第四話『この世でいちばん欲深いヤツ』-2
「バルバトス、一旦止まって!」
わたしが言葉を発してすぐ。バルバトスは屋上のコンクリートに痕を残してその場に止まる。
わたしは空へ向けて人差し指を伸ばし、なんとなくの──それでもやはり、確かな何かに視える何かを指し示す。
「上──すごく、高いところに、ある」
地面を覆う雷雲の影──そんな、大きく深い暗闇を想起させる羽をバルバトスはその背に生やし、飛び立った。
————
目、眼──金の芽を審美する、瞳。
数え切れないほどの視線がフルフルとイシュマエルを刺す。
「精々喚きやがれ──ください」
メフィストはフルフルに耳打ちをしてから羽を広げて、並ぶ三つの大きな席の中央に腰を下ろす。
両隣は既に、埋まっている。
「三人勢揃いは初めて見たね」
血流のような髪を揺らめかし、羽をドレスに、ほとんど一糸まとわぬ姿の——猫を思わせるような瞳の悪魔、リリス。
刃物のように鋭利な目は、そのまま鋭い耳に繋がるように開かれ、そしてその肩に悪魔らしい三叉槍を掛ける——カエルを思わせるような瞳の悪魔、マステマ。
「ねぇ、カボチャさん。もしマモン様が貴方達への出資を却下したなら……わたしがお金を貸してあげましょうか? 返金の方は貴方の血で良いわよ──長生きの、貴方の血でね」
瞳を赤く光らせ、唇の裏から牙の先を覗かせて言うリリス。対してマステマは面倒くさそうに頬杖を突いてから。
「なんでもいいが、マモン様の怒りを買って俺の仕事を増やすなよ──ゴエティアを罪に問うのは面倒そうだからな」
そんな左右のふたりに対して、メフィストはやはり腹立たしそうにため息をつき、瞼でその人間的な瞳を半分覆う。
マモンの、その在り処を誰も知ることのない会議場。けれどそんな事情とは反対に、会議場に居るのは三魔衆だけではなかった。
イシュマエルとフルフルを囲むようにぐるりと、見下ろすには十分すぎるほどの高さに無数の悪魔たちが座っている。皆、手元の資料を見つめるか、興味深そうにイシュマエルとフルフルを見つめている。
「流石はバ──」
フルフルは、睨むメフィストを一瞥してから。
「──エルの部下共、目の前の価値と未来の利益にしか興味がないらしいね!」
当然の如く、メフィストは怒る。けれどもその席から飛び立つことも、フルフルの元へ降り立つこともしなかった。
怒りを押し殺したのではない。彼を止めたのは深い、尊敬の……親愛の想いであった。
「──マモン」
イシュマエルは三魔衆の背後に置かれた巨大な──まさしく、王座に現れ、腰掛けた悪魔を見据えてその名を呼ぶ。
王冠のアーチに覆われる頭部。アーチの黄金から放たれる反射光が暗いヘイローを照らし、その輪の光はあたかも天使のようである。アーチの隙から覗く赤い顔。目のような形はある、けれど瞳らしきものは全く見当たらない。
燃え盛る金色の川のようになびくローブを纏う姿は、やはり強欲らしい金の香りを漂わせている。
フルフルは一歩前へ出て、そして慣れ親しんだ様子で語り掛ける。
「やぁ、久しぶりだねバエル。まったく……大切な名前を捨て去ったかと思えば随分と趣味の悪い見た目になっているじゃないか。貴族なのに、成金みたいだよ?」
ハハ、とてもゴエティアの貴族とは思えないね──そんな言葉に、やはりまずメフィストが立ち上がる。だが。
翼が、広がる。
黄金のローブは翼となり、そしてその下からは黒衣が見える。
巨大な、掴み続ける……掴んで、掴んで、すべてを求めるように開かれる手のひらのような翼であった。片翼の翼だが、欠落は感じられない。
フルフルは息を呑む。
それでも、震える喉から息を出して、それから小さく息を吸い、「バエル──」そう、虚勢交じりでも呼ぼうとした。同じゴエティアの生まれとして、対等な地位にあるはずという思いから、対等であるべきだという思いから──
「Call me Mammon」
マモンが名乗る。
会議場の誰もが息を呑み、そして呼吸を忘れる。
三魔衆も、フルフルも──イシュマエルさえも、例外ではない。
フルフルは蜘蛛の糸に身を覆われたかのように動けなくなり、そして──
パン──と、マモンが手を鳴らす。
瞬間、全員の呼吸の音が重なった。
マモンは構わず、「フルフル」そう、名を呼んでから。
「無駄口は要らない。プランを話せ」
フルフルは自らの意思とは関係なく──否、明確に意思をもってしてマモンの言葉に従い、政治プランについて語り出す。
「まず、実際に行うことの概要についてを話しましょう──利益性などについては、そののちに」
マモンは足を組み、聞きの態勢に入る。
「主になるものは三つ。徴税。福祉。法の制定、そして施行です」
ざわめきが起こる。それは期待というよりは困惑、或いは落胆であった。ここにいる誰もがこの一週間の中で、一度はフルフルのプランを耳にはしていた、それでも、フルフルが本気であると考えている悪魔は居なかった。きっと、この場でまったく別のプランを挙げるか、或いは何らかの要求をすると思い込んでいたのである。
そんなざわめきを収めたのは、意外にもメフィストであった。メフィストは椅子の手すりを破壊するほどの勢いで叩くと、叫びそうになるのをこらえながら言う。
「貴様らの個人的な考えでマモン様の時間を無駄にするな。ただただ計算と記録……そして、マモン様の金のための思考だけをしていればいい」
ひどい上司だね──言いながらフルフルは続ける。
「支配する地域において、税の徴収を行うつもりです。が……まだ、どの程度にするかは未定ですね。実際に体制を作ってから、維持にどの程度が掛かるかの具体的な数字を出してからになる」
それから、と挟む。
「もちろん、どのような福祉を実施するかにもよる。悪魔も人間も問わず、社会活動を可能にできるような……或いは生存を確定できるような、そんな福祉をしたいと思っています。こちらも実際に体制を作り、市井の動向を見つめなければ具体的なことは見えてこない──決まっているものと言えば、ゴエティア書庫の開放くらいか」
苦言を呈するのはマステマだった。
「さっきから、何もかも後回しで具体的な話が見えてこないが……まさか、語るだけ語って実際に成すつもりは無い、とは言わないよな?」
「ハハ、そんなわけありませんよ」
フルフルは両手を広げる。
「わたしがこうして、ここで出資を求めているのは、つまりその出資金を元手に、特定地域においてこのプランを仮で実施し、地獄全体で行う場合の費用や、すべき福祉を見定めるためなのですから──アピールのために、まだ見ぬ民を勝手に想像して、妄想の具体性を見せつけるようなことはしやしませんよ」
マステマは何も言わない。とくに追及はもう無いようだった。
そして最後に──フルフルは広げた手を、それぞれ自分自身とイシュマエルに向ける。
「法のため、その絶対性の担保はわたしとこのカボチャの王様、それとバルバトスの力になります」
あぁそれから──フルフルはメフィストに視線を向ける。
「ぜひきみにも参加してもらいたいと思っているよ。地獄における契約を管理するきみにね」
メフィストは不愉快極まり無い様子で、さっき壊したのとは反対側の取っ手を木っ端みじんに握りつぶす──が、すぐに平生な様子になる。
「お前の体制とマモン様の体制を繋げる、ということですか。プランがうまくいき、本格的に地獄の管理体制とすることになったときに、こちらの勢力との分断を起こさないようにするための」
「えぇ、あくまでマモンの系列の体制であるという証拠になってほしいんですよ。それに、マモンに不利益を与える法が意図せず出来てしまうかもしれないからね。そんな時、きみがマモンを守るために反対する──どうかな」
メフィストは頷く。あからさまにフルフルを嫌うメフィストではあるが、しかしマモンの利益のためであれば手を組むことも辞さないようである。
「さて。そんな力の元で敷かれる法ですが、こちらについては──」
「どうせ具体的なことはまだなんでしょ? 時間もったいないし、さっさとお金の話をしようよ。わたしとしてはウチの売り行きがアップしそうなら何でもいいからさ」
と、リリスがヤジを飛ばす。けれどフルフルは指を振る。
「いえ。すでに経典があるので──おおよそ、その書を基盤にするつもりです」
イシュマエルがフルフルの横に立ち、懐から分厚いその本を取り出す。
「The Bible──と言ってね。この現実との関連性も見えるし、そしてなにより」
フルフルは両手でハートマークを作った。
「愛、があるんです」
マステマが鼻で笑う。
「善について語っているんですよ。信じ、愛し、救うことが。それから勿論、一体何が悪であるのかということについても──どう読むかは、あくまで物語なので読み手によって分かれそうですけどね」
白けた空気の中、マモンだけは真剣な様子で言う。
「その書による法が、我々悪魔の社会にとっても良いものかは──あぁ、仮実施期間にて見極めよう」
それで──マモンはフルフルを指さす。
フルフルはまるで、槍に貫かれたかのような錯覚を覚えてしまう。
「利益の話をしてもらおう。それさえ良ければ、それで良い」
フルフルは作り直した余裕の顔を、必死に保ちながら再び語り出す。
「まず直接的な収益について。これはあまり期待してもらっても困る。圧政を敷くつもりは無いからね、体制維持と福祉制度におおよそが消えるし、余っても貯蓄一択です」
とはいえ、そう置いてから。
「圧政をしない、ということは反乱なんかも起こりにくい。悪魔はそうだし、そして何より人間もだ。悪魔より、案外人間の方が面倒を起こしかねなかったりするしね」
そう言うフルフルの視線はイシュマエルの方へ向けられていた。フルフルは目をマモンの方へと向けなおす。
「だから、ローリスクで長期的な利益が望めるわけです」
そしてここからが本題だ……言いながら、鹿の角のような形状の羽を開き、飛び立ち、そして三魔衆──その真ん中、メフィストの座る席の、背もたれの上にフルフルは立つ。立ち上がろうとするメフィストの頭をつま先で強く叩き、物理的に黙らせてからフルフルはマモンへ未来の価値を提示する。
「善良で強力な法体制のなかでは──その善良さが消えない限りは平和が生じる、平和は余裕を生み、そして余裕は、新たな価値を生む」
例えば、そう言って、フルフルは面を綴るようなジェスチャーをする。
「余裕のある生活とゴエティアの書庫の情報から、素晴らしいエンターテインメントが生まれたり、或いは万人の食欲が満たされやすい世界の中でもモノを食わせて稼ぐために、とびきり舌の悦ぶ美味しい美味しい贅沢菓子が市井向けにも造られるかも」
或いは、或いは、或いはと──想像でしかない、けれど想像に難くない可能性をフルフルは並べる。
「それに参入者が増えれば競争は加速し、市場は盛り上がる。人間も経済に参加したなら、彼らは代替わりが速いからね、当然文化も急成長するはずだよ」
メフィストが今度こそ立ち上がり、フルフルを叩き落とそうとするが、身を乗り出したリリスに頭を両手で押さえられる。
「ハハ! 老い先短い人間たちはきっとわたしの薬を求めるし、それ、悪くないじゃないの!」
だろう? ──フルフルはにたりと笑い、そしてマモンに言う。
「どうでしょう。わたしのプランは──これ自体が利益を出すものではない。けれども利益を、金を加速させる手立てとなる! 強欲の翼をまとうあなたなら……気に入ってくれると、思うのですが?」
メフィストは不服そうにフルフルを睨み、リリスは嬉しそうに目を細め、マステマはどうだって良さそうに突っ伏す。
マモンは態度を変えず、頷く。
「金の匂いが、強くする──良い香りの話だった。分かった、仮実施における元金の出資は任せろ」
それだけ答えて、マモンは立ち上がろうとする。けれどもフルフルがそれを止めた。
「話はまだ、終わっていない」
「まだ、金の話は終わっていないのか?」
「それは終わった、と言っていいね」
ただ──フルフルは自分の羽を撫でる。
「仮での実施を計画している地域なのですが──これは当然、わたしの屋敷を中心としています。そして……」
「怠惰の翼か」
マモンの言葉に頷くフルフル。
「そう。皆さんご存じでしょうが、あの辺りには怠惰の翼がある──数万年、見つかってはいませんけれどね」
フルフルはあえて自身の羽を畳む。
「不安因子は、排除すべきです。だから──そう、今日ここにおけるわたしの要求の最大は、この怠惰の翼捜索への援助です」
「プランへの出資だけでは足りないとでもいうのか!?」
そう叫ぶメフィストは、最早無視をされる。
「翼の力の強大さはマモン──いや、あえて、やはりバエルと呼ぼう」
マモンは何も言わない。
「バエル。お前こそが、翼の力を理解しているはずだ」
マモンは沈黙をする。そのうえで、バエルは頷き、立ち上がる。
「──その言葉の正当性は、認めよう」
だが──その一音に、フルフルの首筋に汗がひとつ流れ落ちた。
「どうやって見つけるつもりだ」
「だから、お前からの援助で……人手を集めるつもりだと言っているんだ」
マモンの強欲の翼が大きく強くはためいた。フルフルは木の葉のように飛ばされる。
「幾万年。ゴエティアが栄え、そして滅びるほどの時が経つ中……怠惰の翼は何者にも掴まれなかった。目安はかつてからあった。それでも……翼までは辿り着けない。あの翼に近付くということは、死に近づくに等しい」
「それ、でも……」
減らず口だった。それは最早……喚き声だ。
マモンは王座のもとから、羽を使うことすらせず飛び降た。
そして床に転がり、まだ立ち上がれないでいるフルフルを見下ろす。マモンはフルフルの胸ぐらをつかみ、持ち上げた。
「オマエごときが求めるな」
フルフルは睨む。バエルは瞳のない目を、目と言えさしないその目のカタチをした何かをフルフルへ向ける。
「プランへの支援はすると言った。それで、満足しろ」
目を象っていた上下のふたつの線。その線が開く。
「もっと、もっともっと、もっともっともっと──! 強欲になって良いのは、俺だけだ」
開かれた線。その中身は瞳だった。目のカタチを描く線。それこそが目であったのだ。
四つの鋭い瞳が、フルフルを凝視する。
「名の通り、オマエは愚かで愚かで──本当に、どうしようもない。もう価値の無いはずのゴエティアの肩書にさえも相応しくない」
フルフルの瞳が揺れる。普段から足は浮いている。けれど、今この時味わう浮遊感は、これまで生きてきた長い時の中で、一度たりとも感じたことのない──最悪だった。
フルフルは喉を震わせる。
「わたし、は──」「求めるな」
求めて良いのは、マモンだけ。そう、バエルが……マモンが言おうとした時だった。
「そろそろ、わたしにも話させてもらおうか」
イシュマエルが、声を上げた。




