第4話
家の外で、レオンが土壁に背を預けてずるずるとしゃがみ込んでいるのを、俺は隙間風の吹き込む窓から不思議に思って見ていた。
手には小さな空の小瓶が握られている。またあの苦そうな胃薬を飲んだらしい。彼がこの村にやってきてから、その回数は日に日に増えている気がする。
「大丈夫か、あんた……」
声をかけようと身を乗り出したが、俺の膝の上にはもふもふとした温かい塊が乗っていて、不用意に動くことができなかった。
「ルカ、どうしたのだ? 私の頭を撫でる手が止まっているぞ」
シルヴィが不満げに喉を鳴らし、俺の胸元にすり寄ってくる。手のひらサイズの小さな体だが、その内側には信じられないほどの熱と力が詰まっていた。
「ごめんごめん。ちょっと外が気になってさ」
俺が再びその柔らかい毛並みを撫でると、シルヴィは満足そうに目を細め、俺の腕の中にすっぽりと収まった。
そこへ、ドタバタと慌ただしい足音が近づいてきた。
「おおおおお! まさか、まさか本当に孵化しているとは!」
勢いよくあばら家の戸口に現れたのは、ボサボサの白髪にインクの染みがついた古びたローブを纏う初老の男だった。
男は目を血走らせ、俺の膝の上のシルヴィを食い入るように見つめている。
「素晴らしい! 伝承にある通りの神々しい魔力波長! 君、少しその鱗の構造を見せてくれないか!」
男がズカズカと上がり込み、無遠慮に手を伸ばしてきた瞬間だった。
「気安く触れるな、下等生物が」
シルヴィの声が氷のように冷たく響いた。
次の瞬間、シルヴィの小さな口から放たれた熱線が、男の足元を掠めて土間を激しく焦がした。熱波が狭い部屋の中に充満し、焦げ臭い匂いが鼻を突く。
「ひぃっ!?」
男は尻餅をつき、ローブの裾から煙を上げた。
「シルヴィ、駄目だ! 家の中で火を吹かないでくれ」
俺が慌てて声を上げると、シルヴィはビクッと肩を揺らした。
「……ルカが怒るなら、やめておく」
シルヴィは俺の手に頬を擦り寄せ、あっさりと矛を収めた。俺以外の人間には容赦がないが、俺の言葉には絶対に従う。その極端な態度の違いに、俺はいつも戸惑ってしまう。
俺は急いで男に駆け寄り、ローブの火を足で踏んで消した。
「あんた、急に何なんだ。怪我はないか?」
「私か? 私はオズワルド。竜神の生態を研究している学者だ」
オズワルドは煤けた顔のまま、興奮冷めやらぬ様子で立ち上がった。恐怖よりも知的好奇心が勝っているらしい。
「君があの冷え切った卵を孵したのか? いったいどうやって!」
オズワルドの問いに、俺は少し口ごもった。特別な魔法を使ったわけでも、儀式を行ったわけでもないからだ。
「どうやってって……森で石ころみたいに冷たくなってる卵を拾って、放っておけなくて、毛布に包んで俺の体温で温め続けただけだ」
親に見捨てられ、森の奥深くで冷たくなっていく卵。それは、村の片隅で誰からも必要とされず、ただ息を潜めて生きている俺自身の姿と重なった。だからこそ、同情して見過ごすことができなかったのだ。
俺がそう答えると、オズワルドは目を丸くして絶句した。
「ただの体温で? 馬鹿な。数千年も魔力が尽きて石化していた卵だぞ。普通の人間がいくら温めようと、孵るはずがない」
オズワルドはぶつぶつと呟きながら、部屋の中を歩き回り始めた。そして、ふと立ち止まり、俺の顔をまじまじと見つめる。
「君、親はいるかね?」
「……物心ついた時から、孤児だ。親の顔なんて知らない」
「なるほど、ならば間違いない。君はかつて竜神と契約を結んだ、古代の竜騎士の末裔だ。君の持つ特異な魂が、竜神の魂と共鳴したからこそ、孵化の奇跡が起きたのだ!」
オズワルドは早口で捲し立てた。
古代の竜騎士の末裔。特異な魂。
そんな大層な言葉を並べられても、俺には全く実感が湧かなかった。村の隅で虐げられ、誰からも必要とされなかった俺が、特別な血筋なわけがない。孤児としての劣等感が、その言葉を素直に受け入れることを拒絶していた。
「俺はただの孤児だ。そんな立派なもんじゃない」
「いや、君の血脈が証明している。でなければ、これほどまでに竜神が君を『親』として執着するはずがないのだ」
オズワルドの言葉を裏付けるように、シルヴィは俺の腕に絡みつき、誰にも渡さないとばかりに威嚇の視線を周囲に放っている。
その時、外から金属の擦れるような重々しい足音が響いてきた。
「おい、レオン! 外が騒がしいぞ」
俺が声をかけると、外でうずくまっていたレオンが顔を上げ、血相を変えて立ち上がった。
「ちっ……もう来やがったか」
あばら家の前に現れたのは、豪奢な鎧に身を包んだ高圧的な騎士たちだった。彼らの胸には、見慣れない紋章が刻まれている。
「我々はザルバ帝国の使者である! 竜神を保護し、帝国へとお迎えするために参った!」
先頭に立つ騎士が、傲慢な態度で宣言した。彼らは俺たちを一瞥すると、背後の従者に合図を送った。
ドサリ、と土間に投げ出されたのは、金貨がはち切れんばかりに詰まった袋と、眩い光を放つ宝飾品の数々だった。
「これだけの富を約束しよう。さあ、その竜神をこちらへ渡せ。孤児の分際で、そのような尊き存在を抱え込むなど身の程知らずにも程がある」
騎士の言葉に、俺は奥歯を噛み締めた。胃の奥が冷たくなるのを感じる。
孤児だからと見下されるのは慣れている。だが、彼らが金で買おうとしているのは物じゃない。俺の大切な家族だ。ふざけるなと怒鳴り返そうと息を吸い込み、俺はシルヴィを庇うように強く抱き寄せた。
だが、俺が口を開くより先に、シルヴィが冷ややかな声を発した。
「貴様ら、うるさいぞ。ルカの膝の上という私の特等席を邪魔する気か」
シルヴィは山積みの金銀財宝には一切目もくれず、俺の腕の中で大きな欠伸をした。
莫大な富も権力も、シルヴィにとっては俺の膝の上以下の価値しかないのだ。使者たちの顔が、屈辱と怒りで朱に染まる。
「なっ……竜神が、ただのガキに……!」
使者たちが苛立ちを露わにし、剣の柄に手をかけたその時だった。
彼らの背後から、地響きのような重低音を響かせて、圧倒的な威圧感を放つ巨大で豪華な馬車が近づいてきた。
周囲の空気が一瞬にして凍りつく。息をするのすら苦しいほどのプレッシャーが、あばら家全体を包み込んだ。
馬車の扉がゆっくりと開き、中から姿を現したのは——。
「大公閣下……」
レオンが絶望に染まった声で呟いた。
ザルバ本人が、直々に乗り込んできたのだ。




