↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
はぐれ竜と捨て子の家  作者: Atelier Lotus文庫
本編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/8

第6話 ここが家

 剣が、ガルドの鱗をかすめた。


 ガルドは身体をひねり、そのまま前へ出る。


 セドリックが後ろへ跳んだ。


「やめろ!」


 ガルドの声が山へ響く。


「ユノを連れていくな!」


「それはこちらの台詞だ!」


 セドリックは剣を構え直した。


「俺はあの子を助けに来た!」


「助ける?」


 その言葉を聞くたびに、腹の奥が熱くなる。


 ユノはここで暮らしてきた。


 自分と一緒に。


 今日だけではない。


 昨日も、その前も。


 ずっとだ。


 それを突然現れた人間が、助けると言って連れていこうとしている。


 渡せるはずがなかった。


 ガルドは一歩前へ出た。


 セドリックも退かない。


 その向こうに、ユノがいる。


「ユノ、下がっていろ」


「でも――」


「いいから」


 自分でも驚くほど強い声が出た。


 ユノが黙る。


 ガルドはすぐに前を向いた。


 いまはセドリックから目を離せない。


「その子を返せ」


「誰にだ」


「人間のもとへだ」


 ガルドの身体が止まった。


「人間の子どもには、人間として生きる場所がある」


 その言葉は、もう聞いた。


 聞いてしまった。


 だから、振り払えない。


 ガルドは人型になれない。


 ユノが大きくなっても、その事実は変わらなかった。


 細かなことができなかった。


 分からないこともたくさんあった。


 いまでも、ユノが人間として必要としているものを、自分がすべて分かっているとは思えない。


 セドリックが剣を握ったまま言う。


「お前と暮らすことしか知らなければ、それ以外を選びようがない」


 ガルドは答えなかった。


 答えられなかった。


 胸の奥へ、ずっと押し込めていたものを突かれた気がした。


 ユノは、自分と暮らしている。


 それは本当に、ユノが望んだことなのか。


 小さな頃からここにいたから、それしか知らないだけではないのか。


 自分が一人へ戻りたくないから、ユノをそばへ置いているだけではないのか。


「ガルド?」


 後ろから声がした。


 振り返れなかった。


「……下がっていろ」


「ガルド」


「危ない」


 それだけは間違いない。


 セドリックはユノを傷つけようとしているわけではない。


 だからこそ、厄介だった。


 悪意で来た相手なら、もっと簡単だった。


 追い払えばいい。


 けれどセドリックも、ユノを守ろうとしている。


 自分と同じように。


 それなら。


 もし、本当にユノのためになるのが――。


「行かないよ」


 ガルドは振り向いた。


 ユノが立っていた。


「……何?」


「行かない」


 ユノはもう一度言った。


 セドリックがわずかに眉を寄せる。


「君は分かっていないんだ」


「何が?」


「外にはもっと――」


「知らないよ」


 ユノはあっさり言った。


「外のことなんて、そんなに知らない」


「なら――」


「でも、ここは知ってる」


 セドリックが言葉を止めた。


 ガルドも何も言えなかった。


「ここでずっと暮らしてきた」


 ユノはガルドを見上げる。


「ガルドと」


 胸の奥が、妙にざわついた。


「私は、さらわれてない」


 セドリックの表情が変わる。


「何?」


「ガルドが見つけたんだって」


 ユノは続けた。


「山に一人で置かれてた私を」


 セドリックの剣先が、ほんの少し下がった。


「……置かれていた?」


「うん」


「誰かと一緒だったんじゃないのか」


「違う」


 ユノは首を横に振った。


「誰も来なかったって」


 ガルドは黙っていた。


 あの日のことを覚えている。


 泣いていた小さな人間。


 どうすればいいのか分からず、ただ困った。


 誰かが来れば、その誰かへ任せるつもりだった。


 待った。


 それでも誰も来なかった。


「本当なのか」


 セドリックがガルドを見る。


「ああ」


 それだけ答えた。


「しばらく待った」


 喉が少し詰まる。


「誰も来なかった」


 セドリックは黙った。


「だから連れて帰った」


「それからずっと?」


「ああ」


「ガルドが育てたのか」


 ガルドはすぐには答えなかった。


 育てた。


 そう言ってしまえば簡単だった。


 けれど実際には、そんな立派なものではなかった気がする。


 分からないことばかりだった。


 失敗もした。


 ユノへ教えられたことも多い。


「……生きられるようにはした」


「何それ」


 ユノが言った。


 ガルドは思わずそちらを見る。


「もっといろいろしてくれたでしょ」


「必要なことをしただけだ」


「そういうのを育てたって言うんじゃないの?」


「知らん」


「知らんじゃない」


 こんなときなのに、いつもの調子だった。


 ガルドは何も返せなくなる。


 セドリックも、二人を見ていた。


 その視線が先ほどとは少し違う。


 それでも、彼は剣を収めなかった。


「だとしても」


 セドリックが口を開く。


「君がここ以外を知らないことは変わらない」


 ユノはセドリックを見る。


「人の暮らしを知ったうえで、それでもここを選ぶのとは違う」


 正しい。


 ガルドはそう思ってしまった。


 だから胸が痛んだ。


 自分がユノへ見せられていないものは、確かにある。


 自分にできないこともある。


 人型になれない自分では、どうしても届かないものがあるのかもしれない。


「……ユノ」


 声がうまく出なかった。


 それでも言わなければならないと思った。


「もし、お前が――」


「やだ」


 最後まで言わせてもらえなかった。


「まだ何も言ってない」


「分かる」


 ユノはガルドを睨んだ。


「また変なこと考えてる」


「変なことではない」


「変だよ」


「ユノ」


「勝手に決めないで」


 ガルドは黙った。


 その言葉が胸へ落ちた。


 自分一人で決めてはいけない。


 そう考えていた。


 ユノのために。


 だから手放すことまで考えた。


 けれど。


 手放すことを一人で決めるのも、結局は同じなのかもしれなかった。


「私はここにいる」


 ユノが言った。


「ガルドといる」


 セドリックが静かに問う。


「怖くないのか」


「何が?」


「竜と暮らすことが」


 ユノは少し考えた。


 それから、ガルドを見上げた。


「ガルドだよ?」


 それだけだった。


 ガルドには、その意味がすぐには分からなかった。


 ユノにとっては、説明する必要すらないのだ。


 竜だからどうとか。


 人間だからどうとか。


 ガルドだから、ここにいる。


 ただ、それだけだった。


「俺は君を守りたい」


 セドリックが言った。


「なら、こっちへ来い」


 彼はガルドから距離を取り、ユノが来られるように道を空けた。


「まず俺と一緒に山を下りる」


「行かない」


「話だけでも――」


「行かない」


 ユノは動かなかった。


 むしろ一歩、ガルドの方へ寄った。


「ユノ」


 ガルドが呼ぶ。


 止めるためではない。


 ただ、名前が出た。


 ユノはガルドのすぐそばまで来た。


 そして、そこに立った。


 セドリックの側ではなく。


 ガルドの側に。


「離れろ」


 ガルドが低く言う。


「危ない」


「嫌」


「ユノ」


「嫌」


 今度はガルドへ向けて、はっきりと言った。


「私を連れてくために、ガルドを傷つけるんでしょ」


 セドリックの顔が強張る。


「それは――」


「それなら行かない」


「君を助けるためだ」


「私はそれを助けるって思わない」


 ユノの声は大きくなかった。


 けれど、迷いはなかった。


「ガルドを傷つけて、私をここから連れていくのが助けることなら、そんなのいらない」


 セドリックは何も言わなかった。


「ここが私の家だから」


 ガルドの息が止まった。


 家。


 ユノは当たり前のように言った。


 特別な言葉を口にしたつもりなど、きっとない。


 けれどガルドには、その一言が重かった。


 あの日。


 泣いていた幼児を見つけた。


 見捨てられなかった。


 ただ、それだけだった。


 今日を生かそうと思った。


 次の日も生かした。


 その次の日も。


 分からないことがあれば考えた。


 失敗したら、またやった。


 食べているか気にした。


 眠っているか気にした。


 帰ってくるのを待つようになった。


 それを何と呼ぶのか、考えたことなどなかった。


 ユノがいるのが普通になっていたから。


「ガルドが育ててくれた」


 ユノは言う。


「ずっと一緒にいた」


 ガルドは何も言えない。


「だから、ここが家」


 与えられなかったものばかり見ていた。


 人間のようにはできない。


 人間の親と同じことはできない。


 そう考えていた。


 けれどユノは、できなかったことではなく、二人で過ごした時間を見ていた。


 ガルドが与えたつもりすらなかったものを、ユノは受け取っていた。


「私はガルドといる」


 ユノがもう一度言った。


「私が決めた」


 ガルドは目を閉じた。


 何かが、ようやくほどけた。


 自分はユノを守ってきた。


 そう思っていた。


 けれど、いま守られているのは自分の方だった。


 ユノが二人の暮らしを選んでいる。


 自分との時間を、家だと言っている。


 なら。


 自分はどうしたい。


 責任だからではない。


 拾ったからでもない。


 一人に戻りたくないから、しがみつくのでもない。


 答えは、もっと単純だった。


「……俺もだ」


 ユノがガルドを見る。


「何?」


「俺も、お前と暮らしたい」


 初めて口にした。


 言ってから、自分でも少し驚いた。


「これからも」


 ユノの目が丸くなる。


 ガルドは続けた。


「俺は人間にはなれない」


 それは変わらない。


「お前にできないことも、たぶんまだある」


 それも変わらない。


「それでも」


 ガルドはユノを見る。


「お前と暮らしたい」


 ユノが笑った。


「うん」


 短い返事だった。


 それで十分だった。


 ガルドはようやく分かった。


 人間の親のようになれるかどうかではなかった。


 自分はもう、ずっとユノの暮らしを気にしてきた。


 生きているか。


 食べているか。


 帰ってくるか。


 眠れているか。


 困っていないか。


 そんなことばかり考えてきた。


 名前を付けていなかっただけだ。


 ガルドはユノの親として暮らしてきた。


 そして今、自分の意思でそれを選ぶ。


「ユノ」


「ん?」


「俺は、お前の家族でいたい」


 今度はユノが少し困った顔をした。


「いたいっていうか」


 ガルドは首を傾げる。


「もう家族でしょ?」


 何も言えなかった。


 ユノは不思議そうにガルドを見ている。


 ガルドはしばらくして、低く息を吐いた。


「……そうか」


「そうだよ」


 当たり前のように返された。


 セドリックが、ゆっくりと剣を下ろした。


 二人がそちらを見る。


 彼はユノを見た。


 それからガルドを見る。


「最後に確認する」


 声から、先ほどまでの勢いは消えていた。


「君は、自分の意思でここに残るんだな」


「うん」


「こいつに言わされているわけでもない」


「言われてない」


「むしろ俺は――」


 ガルドが口を開くと、ユノが睨んだ。


「余計なこと言わない」


「……分かった」


 セドリックが小さく息を吐く。


 その目が、二人の間を行き来した。


 ユノはガルドのそばから動かない。


 ガルドも、その前へ出てユノを隠そうとはしなかった。


 もうユノ自身が立っている。


 自分で選んだ場所に。


 長い沈黙のあと、金属の擦れる音がした。


 セドリックが剣を収めた。


「……これ以上は戦えないな」


 ガルドは警戒を解かなかった。


「諦めるのか」


「本人が嫌がっているのを無視して連れていけば、それは救出じゃない」


 セドリックはユノを見る。


「少なくとも、今ここで力ずくで連れていく理由はなくなった」


 完全に理解したわけではないのだろう。


 ガルドたちの暮らしを、すべて認めたわけでもない。


 それでもセドリックは剣を抜き直さなかった。


「悪かった」


 ユノが少し目を瞬く。


 セドリックはガルドにも視線を向けた。


「お前に謝っているわけじゃない」


「そうか」


「そこは少しくらい怒れよ」


「面倒だ」


「……本当に変な竜だな」


 セドリックは肩から力を抜いた。


 そして、もう一度ユノを見る。


 それ以上は何も言わず、背を向けた。


 ガルドはその姿を見送った。


 ユノも隣に立っている。


 セドリックは一度も振り返らず、そのまま山を下りていった。


 姿が見えなくなっても、ガルドはしばらく動かなかった。


「ガルド」


「……なんだ」


「終わった?」


「ああ」


「もう戦わない?」


「ああ」


 ユノが息を吐いた。


 その音を聞いて、ガルドもようやく身体の力を抜いた。


「怖かった」


 ユノが小さく言った。


「すまない」


「ガルドがいなくなる方が怖かった」


 ガルドは答えられなかった。


 ユノがすぐそばにいる。


 それを確認するように、ガルドは視線を落とした。


「ユノ」


「なに?」


 言うべきことがあった気がした。


 けれど、うまく言葉にならない。


 だから、いま言えることだけを口にした。


「……帰るか」


 ユノは少し笑った。


「うん」


 二人で、住処の方を見る。


 さっきまで守ろうとしていた場所。


 いまはもう、ガルドにも分かる。


 そこは自分一人の住処ではなかった。


 ユノがいる。


 自分もいる。


 二人で暮らしてきた。


 家だった。


 二人は並んで、そこへ戻った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。