2話
「東京DM(固定ハンドルネーム:1太夫)」の書き込みは、相変わらず悲壮感に満ちていた。
『おいマジで聞いてくれ。自衛隊のやつら、ダンジョンの入り口に土嚢積んで重機関銃配置しやがった。うちのSRオーガ君、一歩も外に出られないままハチの巣にされて消し飛んだぞ。無理ゲーだろこれ』
『草。東京の自衛隊ガチすぎだろ』
『防衛線崩壊おめでとう。1太夫、明日にはコア割られて一般人に戻るな(白目)』
『一般人に戻れるならまだマシ。コア破壊のペナルティが「死」だったら終わりだけどな。あーあ、指定召喚できるDPさえあれば、LRのドラゴンでも呼んで焼き払ってやるのに』
湿った薄暗い洞窟の奥。黒崎透は、自身の網膜に投影された【DMチャンネル】の画面を眺めながら、静かに息を吐いた。
「正面から重火器と撃ち合おうとするからそうなるんだ。戦術の基本がなってない」
初日の防衛戦で得た12,000DP。
透はこれを無駄遣いせず、極めて合理的に投資していた。
3,000DPを消費し、第1層の隠し通路の奥に設置したのは、施設【農場(Cランク)】。本来はオークやゴブリンの食料となる作物を育てるための施設だが、透の目的は別にある。
パタパタと、新設された畑の周囲を嬉しそうに舞う、1枚の紙切れ――最初の相棒であるミミ(ミミカル・ペーパー)がいた。
「ミミ、調子はどうだ?」
透が声をかけると、ミミは畑から生じる淡い魔力の粒子を吸い込みながら、表面に『◎』の文字を浮かび上がらせた。
その瞬間、透の視界の端に、これまで見たことのない小さな『ゲージ』が出現し、わずかに右へ動いた。数値や詳細な説明は一切書かれていない。
「……ん? なんだこのゲージは。ミミのステータスの一部か?」
透は首を傾げた。この世界システムは不親切だ。魔物の「進化条件」はおろか、このゲージが何を意味しているのかすら教えてくれない。
だが、ミミが農場の魔力を吸い込んだタイミングで動いたことは確かだ。
「魔力を吸うことで成長しているのか、あるいは俺がここに配置したこと自体が何か影響しているのか……。まあいい、ミミが喜んでいるなら損はないな」
今は分からない隠し仕様も、データを集めればいずれロジックで解き明かせる。そう結論づけた透は、農場で「ミミの文字擬態に最適な、古びた質の良い羊皮紙」が収穫できるようになったことを確認した。
これで、より精巧な「嘘の遺品(偽メモや偽地図)」を自給自足する体制が整った。
残りのDPで、透は通路の構造自体はあえて変えず、100DPの初期型落とし穴をさらに3箇所増設した。重要なのは、人間を「直進したくなる心理」に誘導することだ。
ひと通りのリフォームを終え、透は再び掲示板に目を落とした。スレ民たちは相変わらず「初日の稼ぎなんて数十DPが限界だ」「人間が警戒して入ってこない」と愚痴をこぼし合っている。
画面の端には匿名での書き込みフォーム。透は特に深い意味もなく、指先を滑らせて一言だけ投稿した。
『初手で1万DP超えたけど、これって多い方?』
一瞬、スレッドの動きがピタリと止まった。
数秒の後、ログが爆発的な速度でスクロールし始める。
『は?』
『おい、特大の嘘松(嘘つき)が沸いたぞ』
『初手で1万とか、何人殺せばそうなるんだよ。Lv.10のベテランパーティーを全滅でもさせたのか?』
『どうせ東京か大阪のトップDMの釣りだろ。1太夫を煽るな』
『いや、自衛隊相手にそんな余裕あるわけねぇ。どこの田舎のDMだ? 証拠のSS晒せよ』
猛烈な嫉妬と煽りの嵐。スレッドは一気に大炎上した。
透はフッと冷たい笑みを浮かべ、それ以上は何も書き込まずに画面を閉じた。
「……やっぱり、他のDMはシステムの表面しか見ていない。力でねじ伏せることしか考えていないなら、遠からず脱落するな」
彼らは気づいていないのだ。
ダンジョンとは力と力のぶつかり合いではなく、人間の心理をハッキングするデスゲームの盤面であるということに。
◇
同じ頃。地上――静岡県の山中にひっそりと佇む、主人公のダンジョン入り口前。
そこには頑強な防砂フェンスが張り巡らされ、自衛隊の大型テントがいくつも設営されていた。
「――妙ですね」
緊迫した空気が漂う作戦本部テントの中。
並べられたいくつかの「遺品」を見つめながら、眼鏡の奥の細い目をさらに細めさせた男がいた。
男の名は、志摩。日本政府が急遽設立した『ダンジョン対策庁・第一情報分析課』の課長であり、数々の特異災害をロジックで解決してきたキャリア官僚――国が送り込んできた「特定要人」だった。
志摩の前には、初日に突入して未帰還となったFランク探索者3人の、衣服やスマホ、武器が綺麗に並べられている。
「……何が妙なんだ、志摩くん」
自衛隊の連隊長が、怪訝そうに尋ねる。
「彼らの遺品です。死体はダンジョンに吸収されたようですが、装備品だけがまるで『ゴミ箱に捨てられた』かのように、入り口の外へ排出されていました。さらに不自然なのは、武器や防具に戦闘の痕跡(血痕や魔法による摩耗、刃こぼれ)が一切ないことです」
志摩は手袋をした手で、回収されたスマートフォンの通話ログを指し示した。
「彼らは死ぬ直前、地上の仲間に連絡を入れています。『右の通路には凶悪な毒蜘蛛の巣があるという先人のメモを見つけた、だから安全な左の通路へ進む』と。しかし、我々の初期ドローン調査では、右の通路に蜘蛛の生息痕跡など微塵も確認されませんでした」
「つまり……どういうことだ?」
「彼らは、何者かが意図的に設置した『偽の情報』に踊らされ、警戒心を完全に奪われた状態で、自ら進んで罠に飛び込んだ。……いえ、飛び込まされたのです。戦闘すら発生していない。ただの『作業』として、静かに処理された」
志摩の鋭いプロファイリングに、作戦本部内の空気が凍りつく。
「モンスターの暴力ではなく、人間の心理をハッキングしてくる極めて陰湿で、知的な『知能犯』がこの奥にいる。……これまでの脳筋なダンジョンとは毛色が違います。連隊長、このダンジョンの危険度レートを『C』から『B(要警戒・単独進入禁止)』へ引き上げてください」
志摩は眼鏡をクイと上げ、入り口の暗闇を冷徹に見据えた。
「私が現地で直接、次の調査を指揮します。次はプロの探索者と自衛隊の混成部隊を投入し、外側から外堀を埋めさせてもらいましょう」
◇
その瞬間、洞窟の最奥にいた透の脳内に、無機質なシステムアナウンスが響き渡った。
『地上側の警戒度が一定値を突破しました。ダンジョン固有特性――【猜疑の霧】が解放されます』
ゴゴゴ……と、地鳴りのような音が微かに響く。
次の瞬間、透の足元から、うっすらと紫がかった不気味な霧が湧き出し、またたく間にダンジョン第1層全体へと広がり始めた。
【猜疑の霧】。
侵入者が「嘘の情報」や「罠」に引っかかるたびに発生し、その霧を吸った人間の「仲間への信頼度」を強制的に低下させる精神デバフ(バッドステータス)。
脳内マップの【ブレイン・リンク】を通じて、地上側のテントが増え、自衛隊の配置がより強固なものへと変わっていくのが手に取るように分かった。
「政府のプロが、集団で俺を潰しにくるわけか」
透は恐れるどころか、ゾクゾクとするような知的な興奮を覚えていた。
手元には、ミミが先ほど農場の羊皮紙を使って作り上げた、新しい『精巧な偽の攻略地図』がある。
「あの謎のゲージの意味も気になるが……まずは目の前の盤面だ。仲間同士の固い絆とやらが、この霧の中でどこまで持つか……。次の盤面で、じっくりと試させてもらおう」
暗闇の中、知性派のマスターは、次なる獲物たちを迎え撃つための完璧な「チェックメイト」の配置を始めるのだった。




