第20話
レオンの忠告に無言で頷いた直後、外から金属がぶつかり合うような騒々しい音が響いた。
あばら家の薄汚れた木の扉を開けると、冷たい風と共に土埃が舞い込んでくる。村の広場は、異様な熱気に包まれていた。
きらびやかな装飾鎧を着込んだ小国の貴族が、数十人の私兵を率いて陣取っている。彼らの目は、欲望と焦燥に血走っていた。
「ザルバ宰相の本隊が到着する前に、その竜神を我らが保護する! 孤児風情が世界最強の力を独占するなど、許されるはずがない!」
貴族の傲慢な声が響き渡る。彼らは俺の意思などお構いなしに、力ずくでシルヴィを奪うつもりだ。
私兵たちが一斉に剣を抜き、怒号を上げながら俺に向かって殺到してくる。
俺が身構えるより早く、腕の中にいたシルヴィがふわりと宙に浮き上がった。
「ルカに触れるな、下等生物め」
冷酷で、底冷えするような声。次の瞬間、シルヴィの小さな口から放たれた不可視の魔力波が、広場を薙ぎ払った。
爆発音すらなく、ただ圧倒的な圧力だけが空間を押し潰す。私兵たちは悲鳴を上げる間もなく、紙くずのように吹き飛ばされた。分厚い鋼の鎧がひしゃげ、剣が粉々に砕け散る。
一歩も動くことなく、ただの眼力と魔力圧だけで、愚かな権力者の野望は徹底的に蹂躙された。貴族は腰を抜かし、泡を吹いて地面に倒れ伏している。
その光景を遠巻きに見ていた他国の使者たちは、顔面を蒼白にして地面に額を擦り付けた。
「ルカ様! どうか、どうか我々にはお慈悲を!」
「こちらに最高級の果実をご用意しております! 竜神様のお口に合えばと……!」
「我が国の王女を侍女として差し出します! どうかご機嫌をお直しください!」
彼らは俺の機嫌を損ねれば国が滅ぶと理解し、必死に媚びへつらう。俺が歩けば絨毯が敷かれそうな勢いだ。図らずも、村の隅で虐げられていた少年は、世界で最も丁重に扱われる存在となっていた。
「ルカ、褒めて」
先ほどまでの冷酷さが嘘のように、シルヴィは俺の胸元にすり寄り、無邪気に甘えてくる。
「ああ、ありがとう。シルヴィ」
俺は彼女の柔らかい背中を撫でながら、周囲の異様な光景にため息をついた。
◆ーーーー◆
だが、その滑稽な平穏は長くは続かなかった。
地鳴りのような足音が響き、村の近郊の丘に無数の軍旗が翻った。ザルバ帝国の本隊だ。
先頭に立つ豪奢な天幕の下、ザルバ宰相が冷酷な笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。
「哀れな孤児め。貴様の運もこれまでだ」
風に乗って、ザルバの嘲笑が聞こえてくるようだった。彼らはすぐに攻め込んではこなかった。代わりに、陣の周囲に奇妙な杭を打ち込み、巨大な魔導具を設置し始めた。
風に乗って、鼻を突く異臭が漂ってくる。
「あの匂い……」
俺は顔をしかめた。かつて長老が呪い除けと称して飲ませていた、あの泥のように濁った薬と同じ匂いだ。
「ルカ、あれは……」
傍らに立つディルクが険しい顔で言った。
「帝国が開発した広域魔力封じの結界陣だ。お前の魔力を封じ、竜神との繋がりを断ち切るつもりだろう」
村人たちは帝国の圧倒的な軍勢と、不気味な結界の準備を見てパニックに陥った。荷物をまとめ、悲鳴を上げながら森へと逃げ出していく。
俺は唇を噛んだ。俺がここにいれば、村が戦場になる。シルヴィを連れて、どこか遠くへ逃げるべきではないか。
そう葛藤した時だった。
シルヴィが俺の足元から離れ、村の入り口へと歩み出た。小さな体を精一杯膨らませ、迫り来る帝国の軍勢に向けて、低い唸り声を上げる。
「シルヴィ……?」
彼女は俺を背に庇うように立ち塞がり、敵意を剥き出しにしていた。
その小さな背中を見て、俺の胸の奥で何かが熱く弾けた。
オズワルドの手紙にあった言葉が脳裏をよぎる。数千年間、卵の中で孤独に耐え続けてきた竜神の魂。
彼女が俺を選んだのは、俺が特別な力を持っていたからではない。誰からも必要とされなかった俺の孤独と、彼女の孤独が共鳴したからだ。
打算のない愛情だけが、彼女をこの世界に繋ぎ止めている。だから彼女は、俺のために戦おうとしている。自分の身を挺してでも、この小さな家族を守るために。
「……逃げない」
俺は呟き、シルヴィの隣に並び立った。
「俺はもう、お前を一人にしない。どんな敵が来ようと、ここが俺たちの居場所だ」
俺の言葉に、シルヴィは振り返り、嬉しそうに喉を鳴らした。
「ルカ……!」
その決意に応えるように、ディルクが静かに剣を抜いた。
「俺も付き合おう。帝国のやり方には、とうに反吐が出ている」
黒い軍服の武人は、俺の傍らに立ち、かつての主であるザルバの陣営を鋭い三白眼で睨み据えた。
だが、ザルバの準備はすでに完了していた。
丘の上で、ザルバが扇を振り下ろす。
瞬間、打ち込まれた杭から不気味な紫色の光が天に立ち昇り、村全体を覆う巨大なドーム状の結界が展開された。
「くっ……!」
俺の視界がぐらりと揺れた。
全身の血が逆流するような激しい眩暈。胸の奥で繋がっていたシルヴィの温もりが、急速に遠ざかっていく感覚に襲われる。
結界の光が強さを増す中、俺は膝から崩れ落ちそうになる体を必死に支えた。




