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AGAPE  作者: 銀の鍵
第0章『堕天』
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第一話『愛を届けに駆けていく!』─1

 それほど高くはない柔らかい色の屋根が並び、牧場や畑の広がる穏やかな景色の中……ひときわ目立つ、見上げ続けるだけで首を痛めるような塔がある。

 てっぺんには大きな七つのラッパが、塔を囲む景色すべてに音を届けようとするようにぐるりと備え付けられていた。


 日の光。そして──()使()の光。

 光あふれる町に、大きなラッパの音が鳴り響く。


「天国のみなさん、おはようございます! 朝を告げるラッパの放送を始めます!」


 扉を開くと飛び込んでくる風のような、勢いのある声が町中を駆け巡る。

 声の主は一拍置いてから。


「本日のモーニングラッパはわたし。アズマ・ラファエルです」


 本日()、というか本日()ですけどね──そう言う声は(てら)いの色を微かに帯びていた。

 赤毛の長いポニーテールに、フリルの白シャツ。腰より上からすらりと伸びる長いズボンの彼女は高らかな声を町へ届けようとしていた。

 楽し気に、けれども役目のために真面目な声でアズマは続ける。


「今日の天気は晴天の予定です。年間予定の通り、明日からはしばらく雨が多くなる予定ですので、みなさん、お洗濯は今日のうちにいっぱい干しておきましょうね!」


 予定。予め定められたこと。

 天気も、この世界においてはその定めの内側のことであった。


「暑いとあたまがぼぉっとしてしまいますからね。半袖にして、必要以上にお日様には当たらないようにしましょう。日向ぼっこは心地よいけれど……ほどほどにね」


 そして──快活だった声は少し沈む。けれどすぐに声を張り上げて音をつなぐ。


「しばらくは地獄に居た『ネフェリムの呪い』ですが、昨晩、天国での目撃情報が確認されたそうです。まだ被害の確認はされていませんが、気を付けましょう」


 アズマは続ける。


「不審なことがあればすぐに能天使(のうてんし)さんたちに伝えてください。あと、出かけるときはちゃんと守護天使さんに伝えてからにしてくださいね!」


 少し演技するように、声のトーンを一段下げる。


「ネフェリムの呪いの件できっと地獄の悪魔たちも余裕はないでしょうが、こんなときだからこそ皆さんを狙って天国に来るかもしれません。十分に用心してください」


 しなければ、どうなるか。


「悪魔による人間の堕天被害は今年に入ってからはまだありませんが、昨年の被害者の方……そしてこれまでの被害者の方々は未だ、保護できていない現状です」


 いつの間にか、声はアズマの恣意(しい)的な調整もなしに、落ち込んだようになる。実際、彼女は憂いていた。

 いつも、いつも……きっといつまでも。


「能天使のみなさん、またミカエルさんが現在も地獄に介入する方法を模索していますが、難航している模様です。ですからみなさん、悪魔を呼び寄せるようなことはしないようにしましょうね」


 さて──ひと段落済ませたように、肩の荷を下ろすように呟く。

 けれどもここからが、彼女にとって一番大切なことだった。

 アズマは包むような声で語り出す。


「この世には悪魔や、悪意……裏切りが、間違いなくあります」


 悪魔が居ようが居まいが、悪意や裏切りは必ずある。


「悪魔はおそろしく、悪意はあさましく、裏切りは……かなしい」


 三つのうちのどれも、アズマは少しばかりしか知らない。

 それは幸せで、何よりなことであるけれど、アズマにとっては一つの悩みでもあった。彼女はそれでも、真剣に語る。


「それでも……たとえ、どれだけの苦難と対峙することになろうとも」


 受け売りだけれど、心の底から信じる言葉を紡ぐ。


「となりの誰かを、目の前のだれかを信じ、愛することをやめないでください」


 最初に語り出した時と同じように一息吐く。


「それではみなさん、今日も一日しあわせに!」



 アズマは──

 ——わたしは、しっかりとメーターをあげて、マイクをたたいて放送が続いていないかを確かめる。



「よし、今日の放送おわり、っと」


 鈍く光る銀色の……マイク、なんて言うらしい遠くまで音を届ける不思議な道具に背を向けて、わたしは長い階段を降り始める。ほの暗く、廻るように階段をただただ降りていく。


 毎朝これを昇って、降りて、おかげで出された食事を残さず食べても腹ペコだ。これはまぁ、わたしが少し食いしん坊なだけかもしれないけれど。

 降りて、降り続けて──さすがに足がくたびれてきたころ。いつものように壁の方へ顔を向け、灯かりの代わりに壁に空けられた四角い穴を覗き込む。

 洪水のような勢いで視界いっぱいに光が溢れ、目がくらむ。それからゆっくりと黄色い光の幕が消えていく。


 そして視界に広がるのは人々の生活だ。


 人々が起きて、食べて、働いて、眠って……生きるための家々。

 石積みの家は重々しいけれど頼もしく、赤屋根に木の壁の家はなんだか安心感があって……家なのだから当然だけれど、ほんとう、お(うち)──という感じがする。

 丘に広がる牧場では、牛やヤギがそれとなく境を作りながらそれぞれ別の草を食べている。ほかにも牧場にはいくつか居るようだけれど、動物のことはあまり知らない。


 道を歩く子供が足元をやかましく走り回るニワトリたちに翻弄されている。

 そして──天使が舞っていた。

 天使。羽根を持ち、まぶしく輝くヘイローを頭の上に浮かべてる。身体もうっすら光る……そんな存在。

 ある天使は子供の周りのニワトリを捕まえようとして、結局子供と一緒に踊るようになっていた。

 羊を抱えて運ぶガタイの良い天使の姿も見える。


 ここは『天国』。

 人間は天国にて、天使たちに護られながら生きている。もちろん、堕落しないようにちゃんと自分でやるべきことはやっている。


 天使もいろいろだ。

 気象を操りその予定を教えてくれる天使。みんなのことを、身を張って守ってくれる天使。具体的なことはわからないけれど、すごく偉くて強そうなまぶしい天使。

 一人の人間の一生に寄り添い、護ってくれる守護天使。

 そんな天使たちの保護の中で、わたしたち人間は悪の道を進まないよう、日々を懸命に生きているのだ。


 それぞれがやるべきことをやっている。

 わたしは朝を告げるラッパとか……それと、べつにもう子供というような歳ではないけれど、まだ大人でもないので勉強もしている。みんな、頑張って善の道を目指して生きて、天使さんたちもそんなわたしたち人間を護ろうとする。


 ──けれど。


 この世に天国とは別に、地獄と呼ばれる地域が存在している。

 天使とは反対に、人々を利用し、殺す──そんな悪魔のはびこる場所だ。悪魔は光のない濁ったヘイローと、悪魔たちの欲と自意識をそのままさらけ出したような派手派手しい羽をもつ。


 能天使さんたちが天国と地獄の境界線を見張っているお陰で、悪魔たちは基本的には天国に来ないのだけれど、それでも時折侵入し、人を惑わす。そうして、悪魔の誘惑に負けた人間はそのまま地獄に連れていかれ——二度と、帰ってくることが出来ない。


 地獄がどんな場所なのか、その実態をわたしは知らない。天国に住んでいる人間たちは殆ど知らない。けれどそこに連れ去られることがどういうことなのかは……想像に難くない。


 地獄に連れていかれた人、あるいは地獄で生まれた人を天使たちも保護しようと考えているようなのだが——入れない事情があるのだ。

 悪魔と契約した人間は、位の高い悪魔の一存で殺せてしまうのである。

 だから天使は地獄に踏み入れない。救いたいからこそ、何も出来ない。

 これが天国と地獄である。天使さんたちはみんな優しくて強い。けど……上手く行くばかりの世界ではない。


 窓の方から目を背け、少しばかり楽になった足を前に進める。上手くいかないことを思い浮かべながら、前へ進み、下へ降りる。


「……さて、早く帰らないと!」


 息を整え、落ち込んだ表情を両手でぱしりと叩いて切り替えてから最後の一段を降り、塔から飛び出て駆け出していく。力いっぱいに走ってみると、風が肌の上をするりと通っていく。冷たい風、だけれど鋭くない。撫でるような風だ。風の音に紛れてすれ違う老婆の声が聞こえた。


「アズちゃん、走ると危ないから気をつけなさいな!」

「子供じゃないんだから転びやしないよ!」


 老婆の方を向いて、そう言ってすぐ──


「あだっ」


 大きいけれど硬くない何かにぶつかり、わたしは弾かれ尻もちをつく。

 そんなわたしに、あきれたような声が投げかけられる。


「歩くときはちゃんと前を向きなさいと、いつも言っていますよね?」


 他の天使たちと比べても一段と大きな天使──ラファエルが差し伸べてくれる手を取り、立ち上がる。


「う……ごめんなさい。もうしない……です」

「そう言って次の日にはよそ見しながら歩く……というより走るのでしょう? 元気なのは良いことですけれど。怪我はありませんよね?」

「うん。平気だよ」


 それを聞くとラファエルは、安心したように微笑んで、わたしの手を引き歩き出す。


「よろしい、それじゃあ帰りましょうか」


 通り過ぎる人々や天使たちの温かい視線に恥ずかしくなるが、無理に手を振り払えばラファエルが悲しむことは分かりきっている。羞恥より、その方がずっと嫌だった。

 子供のままじゃいられないとは思う。でも……いまのままで居たい。そう思ってしまう。ラファエルの……子供のままで。

 時折ラファエルがこちらに目線を向ける。

 歩くだけで転ぶかもと思われているのだろうか──きっと、思われているのだろう。


 歩いている途中で、ラファエルは突然、少し険しい声を発する。


「ネフィリムの呪いの目撃情報が、また出たそうです——つい、さっき」

「それは……どこで?」

「ここからは少し離れていますが、山の向こうの街で見た、という話をさっきそちらの天使が運んできたんです——間違いなく居るのでしょうね、天国に」


 ラファエルの手に力が込められる。わたしを決して離さないように……遠ざけないように。


 ──ずっと昔、悪くなってしまった天使たちが居たそうだ。その天使たちは人間と子供を作ってしまった。

 そうして、ソレが生まれたのである。

 ネフィリム。

 主にも祝福されない、怪物。

 とても、危ない存在だったらしい。だから消された。波で押し潰すようにして……皆殺しにされた。昔話だから、どこまで本当かは分からない。でも、こんな酷い話を嘯く必要はないから多分、ほんとうなところが多いのだと思う。


 もう何千、何万年も前の──物語。

 物語は忘れず、それでも存在は忘れたようにみんな、ネフィリムのことは昔話のように思っていた。


 だが、ネフィリムの呪いが現れた。


 ネフィリムたちの恨みから産まれた呪いが、長い時を経て、カタチを成したのだ。

 怪物は暴れた。たくさんの人が怪我をした……死んだ人も、いる。

 最近は地獄の方にいたようだけれど、遂に天国に戻ってきたらしい。地獄にいる人達が苦しむのももちろん悲しい。それでもやっぱり、身近な人たちが危ない目に遭うのは……嫌だ。

 天使さんたちもそう思って、ネフィリムの呪いを仕留めようと必死になっている。


 必死に。殺すために。それこそ、呪うように。


「アズマ」


 ラファエルの声に顔を上げる。彼女は不安げに微笑んでいた。——想っていたことを、そのまま顔に出してしまっていたらしい。


「……大丈夫。あなたのことは、そして人々のことは……わたしたちが護りますから」

「わたしたちのことだけじゃなくって、天使のみんなが傷付くのも——」


 傷付くのが、()()()()()()


「──嫌だよ」


 掠れた声で最後に言う。するとラファエルがわたしの頭をその羽で覆うようにしながら撫でる。……子供扱いというより、雛扱いだった。

 そうして少しばかりデコボコした道を進んでいき、大きな……館のような家の前で立ち止まる。


 わたしとラファエルの──家族の暮らす家。

 大切な、大切な……帰る場所。

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