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はぐれ竜と捨て子の家  作者: Atelier Lotus文庫
本編

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2/8

第1話 一人で生きる竜

 朝、目を覚ましても、ガルドには急ぐ理由がなかった。


 腹が減っていれば食べる。


 そうでなければ、もう少し眠る。


 外へ出たいと思えば出るし、雨が降っていれば住処で過ごす。


 誰かに予定を聞かれることもなければ、帰りが遅いと心配されることもない。


 山の中での暮らしは、ずっとそうだった。


 ガルドは住処から出ると、まだ朝露の残る地面へ前脚を置いた。


 木々の間から差し込む光が、鱗の上を滑っていく。


 今日はよく晴れている。


 ならば、少し遠くまで食べ物を探しに行ってもいい。


 そう思った。


 誰かに相談する必要はない。


 自分が食べる分だけあればいいのだから。


 不便だと思ったことは、あまりなかった。


 ガルドは一人でも生きていける。


 食べ物を探すこともできる。


 雨風をしのげる場所もある。


 山のどこが危険で、どこなら静かに休めるのかも知っている。


 困ることがあれば、自分でなんとかすればいい。


 それだけのことだった。


 ただ、ときどき思い出す。


 竜族は、本来の身体こそ竜の姿だが、日々の暮らしの多くを人の姿で送る。


 食事をするのも。


 仕事をするのも。


 誰かと家を持ち、暮らすのも。


 人の姿は、竜族にとって特別なものではない。


 生活の中にある、ごく当たり前の姿だった。


 ガルドには、それができない。


 理由は分からない。


 昔から、できなかった。


 どれだけ願っても、ガルドの身体は大きな竜のままだった。


 誰かに追い出されたわけではない。


 竜族を嫌いになったわけでもない。


 人間を嫌いになったこともない。


 むしろ、その逆だった。


 人が小さな身体で道具を使い、同じ場所へ集まり、食事をし、話し、家族を作って暮らしている。


 そういうものを、ガルドは嫌いではなかった。


 竜族が人間に惹かれること自体、珍しいことではない。


 だからこそ、人の姿で暮らせないということが、ガルドにはどうしようもなかった。


 できないものは、できない。


 ならば、それを前提に生きればいい。


 そう考えるようになってからは、ずいぶん楽になった。


 誰かと同じ食卓を囲むことも。


 誰かの帰りを待つことも。


 自分以外の誰かのために一日の予定を変えることも。


 自分には縁のないものだと思えばいい。


 悲しむほどのことではない。


 少なくとも、ガルドはそう思っていた。


 今日もいつもと同じように山道を進む。


 木の枝が身体へ触れる。


 鳥がガルドの姿に気づいて飛び立った。


 その羽音もすぐに遠ざかる。


 山は静かだった。


 静かなことにも慣れている。


 むしろ、このくらいがちょうどいい。


 食べ物を見つけ、腹を満たして、日が傾く前に戻る。


 今日はそれで終わる。


 明日も、おそらく似たような一日になる。


 それで困ることはない。


 ガルドが足を止めた。


「……?」


 何か聞こえた。


 振り返る。


 風が木の葉を揺らしている。


 鳥の声。


 遠くで水の流れる音。


 その間に、もう一つ。


「……ぁ……」


 小さい。


 かすれている。


 ガルドは首を傾けた。


 動物の鳴き声とは違う。


 しばらく耳を澄ます。


「……うぇ……っ」


 また聞こえた。


 今度は分かった。


 泣き声だ。


 それも、おそらく人間の。


「なんでこんなところに……」


 思わず声が漏れた。


 人間が山へ入ること自体はある。


 だが、今聞こえている声は、大人のものではない。


 ずいぶん幼い。


 ガルドは少し迷った。


 自分には関係がない。


 そう言ってしまえば、それまでだ。


 親が近くにいるのかもしれない。


 少し離れただけかもしれない。


 ならば、ガルドのような大きな竜が近づけば、むしろ騒ぎになる。


「……」


 また泣き声がした。


 先ほどより弱い気がした。


 ガルドは顔をそむけた。


 数歩進む。


 止まった。


「…………」


 後ろを見る。


 誰もいない。


 当たり前だ。


 ここにはガルドしかいない。


 泣き声だけが、木々の向こうから聞こえている。


「確認するだけだ」


 誰に言うでもなく、ガルドは呟いた。


 親がいるなら、それでいい。


 危険がないと分かれば、そのまま立ち去ればいい。


 ただ、それだけだ。


 ガルドは声のする方へ向きを変えた。


 身体が大きいぶん、木々の密集した場所では進みにくい。


 枝を避け、足元を確かめながら進む。


 泣き声は途切れたり、また聞こえたりした。


 近づくほど、それが人間の子どもの声だとはっきり分かる。


 やがて木々の隙間に、何かが見えた。


 ガルドは足を止める。


 小さい。


 最初は、それしか分からなかった。


 地面の近くに、人間の幼児がいた。


 ガルドの前脚より、ずっと小さな身体。


 泣き疲れたのか、声はもう大きくない。


 幼児はガルドに気づいた。


 泣くのをやめる。


 二人の視線が合った。


 ガルドは動かなかった。


 幼児も動かない。


 巨大な竜と、小さな人間の子ども。


 しばらく互いに見つめ合う。


「……どうして、お前がここにいる」


 答えが返ってくるはずもない。


 幼児の顔が、またくしゃりと歪んだ。


「う……」


「待て」


 何を待てというのか、自分でも分からない。


「泣くな。いや……泣いてもいいが……」


 違う。


 そうではない。


 ガルドは周囲を見る。


 誰かいるはずだと思った。


 こんな小さな子どもが、一人でここまで来られるはずがない。


「おい」


 少し声を張る。


「誰かいないのか」


 返事はない。


 風が吹く。


 木の葉が揺れる。


 それだけだった。


 ガルドはもう一度、幼児を見る。


 先ほどまでなら、今日一日をどう過ごすかなど、自分だけで決めればよかった。


 腹が減ったか。


 眠いか。


 帰るか。


 考えることは、それだけで済んでいた。


 だが今、目の前にいる小さな人間は、どう見てもガルド一人の都合では消えてくれそうにない。


 幼児が、また泣き始めた。


 ガルドは困った。


 本当に、困った。


 どうすればいいのか、まるで分からなかった。

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