、と兄は頷く。

「カスクールにもいろいろあるらしい。側妃が身籠っていて、王子が生まれれば自動的にそちらが世継ぎとなる。既に後ろ盾の公爵家が暗躍して、子の母を正妃に据えようという動きもあるのだ。となるとあの姫はこの国に嫁ぐ方が丸く収まる」

 おそらく北の宮に居を移したのも、母国からの刺客を怖れての事だろうと、兄は言った。

「そんな事情があるとはいえ、形ばかりの側妃であるお前と正妃候補の姫が仲良くするというのもおかしな話だ。わたしにはお前が軽んじられているように思えてならない。やはり」

 折に触れて兄は、イスタルドへの不満を口にし、共に帰ろうとミスリルに囁く。無理だろうと思うミスリルに、いや、兄を信じろと夢を語る。


 本当に、そんなことが出来るのか。

 吹けば飛ぶような小国の思惑通りに事が運ぶのか。


 もし帰国が叶うなら。

 夜、眠りにつく前にミスリルは思い出す、リューンでの生活を。

 父や兄と馬で駆けた秋の草原。吹雪を呼ぶ、早く流れる黒い雲。晴れ間の真白な雪景色。早春に雪解けの下から顔を出す小さな花。短い夏には庭の小さな噴水に足を浸して乳母に怒られた。

 限られた人としか触れあうことの無い、穏やかだった毎日。


 目を上げると常に白い頂上の山並みがあった、あの小さな愛しい国に帰ることが出来るのだろうか。


 そんな想いを打ち明けられるはずも無く、ミスリルは北の宮での日々を過ごす。

 毎日のようにアンリエッタに連れられ鐘撞き塔に上がり、にぎやかさを増す王都を眺めた。

「ミスリル様ご覧になって、旗がたくさん。綺麗ですね。闘技場の中央で時々光っているのは鎧かしら。剣技大会の予選なのかしら」

 長い階段を上ったせいで弾ませた声をあげたアンリエッタの指す方を、ミスリルも見詰めた。明日から夏至祭が始まる街が、華やかに彩られている。

「私たちだけ街に出られないなんて、酷いわ」

「この賑わいなら警護の方々も大変でしょうし、仕方ありませんよ」

「そうなのだけど……」

「でも今夜はアンリエッタ様も招かれておいでですね」

「そう!そうなの!」

 拗ねかけたアンリエッタが、ミスリルの問いかけに破顔する。

「これほど大きな夜会は初めてです私。楽しみですわ」

 わたしは一度も夜会に出たことが無いのですと、この無邪気な姫に話したらどんなに驚くだろうとミスリルは思ったが、質問攻めにあうのは目に見えたので口を噤んだ。


「ミスリル様降りましょうよ。支度に時間がかかりますから」

 階段へ向かうアンリエッタを追いながら、ミスリルは重くなる心を自覚した。


 ミスリルは祭りの前夜祭となる夜会自体にも怖気づいている。初めての夜会なのに、宙に浮いた側妃という、今の立場で悪目立ちするに違いないであろう身が、大勢の目に触れることに慣れていないミスリルには呪わしい。それよりも。


 あの晩餐から、一度も姿を見ないひと。


 会ったときにどうしたらいいのだろうか。どう振舞うべきなのかぼんやりと考えながら湯浴みをし、忙しそうに動く侍女たちに身を任せてドレスを身に着けた。

 鏡の前で髪を結われ、化粧を施され仕上げられた姿に見入った。



「大変お美しゅうございますよ」


 侍女の言葉を聞いたミスリルの脳裏に浮かんだのは、五年前に一度だけお会いできたあの寵姫。

 眩いほどの金の髪、夏空のような青い瞳。既にいないこの国の後宮の主。

 輝くような美姫は、ミスリルを見た瞬間、目を見張り顔を顰めた。

 死してもなお国王に思われている寵姫は、歪めた顔すらも美しかった



 侍女の賛辞を素直に信じることなど出来ない。この国に来てからミスリルは、嘘ばかり告げられていたから。








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[一言] 好きな作品でお気に入りいれたまま何度も読み返してます。 いつの日か また 執筆意欲が起こってくれる事を願っています。
[一言] めちゃくちゃ面白い!続きを…と日付をみたら、、、 続き、気が向けば是非お願いいたします………
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