第18話
ディルクの警告から数時間後。村の入り口に土煙が上がった。
ザルバ帝国の正規軍に先んじて到着した、貴族将校率いる精鋭部隊だった。彼らはあばら家を幾重にも包囲し、鈍く光る槍の穂先をこちらへ向けている。
「孤児の分際で帝国に逆らうとは、身の程を知れ」
豪奢な鎧を着込んだ将校が、馬の上から俺を見下ろして鼻で笑った。その後ろには、数十人の重武装した兵士たちが控えている。
「その化け物を大人しく引き渡せば、お前の命くらいは助けてやろう。さあ、早くしろ」
高圧的な声が響き渡る。俺は膝の上で丸くなる温もりを両腕で抱きしめ、一歩も退かずに将校を睨み返した。
化け物。その言葉が空気を凍らせた。
「……貴様、今なんと言った」
腕の中にいたシルヴィが、ふわりと宙に浮かび上がる。
愛らしい小竜の姿からは想像もつかない、絶対的な冷酷さを孕んだ声だった。空を覆っていた鉛色の雲が渦を巻き、大気がビリビリと震え始める。
「ルカを脅かし、あまつさえ私を愚弄するか。塵芥め」
シルヴィの小さな口が開かれた途端、神話級の魔力が嵐となって吹き荒れた。
目に見えない巨大な圧力が、帝国兵たちを上から叩き潰す。悲鳴を上げる間もなく、将校の乗っていた馬が足を折り、重武装の兵士たちが次々と地面に這いつくばった。
鋼の鎧がひしゃげ、槍が飴細工のようにへし折れていく。
「ひ、ひぃっ……!」
「お許しを! どうかお許しを……!」
先ほどまでの傲慢さは欠片もなくなり、将校は泥に顔を押し付けて命乞いを始めた。
シルヴィは冷たい眼差しで彼らを見下ろしている。俺に敵対する者への、徹底的な蹂躙。圧倒的な力の差を前に、兵士たちは武器を放り出し、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
◆ーーーー◆
騒ぎが収束した後のあばら家の周囲は、異様な光景に包まれていた。
遠巻きに事態を観察していた各国の使者たちが、一斉に手のひらを返したのだ。帝国の精鋭部隊が赤子のようにあしらわれる様を目の当たりにし、彼らは武力による強奪が完全な悪手であると骨の髄まで理解したらしい。
「どうか、我が国からのささやかな贈り物をお納めください」
「ルカ様におかれましては、何卒ご機嫌を損ねられませぬよう……」
使者たちは地面に額を擦り付け、震える声で懇願してくる。
みすぼらしいあばら家の前に、最高級の絹の絨毯が敷き詰められ、荷馬車何台分もの宝石や魔石、見たこともない高級食材が山のように積み上げられていく。
誰もが俺の機嫌を取り結ぼうと必死だった。少しでも不興を買えば、自国が帝国の二の舞になるという底知れぬ恐怖と畏敬。
俺は図らずも、世界で最も丁重に扱われる存在となってしまった。
隙間風の吹く薄暗い部屋の窓辺には、今や金糸のカーテンが掛けられ、床にはふかふかのクッションが並んでいる。生活環境が一変したことに戸惑いながらも、俺はただ溜息をつくしかなかった。
「ルカ、褒めていいぞ」
シルヴィは積み上げられた宝の山には一切目もくれず、俺の膝の上に戻ってきて無邪気に喉を鳴らしている。俺は苦笑しながら、そのもふもふとした頭を撫でた。
午後になり、村の広場に魔法の伝書鳥が舞い降りた。
遠方にいる学者オズワルドからの速達便だった。分厚い封筒を開けると、羊皮紙にびっしりと細かい文字が書き込まれている。
帝国の竜使いに関する古代の知識と、竜神の生態についての考察。俺は窓辺の明かりを頼りに、その手紙を読み進めた。
『なぜ、あの気高き存在が君を選んだのか。私はずっと疑問に思っていた』
理屈っぽい学者の声が脳内で再生される。
『君自身も既に感じ取っているだろう。君の無償の優しさが、数千年の孤独に震えていたあの魂と深く共鳴したのだと。君たちの魂は、まるで最初からそう運命づけられていたかのように、互いの欠けた部分を埋め合わせるように結びついている。だが、ただの偶然で神話級の存在とそこまで深く同調できるはずがないのだ』
文字をなぞる指先が、わずかに震えた。
俺の体温と、孤独を分け合うような繋がり。互いの欠けた部分を埋め合わせるように結びついているのだと、手紙は告げていた。
だが、続く文章に俺は息を呑んだ。
『さらに文献を調べていくうちに、興味深い記述を見つけた。君はただの孤児ではないかもしれない。かつて竜神と契約を結んだ、古代の竜騎士の末裔である可能性が高い』
血筋。
その言葉が、胸の奥に冷たいしこりを落とす。
俺が特別な血を引いているから、シルヴィは孵化したのだろうか。この温もりは、俺自身に向けられたものではなく、古代の契約という呪縛によるものなのか。
自分が何者なのか分からなくなり、視界がわずかに揺れた。
「あら、難しい顔をしてどうしたの」
不意に、穏やかな声が部屋に響いた。
入り口に立っていたのは、薬草屋のエルナだった。彼女は周囲に積み上げられた莫大な財宝の山を気にする素振りも見せず、湯気の立つお茶と焼き菓子をお盆に乗せて歩いてくる。
「オズワルドさんから、手紙が届いたんです。俺の出自について……少し、厄介なことが書かれていて」
俺が言葉を濁すと、彼女はふふっと柔らかく笑った。
「血筋がどうであれ、あなたはあなたよ。あの子にとっての、たった一人の親なんだから」
マイペースな響きが、張り詰めていた心をゆっくりと解きほぐしていく。
膝の上を見下ろすと、シルヴィが俺の服の裾を小さな爪でしっかりと掴み、安心しきった顔で眠っていた。
そうだ。俺が何者であろうと関係ない。
この小さな家族を守り抜く。それだけが、俺の譲れない願いなのだ。
温かいお茶を一口飲み、俺は再び手紙に視線を落とした。
最後のページをめくると、追伸として短い一文が記されている。
『古代の隠蔽魔法陣の痕跡について追調査を行った結果、奇妙な事実が判明した。あの卵は置き去りにされたわけではない。何かから、意図的に隠されていた形跡がある』
卵が隠されていた真の理由とは何か。
窓の外の曇り空を見上げながら、俺は得体の知れない不安が足元から忍び寄ってくるのを感じていた。




