第一話『愛を届けに駆けていく!』─2
机に並べられたサンドイッチに、鶏肉を煮込んだスープ。わたしの舌に合うようにラファエルが工夫を凝らしたサラダ──有難く思うが、これを見るたびに申し訳なさを覚える。
サラダは一旦後回しにして……少し多めにほおばったサンドイッチをスープで流し込む。
自分の分にまだ手をつけず、わたしの様子を眺めていたラファエルがいつものように聞いてくる。
「味の方は問題ありませんか?」
「うん、いつも通り最っ高!」
このやけに大きな羽の……それから、ほんとう、やけに背の高いラファエルは、もちろん天使なのだが、三大天使という偉くて強い天使のひとりなのである。本人は全体の中では下の方と言っていたが、そうは感じられない。少なくとも日常の中でかかわる天使の中では相当に立場があるように見える。
そして──ラファエルは、わたしの育ての親だ。
赤子だった私は、天国と地獄のちょうど境目のところに捨てられていたらしい。何があったかは……知らない。きっと、色々あったのだろう。
そんなわたしをラファエルが拾ってくれたのだ。このアズマ、という名前もラファエルが付けてくれたものである。
お母さん──そう呼ぶと彼女は少し悲しそうな顔をしてから否定するから呼べないけれど……わたしにとって、ラファエルは母だ。
誕生日のケーキも、毎年欠かさず作ってくれる。誕生日ケーキ……その産まれを祝うためのモノ……。
「……ケーキ」
一瞬咀嚼を忘れて、それから口の中のものを全部、一気に飲み込む。
「それだ!」
思いついたように声を上げ、それから大急ぎでご飯を全て、放り込むように胃の中へと流し込む。のどに詰まらせたら危ないから、もちろん歯で軽くは潰す。
急がなくっちゃならない。とにかく早く……ケーキを作らないといけない。そんな逸る思いのままに皿を空っぽにしていく。
「アズマ? ちゃんと噛んで食べないと危ないですから……」
「はぁんほかんへぇる!」
食べながら喋らない、という言葉には聞こえないふりをして一気に飲み込み、最後に水で流し込む。一度詰まるが、喉を軽くたたいて胃へ落とす。
「それじゃあ行ってきます!」
「え、ちょっと待ちなさい。まだ口に汚れが付いてますよ!」
勢いよく立ち上がり、そのまま扉の外へ飛び出していく。
食卓に残されたラファエルは小さくなる背中を見えなくなるまで見つめ、呟いた。
「……元気すぎるけど、まぁ、元気がないよりは良いですよね」
────
ポケットの中の財布……の、そのまた中の小銭で音を奏でながら、何十何百……ハイハイを卒業してから幾千万回も駆け抜けた道を走る。
軽い砂埃を巻き起こして立ち止まり、まずは製粉屋に飛び込んだ。
「おぉアズマさん。随分息が切れてるけど、お急ぎかい?」
「うん! 小麦粉が欲しくて……明日までにケーキ作んなきゃで!」
もう値段は分かりきっているから、言いながら財布から金額分を取り出し、製粉屋のおじさんに手渡す。
「なるほど。それじゃあいつもラッパの放送で起こしてくれてるお礼に少しサービス——は、し過ぎたせいでハルカルに怒られたばっかだった」
「いつも怒られてるね……」
目じりを震わせながらため息を口からこぼすのハルカルの姿が目に浮かぶ。
ハルカル——というのはこのおじさんの守護天使である。人を守護するタイプの天使には基本的に名前は無いのだけれど、それじゃあ困るから、みんな名前を付けて読んでいる。大抵は守護される人間が幼い時に呼んだ名に決まるので、可愛らしい名前が多い。
ポッケの内の小銭を減らして、それからも道を行き続ける。
少し若めの天使が、走るわたしの横に飛びながら並んで声をかけてきた。
「アズマちゃん! アズマちゃんも買い物中?」
「うん。ケーキの材料集め中だよ。天使さんは……おつかい?」
天使は頷き、そして少し誇らしそうに胸を張る。
「うん。私ね、今度産まれる赤ちゃんの守護天使になる予定でさ。その子の母親が臨月だから……そっちの守護天使もそばを離れられないんだよね。だから私が代わりにおつかいしてるんだ」
「ほんとう!? 最っ高じゃん! 産まれたら絶対にお祝いに行くからね!」
産まれることはなにより喜ばしい。
産まれて、そしてその日から丁度一年が訪れることは……うれしい。
天使と別れた後も、せっせと材料を集めて駆け回る。
さっき買った小麦粉に、たまご四個に牛乳と、リンゴとプラムとベリーを紙袋に詰め込み、両手で落とさないようしっかりと抱える。紙袋のうえから飛び出しそうになるリンゴを落とさないよう、バランスを取りながら走るわたしを少し重たい声が引き留める。
声の方を向いてみれば、そこに居たのは暗い緑色の、能天使の軍の制服を着た天使の男女ふたりだった。
「アズマ・ラファエルか。随分と忙しないが、急ぎか?」
「急ぎ……だね! 明日までにケーキを作らなくちゃでね」
「あら、いいじゃない。アズマちゃんはお菓子作りも好きなんですね。でも今はネフィリムの呪いのことがありますから、早めにお家に帰るようにしましょうね?」
微笑む能天使の女に続いて、ヤレヤレとでも言いたげに息を吐く能天使の男は、口酸っぱく、なんて言葉の似合う態度で言う。
「まったく、朝のラッパで注意喚起があったはずなのに、みんな能天気に出かけてしまうのは何故なのか──いや、そのラッパを鳴らした本人もこうして出かけているのだから、仕方がないのか」
わざとらしいが、反論しにくい言葉にわたしは「それは……」なんて返すことしかできなかった。反論はできない、ならば反抗せずに切り抜けてしまえばいい。
「だってほら、能天使さんたちがちゃんと……護ってくれてるから」
実際これは本心だ。わたしの言葉が嘘や方便でないと分かると、能天使の男は少し困ったように苦笑いをする。
しかし能天使の女が、少し余裕のあるにやけ顔を浮かべ、わたしの口元を指さした。
「あら嬉しい。ところでアズマちゃん? お口に汚れがありますよ?」
「うそ!?」
反射的に手首で口元を拭おうとするが、その前に、能天使の男が呆れながらも自らの羽をハンカチ代わりにしてわたしの口の汚れを拭う。
甘い匂いが少しして、妙に温かいからか、少し眠くなる。
天使の羽は、ニワトリのようにふわふわはしていないし、どちらかといえばコウモリみたいなのだけれど、それでも深い安堵感を与えてくれるのはなぜだろう?
わたしがほわりとした隙をついて、能天使の男がぐちぐちと語り出す。
「アズマ・ラファエル、お前はラファエル様の——ラファエル様の前じゃ言えないが、娘なのだ。だからこそ人間たちの模範となれるようにだな……」
「あ! わたし、急ぎだから、じゃあね!」
あの能天使さんは優しいけれど、説教がやたらと長いのだ。だから、逃げられるうちに走り去る。
「……いつまでも子供だな」
「えぇ。そしてそれもわたしたちがちゃんと人々を守れてる結果と思えば、やり甲斐があるというものですよ」
────
足はともかく、紙袋を支える腕と肩が疲れたので走らずに歩いて進む。
教会の大きな影の中に踏み入り、ふと立ち止まる。
「せっかくだしミカエルさんに挨拶してこうかな」
教会の前を横切らず、軋む木の扉を押し開いた。
「ミカエルさっーん! おはようござい……あれ、いない?」
この教会には普段、三大天使のひとり──ミカエルがいるのだけれど、しかしその姿はない。代わりに掃除をしていた修道士の男が声をかけてくる。
「ミカエル様ならいま、ネフィリムの呪い制圧のための会議に出席なされていますよ」
「ネフィリムの……そっか。大変、だね」
ミカエルは普段、教会の管理をしているのだけれど、同時に悪魔と戦う軍における指揮官でもあるのだ。だからネフィリムの呪いという、最悪に危険な存在のいる状況下においては大忙しなのである。
「……」
ネフィリムの呪いを殺すための……それは、わたしたちを守るための……。
俯きそうになる顔を無理やり持ち上げる。
「お祈りしてから帰りますね」
ほんとう大きな長椅子に腰掛けて、目を閉じ、主への言葉をこころのなかで並べる。
あぶないって……怒られてしまうかもしれない。そんなことを述べる。
でも、だけどこれは……主の教えをちゃんと守ることでもあるはずだから。
だからわたしは……やらなくちゃならない。
やるべきことであり、わたしがどうしてもやらなければならないことだから。
だから、どうか、どうか──
──主よ、最後まで見届けてください。
────
「ただいま!」
心地の良い軋む音を鳴らして扉を開き、家の中に飛び込んだ。
家に着いてすぐ、わたしはさっそくケーキ作りをはじめ……るまえに、ラファエルに叱られないように、しっかりと手を洗い、そして満を持して作り出す。
「よし、それじゃあ……やりますか!」
リンゴの皮を、出来る限り実を削らないようにして剥いていく。ついつい彫刻するみたいに何かを作ろうとしてしまうけれど、今はケーキ作りなので衝動をちゃんと抑えて皮を剥き、それから薄切りにする。
プラムの凹みにナイフを添えて、回すように切り込む。そうしたら次は切れ込みを中心に、両手で掴んで、真ん中の種を起点に、ぐるりと捻って真っ二つである。
種を取ったら口に入れやすいサイズにカットしていく。大きすぎたら食べづらいけど小さすぎたら味気ない……でもケーキだし、結構小さい方が良いのかな?
迷っているうちに随分小さくなってしまったけれど……でもあのお店の果物だ。きっと美味しいはずである。
「……あ、プラムは果汁担当だから、結局潰すのか」
ボウルに細切れのプラムを放り入れて、乳鉢ですり潰す。しっかりと果汁が出るように力強
く、だ。
ベリーはそのまま、手は加えない。
薄切りのリンゴに半液状になったプラムとそのままのベリーを大きなボウルにまとめて入れて、そして軽くかき混ぜる。
「よし。あとは生地だけ」
卵をいくつか割ってまとめてボウルに入れる。殻が少しばかり入ったのでスプーンで取り出し——
「……ぜんっぜん取れない」
スプーンで殻を下から掬おうとしても、透明な卵白が殻を離そうとせず、スプーンを持ち上げるとそのままするりと滑り落ちてしまった。
「いつもは指でやっちゃってたけど……でも贈るケーキだし、さすがに指はダメだよね。じゃあ……スプーンふたつで挟むようにしてやれば!」
両手にスプーンを構えたところで、突然黄身と卵白の海に浮かんでいた殻たちが宙に浮く。そしてそのままゴミ箱まで、自我と翼を持ったみたいにして飛んでいった。
「間抜けなことをするくらいなら、わたしに頼りなさい」
スプーンを左右の手に構える滑稽な様子のわたしに対し、見守っていたラファエルが目を細めながら言う。睨むというより、微笑むように。
「でも自分でやらなきゃいけないやつだったから……」
「そんなに拘ることないでしょう? 誰かの誕生日を祝いたいらしいようですけれど……」
それにしても、と……ラファエルは一言挟んでから。
「誰に送るつもりなんですか? この辺りで誕生日が近い人といえば……来月にふたり居ますけ
ど、まだ早いですし」
「それは……秘密かな」
「まぁ、誕生日を祝福するのは良いことですからね」
そう言ってラファエルは立ち上がり、人差し指を台所に向けると、先と同じようにまた魔法を使う。卵と牛乳に小麦粉は舞い上がって大きなボウルの中へと飛び込んでいき、そのまま勢いよく渦を巻く。
「早い……」
見る間にただの材料の群れだったボウルの中身は固形になり、ドロリとした生地に変身する。
「ここからはわたしがやる!」
さらに魔法を使おうとするラファエルの方に手のひらを向けて制止する。
ラファエルの作った生地に果物たちを混ぜ込む。満遍なく、生地の全体に入り込むようにだ。十分にとろけてきたのでやめにする。重たいボウルを持ち上げ、丸い木製の型に流し込む。そして型を持ち上げようと取っ手を掴むが……。
「それは駄目です、火は危ないですから……」
ラファエルは重たい型を、わたしから取り上げるように持ち上げて、それから軽々と石窯に入れて、焼き始める。
「さて、焼いてる間にお昼にしてしまいましょうか」
いつの間に、そして一体どこで作っていたのか、パンにシチューが机の上に並んでいた。そのままだと顎を痛めると思ったのだろうか、パンには少し過剰なくらいに切り込みが入れられていた。
食べやすく、苦労のないようにと──
──そうして食べて、食べ終えて、過ごして、時が過ぎていく。
窓の先に見える空はもう暗い。わたしの視界も……たまに、意識とは関係なく狭まる。
ラファエルの魔法の光に包まれたケーキは大きく丸く、その表面は小麦畑のようで……窓は閉じているのに、風が吹いたような錯覚を覚える。
水面に浮かぶような薄切りのリンゴ、プラムの薄く赤黒い果汁の染みが表面に馴染んでいる。点在するベリーは明るい黄色の中でまばらに浮かんでおり、ケーキの面は夜空と星々の色をちょうど反対に取り換えたようであった。
ラファエルの壁を埋め尽くすような影がわたしを覆う。
「そろそろ寝てしまいましょうか」
天使でも眠気は感じるようで、その声は少し溶けたようであった。
「結局誰の誕生日なのかはわからないけれど、その人はアズマの大切なお友達なんですか?」
「ううん。そういうんじゃないんだけど……どうしても、祝いたくてさ」
「そう。なら、祝いましょう」
当然のことであると、そんなようにラファエルはすぐに答えた。
それから少し、あえて台本を読み上げるような声で言う。
「産まれることは嬉しいことで、喜ばしいことですから——」
ラファエルの声に重ねて、わたしも言う。
「「喜ぶ者と、共に喜びなさい」」
「——だよね?」
「——ですよ」
言葉を返そうとするわたしの身体は一気に浮かび上がる。ラファエルの魔法……ではない。ただ抱き上げられただけである。
「さすがに恥ずかしいし……もう子供扱いしないでよ……」
「家の中だけだから良いでしょう? 自分じゃもう大人のつもりかもしれませんが、私にとってアズマはまだまだ……」
そこまで言って、ラファエルは言葉を詰まらせる。
「……」
わたしの顔から眼をそらす。
「天使である私にとっては、護るべき人の子なのですから」
ゆりかごのような揺れの中、わたしはそのまま寝室のおおきなベッドへと沈む。
「アズマ。いつもいつも、同じことを聞かれてうんざりかもしれませんが……危ないことは、しようとしていませんよね?」
ラファエルは毎日、寝る前になると不安そうな顔をしてそう尋ねてくる。
わたしはいつもならすぐに「してないよ」と答えるのだけれど……。
「……してるかも」
「隠さないんですね」
ラファエルはいつものような、呆れのため息はつかない。
「……その危険は、困難は、善の道に繋がることですか?」
そう問うラファエルの顔は、心配の色を残しつつも、ひとりの天使として、人と向き合うための真剣なものだった。
わたしは、今度は迷わずに答える。
「うん。教えのことは忘れてない。忘れてないからこそ、やる」
天使は人と違って嘘を知れる。から……わたしはまっすぐ、ラファエルを見る。
「嘘、ついてないって分かるでしょ?」
「えぇ、それが天使ですから」
それに──と挟んでから。
「もし仮に私が天使でなくても、人の嘘を見抜く力が無かったとしても、分かるに決まっていますよ」
ラファエルはわたしの髪をなでて、静かに言う。
「——アズマは嘘をつくのが下手ですから」
「嘘なんて、上手くならない方がいいよ——」
眠ろうと、瞼を下ろす。
穏やかな、温もりのある声。ラファエルが優しく、子守唄を歌う。
愛しくか弱い人の子よ
私の羽は貴方の柔らかな身体を包んで守るために与えよう
貴方の行く先に危険があるのなら、その危険を乗り越えられないのなら、その時こそ私を呼びなさい
安堵を与えよう、愛しい子よ
癒しを、温かさを、貴方に与えよう、人の——
──私の子よ




