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炎と氷の帰還者――魔法が罪になった祖国で  作者: parupuntist
第二章 牢の先客

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四 夜が明けてから

 立っているほうの当主は、自分の手を見ていた。


 指を開いて、閉じた。一本ずつ、数えるように。それから口を開け、閉じた。頬を動かした。手に入れたばかりの顔の使い方を、確かめているようだった。


 やがて、倒れているほうの当主を持ち上げた。軽々と。そして、陣の奥の暗がりへ引きずっていった。


 そこから先を、ヴァイスは見ていない。


 目を閉じていた。


 音だけを、聞いた。


 夜が明けるまで、長い音だった。


◇


 牢の中で、水が落ちた。


 ヴァイスは、しばらく黙っていた。アッシュも、ネージュも、何も言わなかった。言えることが、何もなかった。


「朝になって、僕は、使用人の通路から逃げた」


 ヴァイスが言った。声が、少しかれていた。


「帳面は、置いてきた。……あとで知ったよ。その日のうちに当主が、一門の記録をすべて焼かせた。事故の後始末として」


「事故」ネージュが言った。


「そう。事故だ」


 乾いた笑いが、声にまじった。


「その日の昼、当主は宮廷へ出向いて、こう届け出た。深いところをのぞく試みの最中に、未熟な弟子が錨を扱いそこねた。門が暴れて、一門の六名と、記録係一名が死んだ、と」


「記録係も」


「死んだことになった。僕は」


 鎖が鳴った。


「僕は、宮廷の門の前の人ごみにまぎれて、それを見ていた。当主が馬車から降りてくるところを。見慣れた顔だった。歩き方も、声も、当主そのものだった。……ただ、門番に呼び止められたとき、首をかしげた」


 ネージュが、小さく息を吸った。


「あの角度で」


 誰も、それ以上は聞かなかった。


「言えなかった」


 ヴァイスは言った。


「一門でいちばん下の記録係が、宮廷の門の前で叫ぶんだ。当主は化け物に殺された、あそこにいるのは化け物だ、と。……誰が信じる? 当主は、目の前に立っているのに」


 だから、黙った。


 名前を捨てて、港へ流れ、荷を担いだ。魔法が使えないふりをした。ふりをするまでもなかった、とヴァイスは言った。もともと、ないのと大差ない魔力だったから。


 当主の顔をしたものは、宮廷に通った。


 魔法院の書庫に、毎日のように出入りしていた。港の荷運びにも、それくらいのうわさは届く。オルトレインの当主は、事故のあと、人が変わったように勉強熱心になった、と。


「言葉を覚えていたんだと思う。この国のことを。……誰が強くて、誰が弱いかを」


 魔法院の書庫には、王国じゅうの魔法使いの名簿がある。名前と、家と、魔力の強さ。


「それから、あれは採石場を見て回るようになった。鉱山もね」


 なぜ港にいてそれを知っているのか、とアッシュが聞く前に、ヴァイスは続けた。


「採石場の石は、荷車で港へ運ばれてくる。荷を下ろしながら、運んできた男たちがしゃべるんだ。オルトレインの当主さまが、わざわざ石切り場までおいでになった、とね。……この国の、いちばん下の人たちが働いているところにだ」


 少し、間があった。


「魔力がないというだけで、石を運ばされている人たちだ。一日じゅう石を運んでいれば、体は強くなる。……そして、恨みもたまる」


 アッシュは、ドルクの横顔を思い出した。一日に石を六十。運べなければ飯が減る。


「半年たった春に、当主は病で死んだことになった」


「ことに、なった」


「ひつぎは、閉じたまま葬られた。……同じ月に、採石場に、ひとりの男が流れてきた」


 ヴァイスは、その名前を口にした。


「ゼド」


 牢の中が、静かになった。


 荷車の上で聞いた名前だった。蜂起の先頭に立った男。いまの皇帝。


「どこから来たのか、誰も知らなかった。ガレイドという村の生まれだと言った。領主に焼かれた村だ、と」


「ガレイド」ネージュが言った。「……帝国の名前」


「そう。国の名前になった村だ」


 ヴァイスは、少し間をおいた。


「ガレイドという村は、どの地図にも載っていない。僕はオルトレインの書庫で、王国じゅうの地図を見て育った。どこにもなかった。……焼かれた村、ということになっている。焼かれた村なら、誰も確かめに行けない」


 ゼドの話も、同じ荷車の男たちから聞いた、とヴァイスは言った。


 ゼドは強かったという。ふたりがかりで運ぶ石を、ひとりで担いだ。監督に殴られても倒れなかった。怒鳴り返しもしなかった。


 ただ、首をかしげて、監督を見た。


 鳥みたいだった、と男たちは笑った。気味が悪かった、と。


「それを聞いたとき、僕は、担いでいた荷を落としたよ」


「ある晩、ゼドは、採石場の監督に一本の剣を渡した」


 ヴァイスは言った。


「王家の武器庫の剣だ。どこから持ってきたのか、誰も聞かなかった。……いまでは、帝都の子どもでも知っている話だよ。最初の剣、と呼ばれている。剣を渡された監督の名前は、ガルシュ」


 アッシュの息が、止まった。


 処刑を仕切った男。いまの騎士団長。字も読めなかったという、採石場の監督。


「最初の一本を下げて、ガルシュは採石場の見張り小屋へ行った」


「……見張りのところへ、剣一本で?」


 アッシュは聞き返した。見張りが魔法を使えば、剣一本など、届く前に終わる。


 答えたのは、ネージュだった。


「見張りは、魔法使いじゃないもの」


 静かな声だった。


「魔法使いは、石切り場の見張りなんかしない。……父の領地でも、そうだった。小さいころ、馬車の窓から見たことがある。見張りに立っていたのは、剣を下げた、魔力のない人たちだった。同じ魔力のない人たちを、見張ってた」


 闇の奥で、ヴァイスがうなずいた気配がした。


「砦も同じだよ。魔法使いは、数が少ない。少ないから、剣を持たせた者に囲ませて守る。……この国の剣は、魔法使いが振るうものじゃなかった。魔法使いを守るために、魔力のない者に持たせるものだった」


 ネージュが、はっと顔を上げた。


「……じゃあ、見張りの人たちは」


「そう。ガルシュと同じ、魔力のない者だった」


 ヴァイスは言った。


「見張り小屋では、斬り合いはほとんど起きなかったそうだ。見張りの半分は、剣を下げたまま、ガルシュの後ろについた。……剣なら、とっくに持っていたんだよ。足りなかったのは、最初に向きを変える一人だけだった」


 最初の剣、とヴァイスはもう一度言った。


「剣が一本、足りなかったわけじゃない。あれは、最初の一人を作るための剣だったんだ」


 鎖が、かすかに鳴った。


「ついてこなかった見張りもいた。その人たちの剣も、結局は向きを変えた。持ち主が替わってね」


 ヴァイスは、淡々と数えた。


「見張り小屋を出るとき、剣は十本になっていた。十本で、街道の砦へ行った。砦の門を内側から開けたのは、中にいた兵だった。剣は百本になった。どこに砦があって、誰が門を守っているのか、ゼドは全部知っていた。当主の顔で、王国の記録を読んでいたんだから」


「王都も、か」


 アッシュの声が、かすれた。


「王都も、だ。宮廷の魔法師団は戦った。けれど、まわりを守っているはずの剣が、みんな向きを変えていた」


 アッシュは、父の背中を思い浮かべた。杖を構えた父のまわりで、味方だったはずの剣が、一本残らずこちらを向いている。


「……剣が剣を呼んで、その年の十一月に、国が倒れた」


 五年前の、十一月。


「僕はそれを、港で見ていた。荷物を担いだまま」


 王都の方角の空が、ひと晩じゅう赤かった、とヴァイスは言った。鐘が鳴っていた。どの塔の鐘も、決まった間もなく、めちゃくちゃに。


「鐘の鳴らし方で、国が終わるのがわかることもあるんだと、あのとき知ったよ」


◇


 アッシュが、低い声で言った。


「……お前たちが、開けたんだな」


 ヴァイスは、ごまかさなかった。


「そうだ」


「あの門を。お前たちが」


「そうだ。僕たちが開けた」


 アッシュのこぶしが、床を打った。石が鳴った。環が鳴った。焼けた手首に響いて、アッシュは歯を食いしばった。


 ヴァイスは、何も言わなかった。殴られるのを待っているようにも思えた。


 やがて、ヴァイスが言った。


「君の父上は、反対していた」


 アッシュが、顔を上げた。何も見えない闇の中で。


「ひと月前の話し合いで、当主と言い争ったのは、宮廷魔法師団長だった。深いところは、のぞくだけで、向こうにのぞき返される。……そう言って、最後まで反対した。僕はその席で記録を取っていた。一字残らず、覚えている」


「……父上が」


「当主は、師団長を臆病者と呼んだ。王家は、当主のほうを選んだ」


 アッシュは、何も言えなかった。


 灼くより消すほうが難しい、と父は言った。火を消すことを、先に覚えろと。


 その父は、火がつく前に、消そうとしていたのだ。


 そして、誰にも聞いてもらえなかった。


 ネージュは、黙っていた。


 黙って、別のことを考えていた。


 採石場の斜面。一日に六十の石。父親を鉱山へ送る署名をした役人の名前を、いまでも言える男。


 あれは、門のせいでできたものではない。門が開くずっと前から、あそこにあった。


 油は、とっくにまかれていたのだ。あれは、そこに火を落としただけだ。


 ネージュは、それを口に出さなかった。いまのアッシュに言うことではない、と思った。


 いつかは言わなければならない。それも、わかっていた。

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