13話
日本全土のダンジョンが、静岡の『落涙の騙し穴』を頂点とした巨大な「温泉カルテル」へと変貌を遂げてから、わずか数日。
自衛隊や探索者たちが次々と温泉で骨抜きにされ、日本政府が事実上の戦闘放棄に追い込まれたその異常事態は、海の向こうの「怪物」を動かすに十分すぎた。
最深部の居住区。第2段階の進化を遂げ、ほんの少し大人びた美少女の姿となったミミ(アルマデル)が、淹れたてのハーブティーを透の机に置きながら、網膜のシステム画面を凝視した。
「マスター、【DMチャンネル】のグローバルサーバーが、たった今、強制的にジャックされました。……来ますよ。論理的な、最高峰の『力』が」
次の瞬間、透の視界が真っ赤な警告エフェクトで染まり、全DMの脳内に世界システムの重々しいアナウンスが轟いた。
『世界ランク第1位・北米総督DM【ワシントン】が、日本全土のダンジョンカルテルに対し、システム規約第8条に基づく【強制包括ダンジョンバトル】を申請しました』
『拒否権はありません。3日後、日本全土の四十七の迷宮は、アメリカが保有するUR級の大迷宮と空間的に強制結合されます』
「……強制包括バトル、だと? 拒否権なしとは、さすがは世界トップのユニークスキルだな」
透はティーカップを口に運びながら、細めた目で北米トップDM『ワシントン』のステータスデータを解析した。
アメリカは異世界化の初手から「軍事力」で国内のダンジョンを完全制圧し、一人のエリート軍人に全てのDPと魔物を集約させていた。彼が持つユニークスキルは、対象の同意なく戦いを強制する超理不尽な権限。彼らからすれば、日本の「温泉引きこもりネットワーク」など、小賢しいだけのモルモットに過ぎないのだろう。
グローバルチャットには、ワシントンからの傲慢な英文メッセージが躍り出た。
『日本のDM諸君。君たちの“温泉ごっこ”はここで終了だ。我が軍の誇るUR級の兵隊が、3日後、君たちの温い湯船を血で染めるだろう。大人しくコアを明け渡し、アメリカの管理下に入れ』
裏同盟チャット【47】は、一瞬にして絶望の阿鼻叫喚に包まれた。
1太夫が『終わった、今度こそ日本が滅びる!!』と絶叫し、大阪のコンサルDMも『UR級の軍隊相手では、おもてなしの心理誘導すら通用しない……!』と腰を抜かしている。
だが、極上の知性派マスターである黒崎透だけは、不敵に口元を歪めていた。
「面白い。正面から軍隊(暴力)で押し潰せば、全てのロジックを破壊できると思っているわけか。……典型的な、脳筋の横暴だな」
「マスター、いかがいたしますか? 私の【因果を統べる聖典】の力を使えば、彼らの『進軍の歴史』そのものを偽造し、太平洋の藻屑と化すことも不可能ではありませんが?」
ミミが背後の美しい金色の聖典を輝かせ、好戦的な笑みを浮かべる。
「いや、ミミ。相手は世界最強の軍隊だ。まともに因果をねじ曲げようとすれば、こちらのDPが枯渇する。……チェスの基本を教えてやろう。強い駒が突っ込んできた時は、その『強すぎる推進力』そのものを利用して、自滅させるのが最も美しい」
透は現在、140人以上の難民(お客様)と、東京・大阪からのロイヤリティによって、48万DPという国家予算級の資産を保有している。
「おいでやすさん、聞こえるか。……至急、うちの第3層の『露天風呂エリア』のシステムを、日本全土の全四十七ダンジョンの入り口へと、システムリンク機能で強制拡張する。……アメリカの軍隊が突入した瞬間、彼らの足元を『我が系列店の、地球最高峰の極楽温泉』にすり替えるぞ」
透が描いた次なる盤面。それは、アメリカの誇るUR級の最強軍隊が、空間結合によって日本へ一歩足を踏み入れたその瞬間――彼らの眼前に「最高級の湯気」と「近江牛のBBQの香り」、そして「極上の精神デバフ(猜疑の霧)」を同時に浴びせるという、世界規模の【極楽ハメ技】だった。
どれほど強靭な肉体と精神を持った無敵の軍隊であっても、戦うべき『敵』がどこにもおらず、ただ極上の癒やしと、仲間への不信感だけが充満する楽園に放り込まれれば、その進軍のロジックは内側から完璧に崩壊する。
地上では、この世界大戦の兆候を察知した志摩一課長が「静岡のS級マスターが、ついにアメリカ合衆国を次の『捕食対象』に定めた……! 彼は日本を餌にして、世界ランク1位の頭脳を奈落へ引きずり込もうとしている……!」と、ショックのあまり泡を吹いて気絶していた。
「さあ、世界ランク1位。お前たちの『暴力のセオリー』が、俺の『極楽のロジック』に通用するか……3日後、最高のチェスを楽しもうじゃないか」
神のペンとなったミミを従え、48万DPの富を手にした引きこもりマスターは、世界をハッキングする次なる壮大な一手を指すために、静かに盤面を見据えるのだった。




