7.
「……ふぅ。」
熱を逃すようなため息と共に、ドラゴンが人の姿へと変わりながら、橋へと着地する。逆さ三角のマントがはらりと戻る。遅れて落ちて来た剣を、ニルバルは片手でキャッチ。その姿が堂に入っていて、私は聞こえぬように舌打ちする。
浅ましくも、プライドだけは一丁前にある私は、乾いた敗北感を胸のうちに秘めていた。
驕っていた。
とうの昔に、覇者へと勝てるくらいにはなっていると自負して、それを仄かに漂わせながら喋っていた。甚だしいほどの勘違い。ニルバルと同格。若しくは、私が負ける。覇者などとは程遠い位置に私はいる。
「毎度毎度の隕石の洗練だ。どうだ?この果てに、我々の思いもよらぬ存在がいそうだろ?」
果てを指差すニルバル。そこには微笑。そのつもりはないだろうが、私を見下している気がした。
「嫌になるね。出来れば木偶の坊みたいな存在を所望するよ。」
「ブネちゃんと一緒。というか、そこまで行きたくない。金貰って帰っていい?」
レヘルちゃんが、あっけらかんとした様子でそう言った。私は咄嗟に、ニルバルの顔色を窺ってしまう。その自分の動作に、私は嫌気がさす。
「駄目だ。来てもらう。」
ニルバルはそれだけ言って、歩き出す。
幾つもの分岐を経て、橋を進むと、今度はだんだんと枝分かれする橋が、果てに向かって一つに束ねられていくような景色に変わり始めた。もう何時間歩いているのかは知らないが、空はあいも変わらず、その顔色を変化させない。つまりは、夜にならないのである。常に眼下には雲海がある。鳥瞰する視界。それに変化がない。
「……休息にするか。」
ニルバルの呟きと共に、冒険者のため息が漏れて、荷物が床に置かれる。手際よく野営の準備が整えられて、私たちにも一つのテントが貸し与えられた。
外が明るいから、照明はない。
「どうしたの?ブネちゃん。ニルバルが隕石をどうにかしてから、顔が怖いけど。」
「……よく見てるね。」
毛布の上で寝転んで、レヘルちゃんが私の頬を指で突く。
「私はね、弱い人間だから、自分より強い人間がいると、どうしても心が騒めくんだ。それに、私は偉ぶりたい。なのに、強者がいるとそれが叶わないだろう?世界を統べる覇者がいるんだ。覇者がいるのに、私は強いと語る愚かさくらいは分かる。」
「……よしよし。」
レヘルちゃんがもぞもぞと横で動いて、私の頭を撫でる。
「勇者だとか英雄だとか、著名な冒険者になってみれば?ブネちゃん。偉ぶれるよ。」
それは違う。と咄嗟に言葉が出かかった。
「……あのね、私は嫌気がさすくらいに、自分より上がいる現状が落ち着かない。そんなものになったところで、何も慰めにはならないんだよ。」
「ふぅん。」
彼女はつまらなそうに、私の腹をつねる。
「いやね、レヘルちゃんは別だよ。いつもありがとう。」
私は慌てて、彼女を抱きしめた。いらぬことまで喋ってしまった。うまい言葉も思いつかず、私はただただレヘルちゃんの背を摩る。すると、いつの間にか私は眠っていた。
夢は見なかった。だけども、私のいつかを見た。痩せこけた頬に、煙草を咥えて、酔眼のままに、街を練り歩く。ただやたらにカップ酒を呷って、クラクラとする頭をもたげながら、おでん屋の香りに吸い寄せられる。そして、女将と喋る。ただそれだけの夢。だけども、どうしてか涙が溢れた。
思えば、あのような種属の容色を見ていない。今度、レヘルちゃんを連れて冒険者のギルドに行ってみてもいいかもしれない。そう思いながら、目を擦る。
朝か夜かは分からない。なんせ、景色が変わらないのだ。仕方がないことだった。
「ん、もぉー、どうしたのよ、ブネちゃん。らしくない。しおらしくなってるよ。」
レヘルちゃんが私の涙の跡を指でなぞって、ぎゅっと抱き寄せる。彼女の匂いが鼻いっぱいに広がった。私は甘えるように身体を預けた。滑らかな肌に四肢を這わせば、ようやく心が澄んでくる。
「はぁー、すっきり。」
私は背を伸ばして、立ち上がるとテントから出る。周りも同じくらい寝ていたのか、冒険者達は見張り役を除いて、もったりとした動きでテントの周りをうろついていた。
ニルバルの指示でテントを片付け、更に先を目指す。
空を彷徨く怪鳥も、だんだんとその強さが上がり、私の魔法一発では倒せなくなり始めた。ニルバルも、休むのはやめて剣を振るう。
「ここ迄、来たのは初めてだ。」
橋はもう、三本に集約されていた。二本、一本と少なくなって、残りの一本が宇宙へと続いている。怪鳥はもういない。それどころか生命の気配がない。
私たちは自ずと黙った。
大仏を前にして、不思議と言葉を紡がなくなるように、空間に対しての尊敬があった。
黙々と歩けば鎧の金音が響く。橋の捩れは無くなり、だんだんと橋は回廊へと変わる。柱は木で、天井は赤い。床も変わり、まるで社殿のそれ。私は土足のままでいいのかしら?と思ってしまう。
増していく厳かな雰囲気と共に、私たちは一歩ごとに生きて戻れる気がしなくなっていく。
やがて回廊から見える空が、宇宙へと変わり始めて、左右に鳥居が浮かぶ。均等に宇宙に浮かぶそれ。私は引き返したくなる。
私はそんな体たらくというのに、隣を行くニルバルとレヘルちゃんは黙りながらも恐れの色はない。背後からは微かに、歯がカチカチなる音がする。
回廊を進む。果てに満月が見えかと思えば、宇宙が割れる。回廊はまるで絵巻物のようにくるりと、一点に吸い込まれて、一瞬の暗転。
--藤の花の匂い。
私たちは宇宙に立っていた。遥か頭上。一面に藤の花が咲いて、足元には薄紫の花弁の絨毯が何処までも続いている。藤の花と足元の真ん中、満月が爛々と輝いて、そこにあった。
藤の花の海に浮かぶ満月。
そして、その月に一つの影。
「……全員、自分の命だけは守れ。」
月から咲くように、チューリップのような花弁が割れて、薔薇のような花が一つ。その中央。渦巻いた花弁の層から、雫が。
ぽちゃん。
水面を揺らす。
畝る水面に、薄紫の絨毯は揺らいで、隙間から星々が見えた。絨毯から、一つの仮面が浮かび出た。翠のそれ。丸が斑に、幾つも重なったような模様。
「……あれを取ればいいだけ?」
私は願望を込めてそう言ったが、意図も容易くそれは裏切られる。口の部分がゆっくりと開いて
『--アラニクラ。我ら一つとして宇宙を知らずに、溶けて融ける。蕩けた指先は、もはや何も感じない。』
ぐるぐるとして耳に残るような騒めき。言葉にならぬ音は、確かに脳裏で言葉に変換された。脳を出して洗いたくなる衝動に駆られて、吐き気がする。
「おゔぇ。」
私だけでなく、他の皆んなも気持ち悪そうに顔を歪めていた。ニルバルだけが、僅かに眉を顰めるだけ。
『モドキに、知恵ある獣。供物としては青臭い。』
仮面から溢れるのは、無数の骨。それはやがて、一つの形を模る。骨格。仮面から伸びた背骨に、一つの肋骨。九つの手。肉付くように、色とりどりの触手が、骨に絡み付くと、その裡から白い布が溢れて、まるで白無垢のように着飾られた。
理外にあるもの。
私はゆっくりと目を瞑ると、喉がひりつく。
目を開けた瞬間。
--血の臭いがした。




