↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
10/40

第10話

翌朝、俺は村の集会所に呼び出されていた。


薄暗い板張りの部屋には、カビと埃の匂いが立ち込めている。上座に座る長老は、しわがれた顔にねっとりとした笑みを浮かべていた。


「さあ、いつもの薬を飲みなさい。お前を悪い呪いから守るための、大切なものじゃ」


差し出された木彫りの杯には、泥のように濁った液体がなみなみと注がれていた。いつもより色が濃く、鼻を突くような異臭が強い。


背後には、昨日村から撤退したはずの先遣隊の兵士たちが数名、腕を組んで立っている。彼らの冷たい視線が、俺の逃げ道を塞いでいた。


膝の上では、もふもふとした小竜の姿をしたシルヴィが、警戒するように喉を鳴らしている。


「早く飲むんじゃ。村の皆もお前のことを心配しておる」


長老が濁った液体の入った杯を、ぐいと俺の胸元へ押し付けてくる。背後の兵士たちが、威圧するように床を強く踏み鳴らした。


孤児として村の隅で虐げられ、誰からも見向きもされなかった日々が脳裏をよぎる。


逆らえば何をされるか分からない。理不尽な暴力と冷笑に耐え、ただ息を潜めてやり過ごすしかなかった記憶が、足元から這い上がってきて俺の心を縛りつける。大人たちの言う通りにしなければ、この村で生きていくことはできなかった。


あの無力で孤独な日々に、また引き戻されてしまうのだろうか。


震える手で杯を受け取ろうとした、その時だった。


「待て待て待て! 君、それを口にしてはいけない!」


集会所の古びた扉が勢いよく蹴り開けられ、ボサボサの白髪を振り乱したオズワルドが転がり込んできた。インクの染みがついたローブを翻し、ずかずかと俺と長老の間に割って入る。


「なんだ貴様は! 部外者が勝手に入りおって!」


長老が立ち上がり、先遣隊の兵士たちが剣の柄に手をかける。だが、変人学者はそんな威嚇など意に介さず、俺の手から杯をひったくった。


「ふむ……この独特の刺激臭。それに、微かに混じる青灰色の沈殿物。間違いない。これは帝国由来の魔力封印薬だ」


オズワルドは興奮した早口でまくしたてる。


「呪い除けなどとんでもない。これは対象の魔力回路を萎縮させ、竜との結びつきを強制的に弱めるための劇薬だよ。長年こんなものを飲まされていたのかね、君は」


その言葉に、俺は息を呑んだ。


村の大人たちが俺を気遣ってくれているのだと、心のどこかで信じたかった。だが現実は、俺から力を奪い、竜との繋がりを断ち切るために騙し続けていたのだ。胃の奥が鉛のように重く、冷たくなっていく。


「ちっ、余計な真似を……! おい、その男を黙らせろ!」


先遣隊の隊長が声を荒らげ、兵士たちが一斉に踏み込んでくる。


だが、彼らの動きはピタリと止まった。


『ルカに毒を盛ろうとしたな、下等生物ども』


脳内に直接響く、氷のように冷酷な声。


膝の上にいたシルヴィが立ち上がり、全身の毛を逆立てていた。愛らしい小竜の姿からは想像もつかないほどの、圧倒的で濃密な魔力が部屋中を満たしていく。空気が軋み、床板がミシミシと悲鳴を上げた。


『貴様らのような塵芥が、私のルカを害そうとするなど万死に値する。魂ごと消し去ってくれる』


シルヴィの金色の瞳が、長老と兵士たちを射抜く。彼らは顔面を蒼白にし、ガチガチと歯の根を鳴らして後ずさった。


俺は、シルヴィの小さな背中を見つめた。


長年飲まされ続けた封印薬は、俺から竜と結びつく資格を奪い去るためのものだった。だが、シルヴィとの絆はそんな姑息な手段で絶たれるようなものではなかった。俺を害そうとする者へ容赦なく牙を剥く今の姿を見ていると、シルヴィが他の誰でもなく俺を選んでくれた事実が、改めて胸に迫ってくる。


誕生の余波を察知した各国の王や大貴族たちが、莫大な富と権力を手に俺のあばら家へ殺到した時のことも思い出す。彼らは必死に甘い言葉を並べ立てたが、シルヴィは他を完全に無視し、俺の膝の上から一歩も離れようとしなかった。


世界最強の存在が、何の力もない孤児の俺を選んでくれた。


その事実が、俺の中にこびりついていた劣等感を、熱い炎となって焼き尽くしていく。


「シルヴィ、待ってくれ」


俺は立ち上がり、シルヴィの小さな頭をそっと撫でた。怒りで逆立っていた毛並みが、俺の手のひらの下で少しだけ柔らかくなる。


オズワルドの手から杯を取り返すと、俺は長老の足元へ力いっぱい叩きつけた。


パリンという甲高い音とともに、濁った液体が床にぶちまけられる。


「ひっ……!」


腰を抜かした長老を見下ろし、俺ははっきりと告げた。


「昨日も言ったはずだ。シルヴィは誰の道具にもさせないとな。それに……俺から力を奪い、都合よく騙し続けてきたあんたたちの支配も、今日で終わりだ。もう二度と、俺たちに干渉するな」


それは、俺自身の意志による決別の宣言だった。


シルヴィが俺を見上げ、嬉しそうに喉を鳴らす。その小さな体を両腕で抱き寄せると、温かい鼓動が胸に伝わってきた。


『聞いたか、愚か者ども。ルカの言葉は絶対だ。二度と私たちの前に姿を見せるな』


シルヴィが軽く前足を振るうと、目に見えない衝撃波が放たれ、集会所の壁の一部が吹き飛んだ。土煙が舞い上がり、外の冷たい風が吹き込んでくる。


「ば、化け物め……! 覚えていろ!」


先遣隊の隊長は捨て台詞を吐き、兵士たちと共に逃げるように村から走り去っていった。長老も這うようにして部屋の奥へと姿を消す。


静寂が戻った集会所で、俺はシルヴィを強く抱きしめた。


まだ問題がすべて解決したわけではない。帝国の脅威は去っておらず、村での居場所もどうなるか分からない。それでも、俺とシルヴィの絆は、誰にも壊せないほど確かなものになっていた。


小さな前進の手応えを感じながら、俺は崩れた壁の向こうに広がる空を見上げた。


◆ーーーー◆


同じ頃、帝国の国境近くに設営された豪奢な天幕の中。


豪華な絨毯の上に、先遣隊の隊長が平伏し、全身を震わせていた。


「……つまり、村の長老を使った工作は失敗し、竜神の奪取も叶わなかったと?」


玉座のような椅子に深く腰掛ける男——ザルバ帝国の宰相ザルバが、氷のように冷たい声で問いかける。


「も、申し訳ございません! あの孤児の小僧が思いのほか強情で……それに、竜神の力が強大すぎて、我々だけでは到底……!」


「言い訳は不要だ」


ザルバが指を鳴らすと、控えていた近衛兵が隊長を両脇から抱え上げ、天幕の外へと引きずり出していった。遠くで短い悲鳴が上がり、すぐに静寂が戻る。


「愚図どもめ。辺境の孤児一人に、これほど手間取るとはな」


ザルバは立ち上がり、天幕の隙間から村の方角を睨みつけた。その瞳には、世界を我が物にしようとする底知れぬ野望と、激しい怒りが渦巻いている。


「こうなれば、もはや小細工は無用。私が直接出向いて、あの小僧に身の程を教えてやろう」


重厚な鎧の擦れる音が、陣営全体に響き渡る。


圧倒的な武力を誇る帝国の大部隊が、俺たちのささやかな居場所を蹂躙すべく、静かに進軍を開始しようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。