8話
「……うん、論理的に考えて、完璧な再現度です。マスター、見てください!」
世界が「人類絶滅級の神域」と恐れる静岡のダンジョン『落涙の騙し穴』の地下第3層。
そこに広がっていたのは、洞窟の中とは到底信じられない、どこまでも青く澄んだ海と、真っ白な砂漠のような砂浜だった。
10万DPという莫大な資金を惜しみなく投入し、火山属性の熱量と水属性の環境システムを極限までチューニングして作り上げた、透専用の箱庭リゾート。
パタパタと裸足で砂浜を駆けていくミミは、京都の女将から譲り受けたファッション雑誌を完璧にスキャンし、白のフリルがついた可愛らしい『水着形態』へと【偽造構築】していた。
外見は完全に常夏を満喫する美少女だが、その背後では、彼女の本体である禍々しい魔導書『アルマデル』が、日傘代わりに宙に浮かんで日陰を作っている。実になんともシュールな光景だった。
「マスター、何を呆けているんですか! 紫外線(の模写)でお肌が焼けてしまいますよ。早くこちらへ!」
「いや……お前がそこまで完璧に『海』を再現するとは思わなかっただけだ。波の音まで本物そっくりだな」
透は苦笑しながら、おいでやすから格安の10DPで購入した最高級のラタン製ビーチチェアに腰掛けた。
この階層には、もちろん罠など一つも設置していない。自衛隊が外側を完全封鎖して誰も入ってこないのだから、防衛網を敷く必要すらないのだ。
「ふふん、私を誰だと思っているのですか。世界初のユニークモンスターですよ? さあ、京都の女将さんから届いた『Aランク・近江牛の塊肉』を、我がダンジョンの【魔農場】特製ハーブで味付けした特製BBQです! 召し上がれ!」
串に刺さったジューシーな極上肉を差し出され、透はそれを口に運ぶ。
口内に広がる圧倒的な旨味と、南国風の爽やかな風。地上では自衛隊と対策庁が「S級の脅威にどう立ち向かうか」と血眼で会議を重ねているというのに、この空間の贅沢さは、世界の誰も想像すらできないだろう。
そんな至福の時間を過ごしていると、透の網膜のシステム画面に、けたたましいアラートが鳴り響いた。
裏同盟チャット【47】が、かつてないほどのログの濁流で埋め尽くされている。
『おいおい大阪のコンサルDMども、一瞬で防衛線崩壊しててワロタwwww』
『あいつら「これからはKPI管理とロジックだ」とか言って表スレでイキり散らしてたくせに、自衛隊の新型「対魔導重爆撃ドローン」の前にSR魔物が3分で消し飛んでやんの』
『大阪のコア、耐久残り10%だってよ。コンサルDM、今チャットの表で「誰か!! 誰でもいいから高ランクの対空魔物を融資してください!! なんでも言うこと聞きますから!!」って号泣して土下座してるぞ』
表スレで透の「初手1万DP」を嘘松だと叩き、意識高い系のマウンティングを繰り返していたコンサルDMたちが、政府の本気に触れて一瞬で詰みかけているらしい。
画面を見つめる透の横で、ミミが肉をもぐもぐと食べながら、冷ややかな紫の瞳でログを覗き込んできた。
「あら、あの非論理的なお口だけ達者なコンサルさんたち、もうチェックメイトですか。無様ですね、マスター」
「まあ、あいつらは現代日本の『会社組織のセオリー』をそのままダンジョンに持ち込んだからな。自衛隊の『戦争のセオリー』が変わった瞬間に対応できなかったんだろ」
透は冷徹にコーヒーを啜り、匿名アカウントのまま、表スレのコンサルDMに向けて1枚の『石ころ』を出品した。
価格は――80,000 DP。
『静岡(名無し):大阪、お前らのユニークスキル【アナリティクス(効率厨)】の権限を、システム規約の「譲渡契約」を介して俺に永久売却しろ。それが条件だ。呑むなら、この石を落札しろ。自衛隊のドローンを叩き落とせる『UR:雷霆のガルダ』をお前の目の前に転送してやる』
透の手元には、先ほどガチャのハズレ(俺の海には不要な鳥)として引いたURの怪鳥が眠っていた。
数秒の沈黙の後――。
『成立:【スキル権限・アナリティクス】が静岡(名無し)に譲渡されました』
『80,000 DPが口座に振り込まれました』
「交渉成立だ」
大阪のコンサルDMは全財産とスキルを透にカツアゲされ、命からがら生き延びた。一方、透はリゾートの椅子に座ったまま、8万DPと「敵の能力を奪う権限」を手に入れ、さらに資産を拡大させた。
「さすがマスター、息をするように他人の資産をハッキングしますね」
ミミが尊敬と呆れの混ざった視線を送ってくる。
その拍子に、彼女の頭上の『隠し進化ゲージ』が、またしてもカチリと音を立てて上昇し、ついに「第2段階の進化」の手前まで到達した。
「ん? またゲージが動いたな。……今回は、何がトリガーだ?」
「ふふん、わかりませんか? 『マスターと一緒に美味しいお肉を食べて、バカンスを満喫して、最高に幸せ』というロジックですよ!」
少女の姿をした最凶の偽書は、波打ち際でパシャパシャと嬉しそうに水を跳ね上げる。
地上側の志摩一課長が「静岡のマスターが大阪のDMを吸収し、巨大なダンジョン連合を組織した……!」と、ショックのあまり胃薬をガぶ飲みしていることなど、今の透にはどうでもいいことだった。
青い海と白い砂浜。
世界で最も危険で、最も優雅な引きこもりマスターのバカンスは、まだまだ続いていくのだった。




