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『鍋ひとつで、王国を救ってしまった件』(連載版)  作者: くろめがね


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第六話 「王都の匂いは、飾っている」

第6話も美味しくどうぞ。

 王都へ続く道は、前線のそれとはまるで違っていた。


 石は均一に敷かれ、荷車の車輪が跳ねない。

 歩くたびに、靴底が規則正しい音を立てる。


 ――整っている。


 けれど、その判断より先に、鼻が違和感を拾った。


 匂いが、重なりすぎている。


 花の甘さ。

 香油の濃さ。

 焼いた肉の脂。

 酒と砂糖と香辛料。


 どれも単体なら、悪くない。

 だが、混じり合った瞬間、胸の奥が詰まる。


「……飾ってますね」


 私が言うと、大きな女性が喉で笑った。


「でしょ。

 腹じゃなくて、目と鼻に食わせてる」


 横を歩く細身の男が、淡々と続ける。


「王都は“見せる”場所です。

 国が豊かだと、示すために」


「……示せてますか?」


 私が聞くと、彼は答えなかった。

 代わりに、通りの端を顎で示す。


 そこには、座り込んだ人々がいた。

 物乞いではない。

 荷も、道具も持っている。


 ただ、動いていない。


 彼らの前を、香りの強い料理を抱えた人々が通り過ぎる。

 視線は、鍋ではなく、湯気に向いている。


 匂いだけを吸っている顔。


 私は、無意識に足を止めていた。


「……配給は?」


「あります」


 男は即答した。


「ただし、順番が逆です」


「逆?」


「まず、“見える人”から」


 その言葉で、すべて腑に落ちた。


 王都は飢えていない。

 でも、満たしてもいない。


 “足りない”という状態を、

 管理している匂いがした。


 門を抜け、さらに奥へ進む。

 人の数は増えるのに、

 呼吸の匂いが薄くなる。


 そこにあったのが、白い建物だった。


 壁は明るく、窓は大きい。

 一見すると、清潔で、整っている。


 けれど、扉が開いた瞬間――

 匂いが裏返った。


 薬。汗。湿った布。

 そして、諦め。


「施療院です」


 男の声が、低く落ちる。


「前線の負傷者、

 街で倒れた者、

 働けなくなった者が集まります」


 大きな女性が、腕を組んだ。


「……長くいる匂いだね」


 私は頷いた。


 ここは“一時”じゃない。

 滞留する場所だ。


 廊下に入ると、寝台が並んでいる。

 病人たちは目を開けているが、

 こちらを見ていない。


 唇は乾き、

 喉は鳴らず、

 腹は鳴らない。


 ――胃が、止まっている。


 白衣の男が、こちらに気づいた。

 医師だろう。

 だが、肩が落ちている。


「連れてきたのは、あなたですか」


「ええ」


 細身の男が答える。


「こちらは料理人です」


「料理人?」


 医師は、露骨に眉をひそめた。


「ここに必要なのは、薬です」


 私は、鍋を床に置いた。


「その前に、

 落とす場所が必要です」


「……落とす?」


「胃です」


 医師が、言い返そうとした瞬間、

 私は寝台の一つを指した。


 若い女性。

 額に汗。

 呼吸は浅く、早い。


「この人、

 今、薬飲めますか」


 医師は、視線を逸らした。


「……水なら」


「水だけじゃ、戻りません」


 私は近づき、そっと匂いを確かめる。


 熱の匂い。

 乾いた匂い。

 そして――怖がっている胃の匂い。


「驚かせたら、吐きます」


 医師の喉が、鳴った。


 細身の男が、静かに言う。


「続けてください」


 その声は、

 命令ではなく、責任を取る人間の声だった。


 私は火を借り、鍋に水を張る。


 ゆーっくり、ゆっくり。


 沸かさない。

 温める。


 薬と汗の匂いの中に、

 薄い、薄い匂いが混じる。


 穀物を少し。

 塩を、ほんのひとつまみ。


 匙で混ぜると、

 音が変わった。


 柔らかい音。

 身体が警戒しない音。


 私は粥を息で冷まし、

 女性の唇へ運ぶ。


「……入れるだけでいいです」


 最初は拒むように、

 唇が震えた。


 だが、温度が優しい。

 匂いが優しい。


 喉が、動いた。


 ごくん。


 医師が、思わず一歩踏み出す。


「……飲んだ」


 二口目。

 ゆっくり。


 女性の呼吸が、

 ほんの少し深くなる。


 汗の匂いが、変わる。

 焦げから、冷めへ。


 医師は、しばらく黙っていた。

 やがて、低く言う。


「……この院では、

 食事は“後”だった」


 細身の男が、即座に返す。


「王都は、順番を間違えます」


 医師は、私を見た。


「……続けてくれ」


 その一言で、

 この施療院の“流れ”が変わった。


 私は鍋を見下ろし、

 いつも通り、ぽつりと言う。


「……今日の夕飯、

 何にしようかな」


 大きな女性が笑った。


「王都でそれ言うの、

 ほんと好き」


 細身の男が、静かに頷く。


「記録します」


「何を?」


「王都が、

 間違いに気づいた瞬間を」


 私は火を見た。


 ゆっくり、ゆっくり。


 王都の匂いは、飾っている。

 でも、湯気は嘘をつかない。


 そして――

 嘘をつけない匂いが、

 王都に、はっきりと混じった。


最後まで美味しく召し上がっていただきありがとうございます。

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