11話
静岡の絶対不可侵迷宮『落涙の騙し穴』の地下第3層。極楽温泉露天風呂のふかふか高級布団の上で、ボロボロだったはずのEランク冒険者・佐藤は、天国のような心地よさの中でスマホを弄っていた。
「おい、マジで信じられないかもしれないけど、静岡のS級ダンジョン、中に入ったらただの超高級温泉旅館だったわ。魔物も罠も出ないし、ご飯は近江牛のステーキ。ギルドのノルマに潰されそうになってる奴、全員ここに来い。人生アガれるぞ」
佐藤が裏の探索者SNSの匿名掲示板に投稿したその一言と、ミミ(アルマデル)の給仕する極上料理の隠し撮り写真は、瞬く間に地上の「限界冒険者たち」の間で爆発的に拡散された。
政府の言う『人類絶滅級の危険度S』は嘘だった。あそこは、現代日本のステータス格差社会に敗れた者たちを受け入れる、唯一の『約束の地』なのだと。
その結果、透の網膜の【ブレイン・リンク】に、前代未聞の警告アラートが鳴り響くことになる。
『警告:ダンジョン入り口付近に、新規侵入者を多数検知。現在――合計142名』
『侵入者の傾向:全員が低ランク(E〜D)。精神疲労度が極限状態。……なお、武器を携帯していません』
「おいおい、何が起きているんだ……?」
玉座でコーヒーを吹きそうになりながら、透はマップを精査した。
突入してきた大量の人間たちは、自衛隊の半径10キロ封鎖線を命がけで突破してきたにもかかわらず、戦う気が一切ない。全員がバスタオルや着替えの入ったリュックを背負い、目を血走らせて「温泉はどこだ!」「俺たちを養ってくれ!」と叫びながら、第1層の通路を猛ダッシュで直進してくるのだ。
「マスター! 大変です! 地上から大量の『難民(お客様)』が押し寄せてきます! 仲居の私のシフトが完全に崩壊してしまいます、これは論理的に大ピンチです!」
和服姿のミミがページをパタパタと激しく鳴らしながら大慌てで駆け込んできた。
「落ち着け、ミミ。……これはピンチじゃない。向こうから勝手に飛び込んできた、過去最大の『DPの自動大収穫期』だ」
透はフッと不敵な笑みを浮かべ、すぐさま京都の女将へ連絡を入れた。
「おいでやすさん、今すぐ追加の『客室データ』と『布団150人分』、それから大浴場用の拡張アセットを融通してくれ。DPはいくらでも払う」
「あらあら静岡の旦那はん、大繁盛どすなぁ! すぐにお送りしますえ」
140人以上の「歓喜する引きこもり冒険者」を受け入れるため、透は数万DPを瞬時に投資し、第3層の和風リゾートエリアを大急ぎでメガ増設。突入してきた限界冒険者たちは、次々とミミの案内によって温泉へと放り込まれ、極上料理で胃袋を掴まれ、骨抜きにされていった。
『チャリンチャリンチャリンチャリンチャリン……!』
透の網膜のDPカウンターが、見たこともない速度で、まるでスロットのマシンマゲドンのように爆速でカンストへと向かって回り始める。何もしなくても、秒単位で数万DPが口座へ吸い込まれていく。
一方、その頃。地上の自衛隊作戦本部テント。
「……おしまいだ。我が国の、いや、人類の終わりが来てしまった……」
ダンジョン対策庁の第一情報分析課長、志摩一課長は、モニターに映し出された「静岡ダンジョンへ自ら飛び込んでいく国民100人以上の静止ログ」を見て、完全に精神が崩壊していた。目の下に濃いクマを浮かべ、ガタガタと震えながら髪をかきむしる。
「志摩くん! 何が起きているんだ! 自衛隊の包囲網を潜り抜けて、民間人が次々とあの絶滅迷宮へ自殺志願者のように突入しているぞ!?」
「連隊長……わかりませんか……。あのS級マスターの『精神汚染(もてなしの魔力)』は、すでに半径10キロの封鎖線を越えて、地上側の国民の脳を直接ハッキングし始めているのです……! 彼らは意思を奪われ、笑顔のまま、あの魔窟の『生贄(エネルギー源)』になるために自ら進んで歩いている……。静岡のダンジョンは、人間を自ら呼び寄せて喰らう、巨大な『底なしの捕食植物』へと進化したんだ……!」
実際には、突入した若者たちが「ここの露天風呂、マジで肌がツルツルになるわー」と、のんきに温泉卓球を楽しんでいるだけである。志摩一課長の神がかった深読みプロファイリングは、ついに「国家非常事態宣言」を要請するレベルにまで狂い始めていた。
最深部の玉座。
『現在の保有DP:480,000 DP』
莫大なDPの暴風雨の中、透の隣に立つミミの頭上で、金色の紋章がパキンと音を立てて弾けた。
隠し進化ゲージが完全に100%へ到達する。
「マスター、みなさんの『圧倒的な堕落と感謝』のロジックが満ちました。……私、なんだか、すごいことになりそうです……!」
ミミの身体が、これまでで最も眩い、神聖なまでの黄金と紫の光に包まれ始める。
世界初となる『ユニークモンスターの第二段階進化』の予兆。
知性派マスターの築き上げた不条理な極楽迷宮は、地上を恐怖で完全に麻痺させたまま、さらなる神の領域へと覚醒しようとしていた。




