↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
炎と氷の帰還者――魔法が罪になった祖国で  作者: parupuntist
第一章 異端

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/16

二 欠けた器

 港町の名が変わっていた。


 防波堤のつけ根に立つ石に、ふたりの知らない名前が彫られていた。ヴェルヌ。もとは聖アルジェの港と呼ばれていた場所だ。聖人の名前をもらっていた港は、五年のうちに、誰の名前でもない呼び名に変わっていた。


 聖アルジェは、不作の年に自分の蔵を開いた司祭の名だ。六歳のネージュは、その話を父から聞かされた。施しをした側の、いい話として聞かされた。


 いまになって思う。あの話には、施しを受けた側の名前が、ひとつも出てこなかった。


 連れていかれる道すがら、誰もふたりを見なかった。


 それは、無関心とは違った。網をつくろう手が止まり、樽を転がす音が消え、そして全員がそろって別のほうを向く。見ないということに、みんなが慣れていた。慣れるほど何度も、これがくり返されてきたということだ。


 ひとりだけ、目が合った。


 路地の入口に立っていた、中年の女だった。ネージュの顔を見て、次に手首の環を見て、それから口の形だけで何か言った。声は出さなかった。


 ――かわいそうに。


 そう言ったように、ネージュには見えた。


 同情されている。自分たちが。


 そのことが、この五年で何が起きたのかを、どんな説明よりもはっきりと伝えてきた。


◇


 詰所は、もとは港の役所だった建物を使っていた。


 石造りの、天井の高い部屋。壁ぎわに机がみっつ。窓の格子は新しく、外から打ちつけたばかりの木の色をしていた。前はこの部屋に、出入りする船の模型が並んでいたはずだ。棚のほこりの跡が、模型の形に残っていた。


 壁には、船の出入りを書きこむための黒い板が残っていた。文字は消されていたが、表の線だけが白く残っている。誰かがていねいに引いた線だった。


 ふたりは長椅子に並んで座らされた。


 座面に、細い傷があった。


 爪ではない。金具か、石のかけらか。ネージュは指でなぞって、それが文字だと気づいた。


 ――ちがう。


 それだけだった。彫りかけて、途中でやめたのか、やめさせられたのか。


 何が違ったのだろう。人違いか、罪のことか、それとも、世界のほうか。


 正面の壁に、掲示板がある。


 布告や手配書が何層にも重なって貼られ、古いものの角だけが、下からはみ出している。いちばん上の紙は先月の日付で、魔法使いをかくまった者への罰が書かれていた。


 ネージュの目が、その下の一枚で止まった。


 黄ばんで、四隅が丸くなった紙。文字が薄れかけている。ずいぶん古い。はがされないまま、上から何度も紙を貼られて、それでも下からのぞいている。


 名前がふたつ、書いてあった。


 アッシュ・レイドルフ。ネージュ・フォンティーヌ。


 年齢の欄は、十一歳と十一歳。


「……アッシュ」


「うん。見えてる」


 ふたりは、五年前から手配されていた。


 六歳で国を出た子どもが、十一歳になったところで、名前だけが紙に載せられた。そして誰かがそれをはがさずに、五年間、上から紙を貼りつづけた。


 待たれていたのだ。ずっと。


 アッシュは掲示板から目をそらせなかった。父や母がもういないかもしれない、ということは、まだ形を持っていなかった。だがこの紙は形を持っていた。自分の名前が罪人として、五年間、この壁で待っていた。


 喉の奥が熱くなる。環の内側で、魔力が渦を巻いた。


「三秒」


 ネージュが小さく言った。


「……」


「三秒だけ。お願い」


 アッシュは息を吸って、吐いた。環の温度が下がった。


◇


 水を運んできたのは、桟橋にいたあの若い兵だった。


 縁の欠けた器をふたつ、盆に載せている。盆が細かく震えていた。長椅子の前にしゃがんで器を床に置こうとし、置き場所を決めかねて、二度置き直した。


「……どうぞ」


 ふたりを見ていた。目をそらさずに。この街で、まともに目を合わせたふたり目の人間だった。


「ありがとう」ネージュが言った。


 少年の肩が、びくりと動いた。礼を言われると思っていなかったらしい。


「あの……あんたたち、本当に、十年も海の向こうにいたのか」


「本当だよ」


「じゃあ……何も、知らないのか」


 その聞き方で、ネージュは覚悟を決めなければならないとわかった。


「何を知らないのか、教えてもらっていいですか」


 少年は口を開いた。開いたまま、言葉を探して、探しきれずに閉じた。若い顔に、とまどいと、あわれみと、それからはっきりとしたおびえが、いっぺんに浮かんでいた。


「ノイ」


 奥から、頬に傷のある男の声が飛んだ。


「戻れ」


 少年は立ち上がった。盆を抱えて、二歩下がって、それから小さく言った。


「……悪く思わないでくれ」


 誰に向けた言葉なのか、本人にもわかっていないようだった。


 ノイが出ていったあと、ネージュは小さく言った。


「あの子、たぶん、私たちと同じ歳」


「そうだな」


「五年前は十一歳。……十一歳の子が、何を選べたと思う」


 アッシュは答えなかった。


 答えの代わりに、掲示板の古い紙をもう一度見た。自分の名前が、十一歳のまま、そこで止まっている。


 五年前、あの少年も自分も、十一歳だった。海をはさんで、ひとりは槍を渡され、ひとりは魔法を教わった。


 それだけの違いしかない。


◇


 残された器の水は生ぬるく、かすかに鉄の味がした。それでもふたりは飲みほした。二週間ぶりの、陸の水だった。


 飲み終えてから、ネージュは器を両手で持ったまま、しばらく動かなかった。


「どうした」


「……この器、王国のものだよ」


 縁の内側に、色のあせた青い線が一本入っている。王家に器を納めていた窯の印だった。子どものころ、屋敷の食器棚にいくらでもあった。


 欠けて、詰所の床に置かれて、囚人に水を出すのに使われている。


「物は、生き残るんだね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。