第三話 わたくしは、誰も断っておりません
ヘルベルクまで、二日かかった。
ヘルベルクへ戻る別の隊商に混ぜてもらった。積み込みと、荷の割り振りをやった。日銭が出た。
街の門は通れる。ここは誰でも入れる。
ギルドの戸は通れない。私は出入りを止められている。
だから、外で待つことにした。
石段の下に、荷を置いて座った。日が高いうちに出てくる人は少ない。夕方になれば、中の者が帰りに出てくる。
基金頭のゲルバーさんという人がいる。
誰にいくら、いつ払うかを決める役だ。窓口へ出した届出は、基金へ回る。読んで判を押すのが、この人だ。
六年、私の届出はそこへ回っていた。
顔も声も知っている。この人と話したことは、四度ある。
そのうちの一度は、二年たっても覚えている。
*
二年前の、夏だった。
届出を出しに窓口へ行ったら、ギルドの前に女の人が立っていた。私を待っていた。
会ったことのない人だった。街の人らしかった。
「随行記録役のレームさんですか」
「はい」
この人は、私の名前を知っていた。通知に載る。
「あの子の最期の言葉、ありがとうございました」
と、その人は言った。
私は、その人の手を見た。指を組んで、少し前に出していた。
その人の息子さんの分は、三か月前に私が書いた。息子さんが浅層から深層へ降りた、初めての回だった。十九だった。
私は、言葉なしと書いた。
着いたとき、もう息をしていなかった。私は時刻と、階層と、上り口からの道順を書いた。
それが仕事だ。
「はい」とは言わなかった。
「いいえ」とも言わなかった。
私は、頭を下げた。
それで、その人は帰った。
中へ入ると、内側から人が出てきた。ゲルバーさんだった。
「お引き止めしてしまいましたか」
「いえ」
「あの方には、わたくしがお伝えしたのです。今日お戻りだと。随行役の方に、お礼をと」
「……はい」
「よいお仕事をなさいました」
ゲルバーさんは、書類を抱えていた。丁寧な人だ。冒険者の名前を全部覚えている。家族の名前まで覚えている。
私は、その日、窓口の書記に届出を出して、帰った。
*
日が傾いて、石段に人の影が出はじめた。
出てくる者は、私を見ると足を速めた。噂は回っている。六年ぶんの不備で認定を取り上げられた男だ。
ゲルバーさんは、六人目に出てきた。
書類を抱えていた。二年前と同じ持ち方だった。
「レームさん」
先に名前を呼ばれた。
「お待ちでしたか」
「はい」
「中へは、お通しできません。処分が出ておりますので」
「ここで結構です」
私は立った。荷は足元に置いたままにした。
「エミールさんの届出のことです」
「ダウムさんですね」
ゲルバーさんは、名前を言い直した。
「はい。ダウム家の、エミールさんです」
「あの件は、確認が取れておりません。取れ次第、お支払いします」
「私は、書きました」
声は出た。手は震えていた。
「死亡の確認を書きました。場所も書きました。階層と、上り口からの道順まで書きました。最期の言葉も書きました。三つとも、帰った日に窓口へ出しました」
「帳面には、そうは」
「はい。そう聞きました」
「では、そういうことです」
「ご遺族が、ギルドへ三度来ておられます」
私は言った。
「存じております」
「片道二日です。往復で四日です。三度で、十二日ぶんになります」
「お気持ちは、よく分かります」
ゲルバーさんは、そう言った。
「あの方々には、お茶をお出ししました。二度目のときは、奥へお通ししました」
「お母さんは、椀を棚に置いたままにしています」
ゲルバーさんは、書類の角を見ていた。
「息子さんの椀です。片づけられないのだと言っておられました。葬式も出せません。墓に名前も彫れません」
「わたくしは、誰も断っておりません」
ゲルバーさんは言った。声を上げなかった。
「一度も、お断りしたことはございません。お支払いできないと申し上げたことも、ございません。確認が取れ次第、お支払いします。そう申し上げているだけです」
「はい」
「ではご不満は、どこに」
「取れ次第の、次第がいつなのかを、誰も言いません」
ゲルバーさんは、抱えた書類の角をそろえた。
「確認が取れておりませんので」
「私が確認しました」
「帳面には」
「帳面を、見せていただけますか」
「なりません」
石段の上で、中の者が二人、こちらを見ていた。見て、そのまま通りへ降りていった。
「私が書いたものです」
「出されたものは、ギルドのものです。書いた方の持ち物ではございません」
これは、決まりのとおりだ。
「原簿でしたら」
と、私は言った。
「窓口で綴じた、元のほうの帳面です。あれは封をして置かれているはずです」
「封のあるものは、こちらでも開けません」
ゲルバーさんは言った。
「開けるのは、国の方だけでございます」
それきりだった。開けられる人がいるということと、私には頼む手立てが無いということが、同じ一言の中にあった。
ゲルバーさんは、書類を抱え直した。
「他に、ご用は」
「あの届出に、手を入れた人がいます」
ゲルバーさんは、私を見た。私は、書類の端にかかった指を見た。指は動かなかった。
「なぜ、そうお思いに」
「三つとも消えています。書き損じなら、一つです」
「なるほど」
ゲルバーさんは、聞いている顔をしていた。窓口で遺族の話を聞くときも、この顔なのだと思う。
「私が書いたのは、二十七人分です。六年ぶんに不備があると言われました。二十七人分に、六年かけて、私が同じ書き損じをしたことになります」
「そうは申しておりません」
「では、何が足りないのでしょうか」
「わたくしは、処分を決める役ではございません。決めたのはギルド長です」
「ギルド長が見たのは、どの帳面でしょうか」
ゲルバーさんは、答えなかった。
それから、二歩、私のほうへ寄った。荷を挟んだくらいの近さで止まった。
「レームさん」
「はい」
「あなたも、ご存じでしたね」
私は、何も言わなかった。
「二年前の夏です。ギルドの前で、お母様がお礼をおっしゃいました。あなたは頭をお下げになった」
「……はい」
「あの届出の言葉の欄に、何と書かれていたか。あなたは、ご存じでしたね」
「私が書いたのは、言葉なしです」
「はい。あなたが書いたのは、それです」
ゲルバーさんは、そこで少し待った。
「あの方は、いまも息子さんの言葉を持っておられます。年に一度、命日にお参りに行かれる。窓口にも、もうお見えになりません」
「……」
「あなたがおっしゃれば、あの方々は、息子さんの最期の言葉をなくします」
私は、ゲルバーさんの手を見ていた。指は、まだ動いていなかった。
「一人ではございません」
ゲルバーさんは言った。
「何人でしょうか」
「申し上げられません」
届出の中身は、私からは誰にも言えない。この人には、この人の決まりがある。
「わたくしは、誰も断っておりません」
ゲルバーさんは、通りのほうを見た。
「日が落ちます。門が閉まる前に、お出になったほうが」
抱えた書類のいちばん上に、判を押す欄があった。逆さでも、字は読める。ギルドの紙ではなかった。
ゲルバーさんは行きかけて、私の目がそこにあるのを見て、足を止めた。
「せがれが、店を出します。証文に判をつきに行くところでして」
「……そうですか」
「保証人の欄です。親が書かないと、通りません」
「はい」
「お気をつけて」
ゲルバーさんは、私の脇を通って、通りへ出ていった。
私は、しばらくそこに立っていた。
あの人は、嘘を言っていない。
二年前、私は頭を下げた。書いていない言葉に礼を言われて、違いますと言わなかった。それは、私がやったことだ。
あのときは、窓口の誰かが口で慰めたのだと思っていた。帳面まで変わっているとは、考えなかった。
いま私がそれを言えば、あの家から言葉が消える。あの家だけではない、とあの人は言った。
私は荷を担いだ。
言えることが、一つも無かった。
*
通りへ出ると、後ろから足音が来た。
「レーム」
ミナさんだった。書記の人だ。走ってきたらしく、息が上がっていた。
「いま、誰と話してたの」
「基金頭の方です」
「何を話したの」
「エミールさんの届出のことです」
「それで」
「確認が取れ次第だと言われました」
ミナさんは、何か言いかけて、やめた。
「行き先が決まりました」
報せてくれと言われていた。
「街道を、ミルテのほうへ二日です。麦の穂の看板を出した宿があります。麦穂亭という宿です」
「そこに、いるの」
「泊まらせてはもらえません。ですが街道の宿は、納屋なら貸します。誰にでも貸す決まりです。金は取られます」
「なんでそんなところに」
「あの宿場のほかに、手紙の宛先にできる場所がありません」
「口はきいてもらえるの」
「いいえ」
ミナさんは、私の背の荷を見た。一つしか無い。
「……」
「荷運びで街道を回りますので、いつもそこにいるわけではありません。ですが、荷はたいていあの前を通ります。手紙は宿場の預かりにしてもらえば、届きます」
「分かった」
ミナさんは、そう言った。それから、私のほうへ一歩出た。
「六年で二十七件。あなたが出したぶんよ」
「はい」
「そのうち何件が不備なの。誰も件数を言わないじゃない」
「……はい」
「件数を言わない不備なんて、聞いたことがない」
「ミナさんは、帳面を見られるのですか」
「私の担当の分だけよ。受け取るのと、帳面を持つのは別なの。ダウムさんの帳面は、私の手元にない」
ミナさんは、ギルドのほうへ戻っていった。
私は門を出た。隊商は、門の外に停まる。
*
街道の隊商に、荷運びで入れてもらった。麦穂亭とは逆へ向かう隊商だった。
行き先は選べない。荷の行く方へしか行けない。魔物は街道にも出るので、隊商か、巡回の兵に混ぜてもらって歩く。
二日目の朝に、街道から半日入った村へ荷を運ぶことになった。
その村の名前を、私は知っていた。
届出の紙には、名前と、生まれた土地を書く欄がある。死んだことを書く三つの欄より、上にある。
控えは無い。出したものは、全部ギルドの中だ。
だが、書いた欄は覚えている。私は記録役だった。
その村には、ハルトさんの家がある。
三年前に、深層で死んだ人だ。別の隊に付いていたころの、隊員の一人だった。
荷を降ろして、親方に半日もらった。
家は村の外れにあった。屋根が低かった。戸の横に薪を積んでいた。
戸を叩いた。
出てきたのは、若い女の人だった。二十くらいだった。
「レームと申します」
「……はい」
「随行記録役を、しておりました。ハルトさんの届出を書いた者です」
女の人の手が、戸の縁を握った。
「知ってる。通知に載ってた」
「はい」
その人は、私を家の中には入れなかった。戸を半分だけ開けたままにしていた。奥から、人が寝ているような音がした。
「下の兄です」
女の人が言った。
「ハルトさんは、お兄さんでしたか」
「ハルトは上の兄。下のは足を悪くして、いま働けない」
「そうですか」
「金の話なら、まだ何ももらってない」
「金の話ではありません」
私は言った。
「伺いたいことがあります」
「なに」
「ギルドからは、何と届きましたか」
女の人は、少し黙った。それから答えた。
「死んだかどうか、確認が取れてないって」
「はい」
「取れ次第、お支払いしますって。もう三年、同じ紙が来る」
「場所は」
「一度ヘルベルクまで行って訊いた。書いてないって言われた。どこで死んだかは、帳面に無いって」
「言葉は」
「無いって」
女の人は、そこで戸の縁から手を離した。
「何も言わなかったんだって。あんたが、そう書いたって聞いた」
私は、ハルトさんの言葉を覚えている。
あの人は胸をやられていた。あと半刻もつかどうかを、自分でも分かっていた。三年前の秋だ。
——妹に、痛くなかったと言っといてくれ。
そう言った。
私は、そのとおりに書いた。意味はつけない。
欄の下の余白にも、書き添えた。
——言い終えてから、しばらく私の袖を握っていました。
それが、帳面には無いことになっている。
「書いて出しました」
と、私は言った。
「出したの」
「書いて、出しました。死亡の確認も、場所も、最期の言葉も、全部書いて、ヘルベルクの窓口へ出しました」
「……じゃあ、なんで無いの」
「分かりません」
女の人が、戸を大きく開けた。中は暗かった。奥の音が止まっていた。
「あんたが書いたんでしょ」
「はい」
「兄は、痛がってた?」
「……申し上げられません」
女の人は、戸を持ったままだった。指の関節が白くなっていた。
「なんで」
「届出の中身は、誰にも言えません。決まりですので」
「決まり」
「はい」
奥で、寝ている人が咳をした。女の人は、そちらを見なかった。
「兄がどうだったかは、決まりで言えないのに、書いたことは書いたって言うの」
「はい」
「それじゃ、何の役にも立たないでしょう」
その人は、戸を閉めた。
私は、戸の前に立っていた。
私が言えるのは、書いたか、書かなかったかだけだ。二十七人分の、どれも言えない。
薪の山の上に、猫が乗っていた。私を見ていた。
私は、村の道を戻りはじめた。
*
半分ほど歩いて、足を止めた。
麦穂亭のお母さんは、ギルドへ三度行った。返ってきたのは、確認が取れ次第だった。
いまの家も、三年、同じ紙を受け取っている。確認が取れ次第だ。
同じ文だった。
二軒とも、私が書いた家だ。
麦穂亭には、五年前にも書いている。下の息子さんの分だ。言葉なし、と書いた。あの家に何が届いたかは、聞いていない。
二年前の家には、私が書いていない言葉が届いていた。この二軒は、書いたものが届いていない。
同じ人が、両方に手を入れられる。
他の家に何が届いているかは、その家へ行けば分かる。
生まれた土地の欄は、届出の中身ではない。
窓口も、名前と生まれた土地は隠さない。
私は、戻った。
もう一度、戸を叩いた。
「まだ何か」
女の人は、戸を細く開けた。
「同じことを、ギルドで訊いた方が、他にもおられます」
「え」
「街道を、ヘルベルクから東へ二日です。ミルテへ行く道の途中に、麦穂亭という、麦の穂の看板の宿です」
「宿」
「そこの息子さんの分も、私が書きました。ひと月あまり前です。あの家にも、確認が取れ次第の紙が来ています。お母さんは、ギルドへ三度行かれました」
「……なんで、それを私に言うの」
「同じ紙が来ている家だからです」
私は、そう答えた。
届出に何と書いたか。それだけは、言わなかった。
「その人の名前は」
「ダウムです。麦穂亭のダウムさんです」
女の人は、しばらく戸を持っていた。
「あんた、何しに来たの」
「訊きに来ました」
「訊いて、どうするの」
「まだ、決めていません」
その人は、戸を閉めた。今度は少しゆっくりだった。
私は、村の入り口に停めた荷馬車へ戻った。帰りの荷は、もう積み終わっていた。
親方が、遅いとだけ言った。
*
荷馬車の後ろに座った。
一つだけ、持ち出せたものがある。
二十七人が、どこの生まれか。
それだけは、頭に入ったまま街を出ていた。
※保留は、お断りではございません。




