第二話 帳面は、そう言っていない
街道の端に座って、私は肩の塩を落としていた。
落ちきらない。布に食い込んでいる。
——あんたが、何も見とらんと書いたからやろ。
あの人はそう言った。
私は書いた。書いて出した。だから、あの言葉はおかしい。
おかしいのだが、あの人が嘘をつく理由も無い。窓口で、そう言われたと言っていた。
書いていないことに、なっている。
私は膝を抱えて、あの日のことを最初から数え直した。
*
ミルテの迷宮の、深層だった。
その日は朝から風が変で、私は帳面にそう書いた。書いただけだ。風で止まる隊ではない。
降りて三刻ほどで、囲まれた。
私は壁際まで下がった。決まりで、そうすることになっているからだ。戦う人の邪魔にならない場所へ寄って、数を数えて、道を覚える。
「レーム、数は」
ドランさんが怒鳴った。
「十二です。増えています」
「道は」
「左の口が空いています。四人なら通れます」
「荷は」
「置いてください。音が出ます」
「三日分だぞ」
ヴィルムさんが言った。
「戻れば買えます」
ドランさんが舌打ちをした。荷は私が揃えたものだ。だが、そういう話をする場面ではない。
「持たん」
ドランさんが言った。
「退くぞ」
「エミールは」
ゼップさんが言った。ドランさんは答えなかった。
「もう死んでる」
ヴィルムさんが言った。誰も、そうじゃないとは言わなかった。
エミールさんは、崩れた石の向こうにいた。ヨルクさんは、もっと向こうだった。二人の間にも土と石が落ちていて、そこは越えられない。
「退くぞ」
ドランさんが、もう一度言った。
誰も何も言わなかった。ヴィルムさんが荷を落とした。三人が、上り口のほうへ走った。
それ自体は、責められない。行けば全滅していた。私も、たぶんそう決める。
「レーム、走れ」
最後に、ドランさんが振り返って言った。
「私は残ります」
「死ぬぞ」
「決まりですので」
ドランさんは、一瞬だけ止まって、それから行った。
隊が丸ごと危ういときは、助けを呼びに走る。取り残された人がいるときは、看取って、確認する。決まりでは、そうなっている。
助けを呼びに行く先の隊が、もう走っていた。
それに。
私は五年前に、同じ家の分を一度、書いている。言葉なし、と書いて出した。あの家の、下の息子さんだった。
いま逃げれば、言葉なし、確認もなし、になる。
同じ家に、二度。
立派なことをしたわけではない。私は、他の書き方を知らなかっただけだ。
魔物は、走る三人のほうへ流れていった。動くものを追う。
静かになってから、私は石を回って、エミールさんのところへ行った。
腹をやられていた。血のにおいで、寄る前から分かった。六年、そればかり見てきたからだ。
「レームか」
「はい」
「逃げろ」
「いま、行けません。上は塞がっています」
嘘ではない。だが、行けたとしても、私は残った。
「あいつら、行きよったな」
「はい」
「そうか」
エミールさんは笑おうとして、やめた。息が続かなかったのだと思う。
「ヨルクは」
「探します。あとで、必ず探します」
「そうしてくれ」
それきり、しばらく黙っていた。私は帳面を出して、時刻を書いた。仕事だ。
「レーム」
「はい」
「何かあったら、うちの実家を頼れ」
「……はい」
「飯は出る」
言い終えてから、私の肩を二度、叩いた。
それから、動かなくなった。
私は、動かなくなった時刻を書いた。階層も、上り口からどう行くかも書いた。ここで死んだ、と後から分かるように書いた。
意味は書かない。書けば、嘘になる。
その下に、見たままだけを書いた。
——言い終えてから、私の肩を二度、叩きました。
エミールさんの先は、天井ごと落ちていた。
ヨルクさんを探した。
落ちた天井の向こうへは回れないので、行ける端から声をかけた。返事は無い。灯りを高く上げても、姿は見えなかった。
半刻ほど探して、やめた。
どこにもいなかった。
私は灯りを消して、岩陰に入った。
戻り道に、まだ何かが居座っていた。音で分かる。灯りを消せるのは、戦わない者だけだ。
半日、そこにいた。岩が濡れていて、手のひらが冷えていった。
水も食糧も持っていた。隊が逃げるとき、荷を置いていったからだ。私が置けと言った荷だった。
明るくなってから——地の下に朝は無いが、私の帳面ではそういうことになっている——私は上がりはじめた。
灯りは点けなかった。
道は覚えていた。降りながら、時刻の順に書いていたからだ。次に潜る誰かのために書いていたものが、そのとき、私の帰り道になった。
一人で、荷が軽ければ、通れる。隊と装備では通れない。大勢だと音が出る。灯りも要る。見つかりやすくなる。
丸一日かけて、地上へ出た。誰にも会わなかった。
外は明るかった。手が震えて、水袋の紐がほどけなかった。
ミルテの支部で、その日の記録を出した。
「随行の方ですか」
「はい。ヘルベルクの、レームと申します」
「お連れの方々は」
「先に、上がっています」
「……そうですか」
窓口の人は、それ以上は訊かなかった。訊かないのが親切だと思ったのだろう。
——隊は撤退。私は残る。
見たままを書いた。
出したものは、私の手には戻らない。ヘルベルクへ帰ってからも、同じものを出した。
*
ヘルベルクへ帰って、届出を出して、その四日後に隊から外された。
外されたあと、割り当ては止まった。苦情の片が付くまで、というのは決まりどおりだ。
二十日ほど経って、ギルドから呼び出しが来た。
通されたのは奥の部屋で、ブレンナーさんがいた。ギルド長だ。六年勤めて、口をきいたのは三度目になる。
「調べが済んだ」
「はい」
「随行記録役レーム。死亡の確認と、場所の報告。職務の不履行だ」
意味が、すぐには取れなかった。
「どの件でしょうか」
「六年ぶんを見た」
ブレンナーさんは、紙から目を上げなかった。
「見せていただけますか」
「見せられん」
そうだ。随行記録役に、帳面を見る権限は無い。私が書くほうのことではない。窓口の向こうで綴じられるほうだ。出したら、私の手には残らない。知っていて訊いた。
「隊の苦情の件でしょうか」
「それだけではない」
「では」
「済んだことだ」
「確認したものは、確認したと書いています」
私が言えたのは、それだけだった。
「帳面は、そう言っていない」
ブレンナーさんは、説明しなかった。この人は、決めたことを言い直さない。
私は、ヨルクさんの件を言われているのだと思った。
隊の苦情に、行方の知れない者の生死も確かめられず、という一行があると聞いていた。私は探して、見つからなくて、確認できなかったと書いた。
嘘は書いていない。だが、確認できなかったのも本当だ。
だから、私の落ち度なのだろうと思った。
紙が出された。ブレンナーさんが、そこへ自分の手で書き足した。逆さから読めた。
——余人をもって代え難し。しかるに追放する。
意味は取らなかった。書いてあるとおりに、覚えた。
「認定を取り上げる。ギルドへの出入りも禁じる」
「はい」
「他に言うことは」
「ありません」
六年で二十七人分、書いた。全部出した。
それが、こういう形で数えられているとは、思っていなかった。
*
外へ出ると、ミナさんが立っていた。
書記の人だ。窓口で三年、私の届出を受け取ってきた。
「本当なの」
「はい」
「六年ぶんが不備って、そんなわけないでしょ」
数が合わないと眠れない、といつも言っていた人だ。
「帳面が、そう言っているそうです」
「誰の帳面よ」
「……分かりません」
「見せてもらったの」
「いいえ」
「……そう」
ミナさんは、しばらく黙っていた。それから、思い出したように言った。
「どこにいるか、報せて」
「え」
「行き先。決まったら報せて」
「なぜですか」
「行き先の知れない人がいるのが、嫌なだけ」
帳面の人らしい言い方だと思った。
「手紙なら出せる。あなたはもう入れないけど、こっちからは出せるから」
「……はい」
*
街を出るとき、荷は一つで足りた。
もともと他人の荷を運ぶ仕事で、自分のものはあまり持っていない。
門のところで、隊商の親方に呼び止められた。
「レーム。積める奴がいねえ。積み込みだけでいい」
「私は、認定を取り上げられました」
「荷に認定が要るか」
「……いいえ」
「日銭でいいか」
「はい」
街の中では、もう誰も私を雇わない。噂が回っている。だが街道の人には、街の噂は関係が無い。
行くあてが無かった。
だから私は、街道を二日歩いて、麦の穂の看板の下で、戸を叩いた。あの人が、頼れと言ったからだ。
そして、塩を撒かれた。
*
肩の塩は、まだ落ちない。
私は、あの人の言葉をもう一度並べてみた。
深層で死んだと、隊は言った。紙は、行方が知れないと書いてある。
私は、死んだと書いた。場所も書いた。言葉も書いた。
三つとも書いたものが、一つも届いていない。
書き損じなら、一つだ。死んだこと。場所。言葉。三つとも消えるなんてことは、ない。
ヨルクさんの紙と取り違えたなら、三つとも消える。あちらには、確かめられなかった、としか書いていない。
だが、届出には、それぞれ名前が書いてある。それに、六年ぶんと言われた。一枚の取り違えで、六年は落ちない。
私は、そこで初めて考えた。
誰かが、触っている。
最期の言葉は、額に関わらない。何と書いてあっても、遺族に渡る額は変わらない。
ただ、確認が取れるまで、払いは止まる。
止めて、誰が得をするのか。そこが出てこない。
それでも、紙は変わっていた。
私は立ち上がって、荷を担ぎ直した。
宿場の隊商には、断りを入れた。
ヘルベルクまで、二日だ。
ギルドで、あの帳面に手を入れられる役は、そう多くない。
私は、その一人を知っている。
※ギルドの帳面は、書いた本人であっても閲覧することはできません。




