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炎と氷の帰還者――魔法が罪になった祖国で  作者: parupuntist
第二章 牢の先客

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五 答え合わせ

「確かめさせて」


 ネージュが言った。


 声が、学府の図書室にいるときの声に戻っていた。試験の前の晩に、ふたりで問題を出し合ったときの声だ。


「アッシュも手伝って」


「……何を」


「答え合わせ。この人の話と、私たちが習ったこと。合わないところがあったら、この人はうそをついてる」


 闇の奥で、ヴァイスが小さく笑った。


「どうぞ。好きなだけ」


「深いところに門をつなぐには、魔力がどれくらい要る?」


 アッシュは、焼けた手首をひざにのせたまま目を閉じた。頭の中に、学府の黒板が浮かぶ。


「浅いところの三十倍。……宮廷魔法師団長くらいの魔法使いが、最低でも五人」


「オルトレインの上の席の人は、何人いたんですか」


「当主を入れて、六人」とヴァイスが答えた。


「足りる」ネージュが言った。「ぎりぎりだけど」


「次。錨が切れた門は、どうなる?」


「向こうから来る最初の重さで、閉じる」アッシュが言った。「支えをなくした門は、ひとつ通したら持たない。……それで、一体だけか」


「ひとつだけ、だった」ヴァイスが言った。「門は、あれが通りきったところで閉じた」


「合ってる」


 ネージュは、少し考えた。


「当主の炎が、効かなかったって言いましたね」


「焦げ跡ひとつ」


「深いところのものは、こっちの熱や冷たさを、そのままは受けない。……教科書の、いちばん最後の注釈」


「そんなとこまで覚えてるのかよ」


「覚えてる。深いところのものが、こっちで倒されたっていう記録は、ひとつもなかった。先生は、来たことがないからだって言ってたけど」


 来たのだ。一体だけ。


「いちばん、信じたくないところ」


 ネージュの声が、少し低くなった。


「顔を、写したところ」


「写し身、だろ」アッシュが言った。「深いところのものは、見て、触れたものの形を写す。……でも、あれは伝説だって」


「伝説の出どころ、覚えてる?」


 アッシュは黙った。覚えていた。


 写し身の話は、どれも同じところから来ていた。深いところをのぞいた者たちの記録だ。のぞいた者が書き残した、最後の何ページかから。


「……その記録って、いつも途中で終わってたよな」


「うん」


「書いたやつがどうなったのか、どこにも書いてなかった」


「うん」


 水が、落ちた。


「もうひとつ」とネージュは言った。「荷車で、兵隊が話してたの。皇帝が、月に何頭も馬を欲しがってる。馬小屋に入って、出てこないって」


 ヴァイスは、すぐには答えなかった。


 鎖が、一度だけ鳴った。


「……よく食うんだよ。あれは」


 それだけだった。


 荷車の上で、ネージュは頭の中に年表を組んだ。そのとき、ひとつだけ年表の外に置いた話があった。置き場所がわからなかった話だ。


 置き場所が、見つかってしまった。


「それなら」アッシュが言った。「どうして、仲間を呼ばないんだ。向こうには、あれと同じようなのが、まだいるんだろ」


「呼べないのかもしれない」ネージュが言った。「呼び手は、こちら側の者でないといけない。……向こうのものが、自分で門を開いたっていう記録はない」


「呼べたとしても」


 ヴァイスが、闇の奥で言った。


「僕は、呼ばないと思う。……ここでは、あれがいちばん強い。仲間が来たら、いちばんじゃなくなる」


 アッシュは黙った。


 ひとりで来て、ひとりで国を食った。ひとりのまま、いちばんでいたいのだ。


「最後。手配書」


 ネージュの声が、わずかに揺れた。


「どうして、私たちだったんですか」


 ヴァイスは、ゆっくりと答えた。


「採石場の男たちは、海の向こうにいる子どものことなんか知らない。知っていて、しかも恐れる理由があるのは、魔法院の名簿を読んだ者だけだ」


「名簿」


「名簿の上で、魔力の欄がいちばん高かったのは、海の向こうの十一歳の子どもふたりだった。……あれは、強いものから先に殺す。あの夜、当主から殺したように」


 ネージュが息をのんだ。アッシュも。


「ところが、いちばん強いふたりには、手が届かなかった。海の向こうにいたからね。だから、あの紙を貼らせた。帰ってきたら、すぐに捕まえられるように」


 ヴァイスは言った。


「僕は港であの紙を見て、ゼドがあれだと確信した。……それからずっと、君たちの船を待っていた。あれがいちばん恐れているものが、帰ってくるのを」


 迎えの船、とヴァイスは言った。ゆうべ、最初に。


 その意味が、ようやくわかった。


「……合っちゃう」


 ネージュが、ぽつりと言った。


「何が」


「計算。全部」


 ネージュは、ひざを抱えた。


「信じたくないのに、全部、合っちゃう」


 アッシュは、何も言わなかった。言わなくても、同じ計算をしていた。答えも、同じだった。


 皇帝は、人ではない。


 しばらくして、アッシュが口を開いた。


「そいつの、名前は」


「ゼドだよ」


「そうじゃない。本当の名前だ。向こうでの」


 ヴァイスは、少し黙った。


「知らない。あれは、名乗らなかった。……名乗る必要がなかったんだろう。僕たちは、あれにとって、名前を呼ぶほどのものじゃなかった」


「じゃあ、ゼドは」


「どこにでもいそうな名前だ」


 ヴァイスは言った。


「どこにもいない男の、名前だよ」


 アッシュは、焼けた手首を握りしめた。痛みが、腕を駆け上がった。


 処刑を仕切った男の名前は、知っている。ガルシュだ。けれど、ガルシュに剣を渡したものには、名前がない。


 仇を、名前で呼ぶことさえできない。

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