第一話 書いて出しました
塩を、撒かれた。
粒が胸に当たって、足元の土に跳ねた。いくつかは戸口の内へ転がって、土間に白く散った。
「帰っとくれ」
桶を抱えた女の人が、そう言った。
口をきくのは、初めてだった。顔は知っている。ひと月前、この宿で飯を食った。
エミールさんのお母さんだ。
「レームと申します」
二日歩いてきて、最初に言えたのがそれだった。
「随行記録役を、しておりました」
「知っとる」
もうひとすくい飛んできて、今度は顔にかかった。目に入ったので、しばらく開けられなかった。
「あんたの名前は、紙に書いてあった」
「エミールさんに、何かあったら実家を頼れと、言われました」
「……よう言うわ」
遠征に発つ道で聞いた言葉だ。隊の皆が知っている。
紙、というのはギルドから来た通知だろう。届出を出した者の名前が載る。
私は荷物持ちだ。ギルドは随行記録役と呼ぶ。
いや——荷物持ちだった。
「うちの息子はな」
女の人の声が、そこで止まった。
「まだ、死んだことになっとらんのや」
目を開けると、白い粒が土間に散らばっていた。掃いたばかりの土間だった。
「あの人らは、深層で死んだと言うた。ギルドから来た紙には、行方が知れんと書いてある」
「どっちなんや」
「……」
「ギルドには三ぺん行った。片道二日かけて、三ぺんや。三ぺんとも、確認が取れ次第や」
「うちは、どっちを信じたらええんや。葬式も出せん。墓に名前も彫れん。あの子の椀、まだ棚に置いてあるんやで」
女の人が、桶を持ち直して、ひとすくい投げた。今度は届かなかった。
「戸が鳴るたんびに、出てくるんや。今朝もそうや。あの子が帰ってきたんかと思て、出てきたんや」
「そしたら、あんたが立っとった」
「……それで、塩を取りに戻ったんや」
私は、何も言えなかった。
「紙にはな、確認が取れ次第、お支払いします、と書いてある。半月前に来たのも同じ文や。取れ次第、取れ次第、いつまでや」
「金の話やない。銭が一枚も出とらんでも、そんなもんは後でええ。うちが知りたいのは、一つだけや」
「あの子は、どこで、どうなったんや」
「あんたが、何も見とらんと書いたからやろ」
私は、首を横に振らなかった。振っても、この人には何にもならない。
「書いて出しました」
と、私は言った。
「なんて」
「書いて、出しました。ヘルベルクへ帰った日に、窓口へ。死んだ場所も、最期の言葉も、書きました」
「ほな、なんでギルドの紙には無いんや」
私はもう、窓口に立てない。
「もう一度、窓口で訊いてもらえませんか。届出に何と書いてあるかを」
「三ぺん行った、言うたやろ」
「……はい」
「あんたの名前を出して訊いた。そしたら、あんたは何も見とらんと書いとる、と言われたんや」
奥から、パンを焼くにおいがしていた。
「あんた、いま最期の言葉、て言うたな」
「はい」
「言うてみい」
「……申し上げられません」
「なんでや」
「書いたか、書かなかったか。私が言えるのは、そこまでです」
「決まりですので」
届出の中身は、誰にも言ってはいけない。辞めても、追い出されても、この決まりだけは死ぬまで付いてくる。
私が書いたものは、二十七人分ある。一つ喋れば、残りの二十六も、口の軽い男が書いたものになる。
女の人が、桶を下ろした。塩を投げるのをやめた。投げられているうちのほうが、まだましだった。
「ひと月前に、あの人らがうちに泊まった」
「……はい」
「エミールは深層で死んだ、確認は随行役がすると、そう言うた」
「はい」
「あんたも、おったな」
「はい」
首筋に粒が残っていた。指で払うと、爪の際が少ししみた。
「うちの飯、食うたな」
「はい」
「何も言わんとな」
「……はい」
あの晩、私は何も言えなかった。届出はまだ出していない。出しても、中身は誰にも言えない。遺族にも言えない。そういう決まりだ。
決まりですので。そう言えば済むと思っていた。
奥から、男の人の声がした。
「もう来んといて」
エミールさんのお父さんだろう。女の人は振り返らずに、戸を閉めた。内側で、つっかえ棒をする音がした。
足元に、塩が散っていた。私はしばらく、それを見ていた。
*
鉄鎚の兄弟が遠征に発ったのは、ひと月半前の朝だ。
私が付いていた隊だ。隊が五人、それに私で六人。
ヘルベルクから遠征先のミルテまでは、街道を五日かかる。
発つ日の朝、私は夜が明けるずっと前に起きた。
火を起こして、湯を沸かす。粥を炊く。六人分。
隊長のドランさんは、粥に塩を入れない。斥候のゼップさんは入れる。前衛のヴィルムさんは、いまは要らないと言って、あとで食べる。
エミールさんは、出したものを全部食う。ヨルクさんは何も言わない。
その間に荷を分けた。干し肉、豆、塩、油。包帯、替えの弦、砥石。水袋は六つ。私の分には、紙と炭も入る。
ドランさんの靴を見て、薬を出した。三日前から歩き方が変だった。訊いても、答える人ではない。
「言ってくだされば、三日前に手当てできました」
「言うほどのことか」
「靴擦れで死ぬ方はおりません。ですが、峠は荷馬車を降りて歩きます。歩けなくなると、皆さんが待つことになります」
「……ふん」
ドランさんは黙って薬を受け取った。礼は無いが、要らない。私が渡さなければ、峠のあたりで誰かが怒鳴ることになる。
街道へ出て、隊商に混ぜてもらう。話をつけるのも私の仕事なので、親方のところへ行った。
「今年も乗るか、レーム」
「お願いします。人が六人と、荷が六つです」
「詰めて乗れ」
親方はそれだけ言った。去年は、荷の積み替えを手伝った。毎年きちんと払って、無理を言わない。それで話が早い。
昼に村の店へ寄って、干し杏と油を買い足した。
「レームさんの分なら、去年と同じ値でええよ」
「助かります」
「掛けにせんと、その場で払うてくれるからな。あんたは」
「はい」
私はその場で払った。その場で払うと知られているから、この値で出してもらえる。
夕方、私は帳面を開いた。
——昼過ぎ、川を渡る。風、南。荷、異常なし。
起きた順に、見たままを書く。次に同じ道を通る誰かのために書く。これも仕事に入っている。
ヴィルムさんが手を出した。
「逃げ屋、水」
「はい」
私は水袋を渡した。
「明日は早いのか」
ドランさんが訊いた。
「はい。夜明け前に出ます。峠を昼までに越えますので」
「聞いてないぞ」
「今、申し上げました」
私は戦わない。危なくなったら隠れて、逃げる。記録と届出を持って帰るために、死んではいけないことになっている。
だから嫌われる。それは、仕方がない。
「あいつは仕事をしとる」
エミールさんが言った。誰にともなく、粥を食いながら。
「逃げ屋の仕事か。なら、剣を持たせろ」
ゼップさんが笑った。
「持たせて死んだら、誰が書くんや」
エミールさんが、椀を置いた。
「深層で死んだら、遺体は上がらん。おれらが持って上がれんからな。そのとき、うちの親に知らせが行く。どこで死んだか。最期に何て言うたか。書かんかったら、金も出ん」
「知ってるさ、そんなもん」
ゼップさんが、また笑った。
「知っとって、逃げ屋て呼ぶんか」
誰も何も言わなかった。ドランさんが、火に枝を一本くべただけだった。
「戦わん奴は戦わん奴だ。分け前だけは、人並みに持っていく」
ドランさんが言った。
「そうやな」
エミールさんが言った。それ以上は言わなかった。かばうと、かえって私の立場が悪くなる。それが分かる人だった。
次の日の夕方、私たちは街道沿いの宿場を通った。
白い壁の、麦の穂の看板を出した宿だ。
「うちや」
エミールさんが顎で示した。
「何かあったら、うちの実家を頼れ。飯は出る」
「誰が頼るか」
ドランさんが笑った。エミールさんも笑った。荷馬車は停まらなかった。私たちはそのまま、宿の前を通り過ぎた。
ミルテに着いたのは、それから三日あとだ。着いて二日目に、私たちは潜った。
中で何があったかは、ここでは飛ばす。
*
帰りは、五日かかった。
行きと同じ街道を、同じ隊商に混ざって帰った。同じ焚き火を囲んで、同じ粥を食った。五日のあいだ、誰も私に口をきかなかった。
仲間が二人戻らなかったことを、恥じているのだと思っていた。
三日目の晩、隊商は麦の穂の看板の宿に泊まった。
ドランさんが、エミールさんのお母さんに何か言っていた。私は離れたところで飯を食った。何を言ったのかは、ひと月あとに、お母さんの口から聞いた。
朝、私たちはその宿を発った。
ヘルベルクに着いた日に、届出を出した。
紙の上のほうに、名前と、生まれた土地を書く。その下に、欄が三つある。
死亡の確認。死んだ場所。最期の言葉。
全部、書いた。
場所は、階層と、上り口からの道順まで書いた。遺体は運べない。だが、どこで死んだかは、書いておけば残る。
最期の言葉の欄には、聞いたとおりを書いた。
——何かあったら、うちの実家を頼れ。飯は出る。
行きの道で聞いたのと、同じ言葉だった。
欄の下の余白にも、書き添えた。私の癖だ。見たままの動きだけを書く。意味は書かない。
——言い終えてから、私の肩を二度、叩きました。
ヨルクさんの分は、別の紙になった。私は探したが、見つけられなかった。だから、そのとおりに書いた。
窓口の書記が、両方とも、他の届出と一緒に綴じ込んだ。それで、私の手からは離れた。
手が空になった。六年、いつも何かを持っていた。
*
四日後、ギルドに呼ばれた。
部屋に入ると、ドランさんたちが先に座っていた。エミールさんの席は無い。ヨルクさんの席も無い。
「あの男とは、もう組めん」
ドランさんが言った。
「戦わんくせに、分け前だけは食う。危なくなったら真っ先に隠れる。仲間が二人戻らなかったのに、こいつは傷ひとつ無しで帰ってきた」
「荷運びに、人の最期を任せたのが間違いだったんだ」
ゼップさんが言った。笑っていた。
「隊の言い分は、それで全部か」
割り当ての係の人が言った。ドランさんが頷いた。
係の人は、次に私を見た。
「何か言うことは」
私は、少し考えた。
「届出は、出しました。死亡の確認も、場所も、最期の言葉も、書いてあります」
「そんな話はしていない」
ドランさんは、こちらを見なかった。
「私は、最後まで残っていました」
「誰が見ていた」
「……」
「誰も見ていない」
係の人が、私を見た。
「他には」
「ありません」
言われていることに、嘘は無い。
「では、鉄鎚の兄弟の随行は解く」
係の人が紙に何か書いた。
「隊から苦情も出ている。片が付くまで、次の割り当ては止まる」
「どのくらいでしょうか」
「知らん。決めるのは俺じゃない」
六年やった。紙に一行、書かれただけだった。
その晩、宿で飯を頼んで、半分残した。
*
それから、ひと月足らず。
そのあいだに、私はもう一度ギルドへ呼ばれた。六年ぶんの届出を調べた、不備がある、と言われた。何がどう足りないのかは、教えてもらえなかった。
そこで記録役の認定を取り上げられ、ギルドへの出入りも止められた。
いまの私は、荷を背負って迷宮へ降りる男ではない。窓口へ行って、届出はどうなりましたかと訊くこともできない。
ギルドに出入りできない記録役を、ヘルベルクで雇う者はいない。
行くあてが無くて、街道を二日歩いて、麦の穂の看板の下で、戸を叩いた。
そして、塩を撒かれた。
宿の前を離れて、宿場の外れで支度をしている隊商に、荷運びで混ぜてもらう話をつけた。出るまでに、まだ半日あった。
私は荷を下ろして、街道の端に座った。
一度出した届出は、書いた本人にも見せてもらえない。
はたいても、肩に塩が少し残っていた。
私は、三つとも書いた。書いて、出した。
私が書いたものは、どこへ行ったのだろう。
※随行記録役の届出には、最期の言葉を書く欄がございます。支払いには影響いたしません。




