第3話
シルヴィが孵化してから数日。
村の連中は相変わらず俺を遠巻きに見ているが、あばら家の中だけは温かかった。
隙間風が吹き込む薄暗い部屋でも、シルヴィの体温があれば寒さを感じない。シルヴィは俺の膝の上を特等席と定め、片時も離れようとしなかった。
俺が薪を割ろうと立ち上がっても、服の裾をくわえて引き留める始末だ。
「仕方ないな。一緒に行くか?」
俺がそう言うと、シルヴィは嬉しそうに肩によじ登ってくる。
誰かに必要とされること。自分を頼りにしてくれる存在がいること。それがこんなにも心を温かくするものだとは、今まで知らなかった。
そんなある日、見慣れない青年が村に現れた。
癖のある茶髪に、少し着崩した小国の騎士の制服。彼は村人たちに道を尋ねていたようだが、なぜか真っ直ぐに俺のあばら家へと向かってきた。
「いやあ、参った。完全に道に迷っちまって」
青年は人懐っこい笑みを浮かべ、俺に声をかけてきた。
「あんた、誰だ」
俺は警戒して一歩下がる。村の外の人間が、こんなみすぼらしい孤児に用などあるはずがない。
「俺はレオン。しがない旅の護衛さ。ちょっと休ませてくれないか?」
レオンと名乗る青年は、俺の足元に視線を落とした。そこには、俺の足にすり寄るシルヴィがいる。
◆ーーーー◆
俺、レオンは愛想の良い笑みを顔に貼り付けながら、内心で滝のような冷や汗を流していた。
数日前、帝国の特務機関から下された密命。
『辺境の村で観測された神格級の魔力波長。伝説の竜神が誕生した可能性が高い。直ちに確保せよ』
身分を偽り、急ぎ村に潜入した俺は、ターゲットである少年ルカとの接触に成功した。
だが、少年の足元にいるあの白い毛玉。
あれが竜神?
もふもふとした手のひらサイズのそれは、どう見てもただの愛玩動物だ。
しかし、俺の視線に気づいた毛玉が、ちらりとこちらを見上げた瞬間。俺の常識は音を立てて崩壊した。
息が詰まる。空気が鉛のように重くなり、本能がけたたましい警鐘を鳴らした。
あの毛玉の奥底には、底なしの魔力の海が広がっている。一歩でも敵対行動をとれば、俺など塵も残らず消し飛ばされるだろう。
胃の奥がキリキリと痛み出した。
「どうしたんだ、あんた。顔色が悪いぞ」
ルカが怪訝そうな顔で俺を見る。
「い、いや。長旅で少し疲れたみたいだ。しばらくここで休ませてもらえないかな。もちろん、護衛でも雑用でも何でもするからさ!」
俺は必死に声を絞り出した。
とにかく、この少年を保護するという名目で監視の口実を作らなければならない。
帝国に連れ帰るどころの騒ぎではない。下手に刺激すれば、世界が終わる。
◆ーーーー◆
レオンという青年は、なぜか俺の家に居座ることになった。
シルヴィはレオンを警戒し、喉の奥で低く唸り声を上げている。
「シルヴィ、大丈夫だ。何もしないよ」
俺が頭を撫でると、シルヴィはすぐに甘えた声を出し、俺の膝にすり寄ってきた。
さっきまでの威嚇が嘘のように、俺の指先を甘噛みしてくる。
「……本当に、ただのペットにしか見えないんだがな」
レオンが引き攣った笑いを浮かべながら、壁際に縮こまっている。
そこに、エルナさんがやってきた。
「あら、ルカくん。お客さん? お茶を淹れましょうね」
エルナさんは見知らぬ青年がいても全く動じず、持参した茶葉と道具で手際よくお茶の準備を始めた。
「あ、あの、お婆さん。その足元にいる生き物、危なくないですか?」
レオンが恐る恐る尋ねるが、エルナさんは穏やかに微笑むだけだ。
「可愛い子が家族になったのよ。ほら、お菓子も食べる?」
エルナさんが差し出したクッキーを、シルヴィは嬉しそうに頬張っている。
その横で、レオンが腰に下げていた護身用の硬い魔石が床に転がり落ちた。
シルヴィはそれに気づくと、クッキーを食べるのをやめ、魔石を前足で押さえ込んだ。そして、鋼鉄よりも硬いはずの魔石を、ボリボリと音を立ててかじり始めたのだ。
「ちょっ、それ俺の給料三ヶ月分の……!」
レオンが悲鳴を上げるが、シルヴィは意に介さず飲み込んでしまった。
「……胃薬、持ってくればよかった」
レオンが頭を抱えたその時だった。
外から、地鳴りのような馬蹄の音と、車輪が石を砕く音が響いてきた。
あばら家の外に、豪華な馬車が何台も連なって止まる。降りてきたのは、きらびやかな衣装を身にまとった貴族や、重武装の騎士たちだった。
「おお、ここか! 伝説の竜神様がおわすというのは!」
彼らは俺の家の粗末な扉を蹴り開け、土足で上がり込んできた。
俺は反射的にシルヴィを抱き寄せ、後ずさる。
だが、使者たちは俺のことなど全く目に入っていないようだった。彼らは俺の腕の中にいるシルヴィに向かって、一斉にひざまずいた。
「偉大なる竜神様! 我が国に来ていただければ、城を一つ差し上げましょう!」
「いや、我が国なら国庫の半分を! 最高の環境をご用意いたします!」
「我が軍の象徴として、どうかお力をお貸しください!」
莫大な富と権力を提示し、滑稽なほどに奪い合いを始める大人たち。
彼らの目には、シルヴィが強大な兵器か、権力の象徴としてしか映っていない。
俺は唇を噛みしめた。
もし、シルヴィが彼らの言葉に惹かれてしまったら。こんなみすぼらしいあばら家よりも、城や美味しい食べ物の方がいいに決まっている。
シルヴィが俺のもとを離れ、再びあの冷たい孤独な生活に逆戻りするのではないか。
そんな恐れが、胸の奥を冷たく撫でた。
シルヴィを道具や兵器として扱うことなんて、絶対に許さない。
だが、俺が何かを言う前に、シルヴィが動いた。
俺の腕の中から這い出し、再び俺の膝の上に陣取ると、使者たちを冷酷な目で見下ろした。
『貴様ら、ルカの邪魔をするな。消えろ』
直接頭に響く、尊大で冷酷な声。
同時に、シルヴィの小さな体から目に見えない衝撃波が弾け飛んだ。
使者たちは悲鳴を上げ、見えない壁に弾き飛ばされるようにして家の外へと転がり出た。
豪華な衣装は泥にまみれ、彼らは這うようにして馬車へと逃げ帰っていく。
嵐が去った後のような静寂の中、シルヴィは再び俺を見上げ、無邪気な声を出した。
俺に褒めてほしそうに、尻尾を振っている。
「……お前は、本当に俺の膝の上が好きなんだな」
俺が頭を撫でてやると、シルヴィは満足そうに目を細めた。
◆ーーーー◆
あばら家の裏手に回り、俺は震える手で通信魔道具を取り出した。
各国の使者たちが一瞬で追い払われる光景を、俺は壁の隙間から見ていた。
あの毛玉は、間違いなく世界を滅ぼせる。しかも、あの少年ルカに異常なほど執着している。莫大な富も権力も、あの竜神にとっては少年の膝の上以下の価値しかないのだ。
「こちらレオン。ターゲットとの接触に成功した。だが……状況は最悪だ」
『どういうことだ?』
通信の向こうから、上司の苛立った声が響く。
「竜神は少年に完全に懐いている。引き剥がすのは不可能だ。下手に手を出せば、国が消し飛ぶぞ」
『各国の動きが早すぎる。こちらも本腰を入れる。さらに上位の特務部隊と、大公閣下ご自身がそちらに向かっている』
「は……? 大公閣下が、直々に?」
俺は耳を疑った。
『そうだ。何としても竜神を我が帝国に迎え入れろ。失敗は許されない』
通信が一方的に切れ、俺は魔道具をポケットに突っ込んだ。
大公閣下まで来るだと?
俺は頭を抱え、土壁に背を預けてずるずるとしゃがみ込んだ。
胃の痛みが限界を突破しそうだ。
俺は懐から小瓶を取り出し、苦い胃薬を水なしで飲み込んだ。
次にこの村にやってくるのは、どんな化け物だというのか。
俺の胃壁は、果たしてそれまで保つだろうか。




