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はぐれ竜と捨て子の家  作者: Atelier Lotus文庫
本編

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5/8

第4話 いつの間にか家

「ガルド、行ってくるね」


「ああ」


 ガルドは返事をしてから、少し間を置いた。


「遠くまで行くなよ」


「分かってる」


「暗くなる前には戻れ」


「まだ朝だよ」


「朝でも言っておく」


 ユノが笑った。


「はいはい」


「返事が軽いな」


「ちゃんと戻るって」


 そう言って、ユノは住処を出ていった。


 ガルドはその背中を見送る。


 以前なら、人間の子どもが一人で歩くだけでも落ち着かなかった。


 転ばないか。


 何かにぶつからないか。


 急に泣き出さないか。


 そもそも、どうして泣いているのか。


 そんなことばかり考えていた。


 今のユノは、自分の足で歩く。


 言葉も話す。


 行きたい場所があれば行くし、嫌なものがあれば嫌だと言う。


 だからといって、ガルドが何も気にしなくなったわけではない。


 むしろ、気にすることは増えた気がする。


「……あまり遠くまで行くなと言ったが」


 返事は当然ない。


 もう姿は見えなくなっている。


「聞いていたよな」


 ガルドは少し考え、それから自分の用事へ戻った。


 やることはいつもと大して変わらない。


 ただ、以前とは順番が違う。


 自分一人なら、腹が減ってから食べればよかった。


 眠ければ眠ればいい。


 少しくらい住処の中が散らかっていても、踏んで困るのは自分だけだった。


 今は違う。


 ユノが通る場所に危ないものがないか見る。


 食べる時間を考える。


 帰ってきたときに困らないようにしておく。


 どれも大したことではない。


 大したことではないからこそ、ガルド自身もいつからそうなったのか覚えていなかった。


 ひと通り済ませたところで、ガルドは住処の外へ顔を向けた。


 まだ戻らない。


「……遅いな」


 そう呟いてから、すぐに空を見る。


 まだ心配するような時間ではない。


 分かっている。


 ユノはもう、少し外へ出ただけで泣きながら戻ってくる幼児ではない。


「遅くはないか」


 言い直す。


 少しすると、別のことが気になった。


 昼までには帰ると言っていただろうか。


 いや、そんな話はしていない。


「……言っておけばよかったな」


 ガルドは住処の入口近くまで出た。


 そこから先へ行くつもりはない。


 迎えに行くほどではない。


 たぶん。


 しばらく待つ。


 風が吹く。


 木々が揺れる。


 何度か、その音を足音と間違えた。


「……」


 ガルドは少しだけ機嫌が悪くなった。


 ユノではなく、自分に対してだ。


 別に何かあったと決まったわけではない。


 それなのに落ち着かない。


 昔は、一日どころか何日誰とも会わなくても何とも思わなかった。


 今も、一人で過ごせと言われれば過ごせる。


 ただ。


「ただいまー」


 声がした。


 ガルドはすぐに顔を上げた。


 木々の向こうからユノが戻ってくる。


「遅い」


「え?」


「遅い」


「まだそんなに経ってないよ」


「俺が遅いと思った」


「それ、ガルドの問題じゃない?」


「そうかもしれない」


 ユノは笑いながら近づいてくる。


 特に怪我をしている様子はない。


 歩き方も普通だ。


 ガルドはそれを一通り確認してから言った。


「何もなかったか」


「何もないよ」


「転んでないか」


「転んでない」


「変なものを食べてないか」


「食べてない」


「本当か」


「本当」


 ユノが少し呆れた顔をした。


「ガルド、毎回それ聞くよね」


「毎回聞いているか?」


「聞いてる」


 そう言われると、そんな気もする。


 ガルドは少し黙った。


「必要だから聞いている」


「じゃあ、毎回答える」


「そうしてくれ」


 ユノはまた笑った。


 そのまま住処へ入っていく。


 ガルドも後へ続いた。


「腹は減っているか」


「減った」


「やっぱりな」


「なんで嬉しそうなの」


「嬉しそうではない」


「ちょっと嬉しそう」


「気のせいだ」


 ガルドは否定した。


 ユノが腹を空かせて帰ってくることなど珍しくない。


 食べるのもいつものことだ。


 だから、嬉しがる理由などない。


「今日の分、ある?」


「ある」


「やった」


「お前が帰ってくる前に用意した」


「やっぱり待ってたんじゃん」


「待ってはいない」


「じゃあ何?」


 ガルドは答えに詰まった。


「……帰ってきたら食べるだろうと思っただけだ」


「それを待ってたって言うんじゃないの?」


「違う」


「どう違うの?」


「違うものは違う」


 ユノは納得していない顔をしていたが、食事の方へ興味が移ったらしい。


 それ以上は言わなかった。


 ガルドも助かったので黙っておくことにした。


 食べ始めると、ユノは外で見たものを話した。


 変わった形の石があった。


 木の実を見つけた。


 鳥がすぐ近くまで来た。


 どれも大した話ではない。


 ガルドは適当に返事をしながら聞いた。


「それでね」


「まだあるのか」


「あるよ」


「今日はよく喋るな」


「いつも喋ってるでしょ」


「そうだったか?」


「そうだよ」


 そう言われて、ガルドは少し考える。


 確かに静かな日は少ない。


 幼い頃のユノは、言葉の代わりに泣いていた。


 今は何でも喋る。


 どちらにしても、住処は静かではない。


「昔より分かりやすくなった」


「何が?」


「お前が何を言いたいのか」


 ユノは少し首を傾げた。


「昔?」


「お前が小さかった頃だ」


「覚えてない」


「だろうな」


「私、どんなだった?」


「よく泣いていた」


「それだけ?」


「よく泣いていた」


「他には?」


 ガルドは考えた。


「軽かった」


「今もそんなに重くないよ」


「昔はもっと軽かった」


「ガルドと比べたら、ずっと軽いでしょ」


「それはそうだ」


「じゃあ分かんないじゃん」


 ユノが笑う。


 ガルドも、それ以上説明する気はなかった。


 あの頃、どう抱えればいいのか分からず固まっていたこと。


 眠っただけで息をしているか何度も確かめたこと。


 泣き声の違いが分からず、本気で頭を抱えたくなったこと。


 今となっては、わざわざ話すほどのことでもない。


 ただ、ユノが食べる速度を見て、少し早いと思う。


「急いで食べるな」


「急いでないよ」


「今、ほとんど噛んでなかっただろう」


「噛んだ」


「少ない」


「見てたの?」


「見えるからな」


「怖い」


「何がだ」


 ユノは笑っている。


 怖がってはいない。


 それくらいは分かる。


「もう少しゆっくり食べろ」


「はい」


 今度の返事は素直だった。


 食事が終わったあとも、ユノはしばらく話していた。


 ガルドは聞きながら、ときどき返事をする。


 何か特別なことを話しているわけではない。


 それでよかった。


 やがてユノが少し眠そうに目をこすった。


「眠いなら寝ろ」


「まだ眠くない」


「眠そうだ」


「眠くない」


「今、目をこすった」


「目がかゆかっただけ」


「そうか」


「そう」


 しばらくして、ユノはまた目をこすった。


 ガルドは何も言わずに見た。


「……何」


「別に」


「その顔やめて」


「どの顔だ」


「ほら、寝ろって言いたそうな顔」


「言おうと思っていた」


「やっぱり」


 ユノは不満そうにした。


 それでも少しすると、素直に休むことにしたらしい。


「ガルドは?」


「まだ寝ない」


「また遅くまで起きてるの?」


「眠くなったら寝る」


「ちゃんと寝なよ」


「お前に言われたくない」


「私は寝るもん」


「今、散々寝ないと言っていただろう」


「でも寝る」


「そうか」


 ユノは満足そうだった。


「じゃあ、おやすみ」


「ああ。おやすみ」


 それから少しして、ユノの声は聞こえなくなった。


 ガルドは様子を見る。


 眠っている。


 昔のように、息をしているか何度も確かめることはなくなった。


 それでも寒くないかは見る。


 危ないものが近くにないかも見る。


 眠りが浅そうなら、できるだけ大きな音を立てない。


 どれも考えてすることではなくなっていた。


 気づけば、先に身体が動く。


 ガルドは住処の中を見回した。


 一人で暮らしていた頃と、同じ場所だ。


 自分の身体も変わっていない。


 今も人の姿にはなれない。


 それでも、一人だった頃とはずいぶん違って見える。


 理由を考えるほどでもない。


 ユノがいるからだ。


 それだけだった。


「……明日は、どこへ行く気だ」


 眠っているユノへ小さく聞く。


 もちろん返事はない。


 ガルドは伏せた。


 少しして、自分も目を閉じた。


 翌朝。


「ガルド」


「……なんだ」


「起きて」


「起きている」


「目、閉じてるよ」


「今、起きた」


「それを起きてなかったって言うんだよ」


 ユノの声が近い。


 ガルドはゆっくり目を開けた。


「朝からうるさいな」


「ガルドが起きないからでしょ」


「別に急ぐことはないだろう」


「お腹すいた」


「……先にそれを言え」


 ガルドは身体を起こした。


 ユノが笑う。


「何がおかしい」


「ガルド、私がお腹すいたって言うとすぐ起きるよね」


「食べなければ困るだろう」


「うん」


「だからだ」


「はいはい」


「その返事はやめろ」


 いつものやり取りだった。


 ガルドは食事のことを考え、ユノはその横で何かを話している。


 少し前までなら、静かな朝だった。


 今は違う。


 だが、ガルドはもうその違いを意識することさえ少なくなっていた。


 ユノがいる。


 声がする。


 腹が減ったと言う。


 どこかへ行きたいと言う。


 帰ってくる。


 眠る。


 また起きる。


 それが、いつもの一日だった。


 その日の昼過ぎ、ユノは住処の外で立ち止まった。


「ガルド」


「どうした」


「人がいる」


 ガルドは顔を上げた。


 少し離れた木々の向こう。


 確かに人の気配がある。


 この辺りまで人間が来ること自体、あり得ないことではない。


 ガルドはすぐにユノの近くへ寄った。


「こっちへ来い」


「うん」


 ユノは迷わずガルドの側へ来た。


 その様子を見た人間たちが、足を止める。


 遠いため、表情までは分からない。


 ただ、こちらを見ていることだけは分かった。


「……人間の子ども?」


 声が聞こえた。


「どうして竜と……」


 もう一人の声が重なる。


 ガルドは何も答えなかった。


 ユノも、彼らを見ている。


 人間たちは近づいてこなかった。


 しばらくこちらを見たあと、小声で何かを話し、そのまま引き返していく。


「帰ったね」


「ああ」


「知ってる人?」


「知らない」


「そっか」


 ユノはそれだけ言うと、ガルドの横を通り過ぎた。


「お腹すいた」


「さっき食べただろう」


「もうお腹すいた」


「早すぎる」


「何かない?」


「少し待て」


「はーい」


 人間たちのことは、もう気にしていないらしい。


 ガルドは去っていった方角を一度だけ見た。


 それから、ユノの方へ顔を戻す。


「遠くへ行くなよ」


「行かないよ」


「ならいい」


「ガルド」


「なんだ」


「早く」


「分かっている」


 ユノに急かされ、ガルドも住処へ戻った。


 外では、人間たちの足音が遠ざかっていく。


 中ではユノが、今日食べるものの話をしている。


 ガルドには、そちらの方がずっと近く聞こえた。

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