第四十二話 自惚れてもいいんですか
朝、窓の外を見たマリーがロシーナを呼んだ。
「シーナ」
「何?」
「ランベルト様」
鏡の前で身支度をしていたロシーナの手が止まる。
朝からその名前は心臓に悪い。
「ランベルト様が、なに?」
「寮の前で、普通に立ってらっしゃるわ」
「っ……本当に?」
ロシーナは思わず窓を覗き込んだ。
女子寮の入り口に続く石段の前に、ユリウスが立っている。
やけに落ち着いた様子で、そこにいることが当然のようだった。
「行ったら?」
「……どんな顔で行けばいいの」
「ふふ。そのままでいいわよ」
マリーは軽く手を伸ばし、ロシーナの乱れた前髪を整えた。
「まだ早いから、私はもう少しゆっくり行くわね」
マリーの使うヘアオイルの香りにふんわりと包まれ、騒がしかった胸の音が次第に落ち着いていく。
「ほら、あまり待たせると騒がれちゃうわよ」
返す言葉を見つける前に、ロシーナは荷物を抱えて寮を出た。
石段の下。
ユリウスはすぐにこちらに気づいた。
片手を上げる。
朝早いと言うのにユリウスの完璧に整えられた姿に、落ち着いたはずの鼓動がまた早く打ち始める。
「おはよう。早くにすまない」
「おはようございます」
「昨日、先に伝えるべきだった」
ロシーナは首を振りながら、今の状況を理解しようと必死だった。
「いえ……あの、今日は?」
昨日の今日で、しかも普段の登校時間より早い。
「君とは講義も違うし、教室も離れているだろう」
「はい」
「だから」
ユリウスの声がいつもより柔らかく感じる。
「朝と、昼を一緒に過ごせないかと思った」
「朝と、昼を……?」
いったい何を言われたのか、頭が追いつかない。
「午前の講義が終わったら、迎えに行く。カフェテリアじゃなく、温室はどうだろう」
「温室で……」
確かに以前、マリーのパイを四人で食べたことはあったが。
(昼に温室で……?)
(ランベルト様とランチ……?)
言葉が出てこない。
「嫌、だろうか?」
黙り込んだロシーナを気遣うようなユリウスの声にどきりとする。
「……嫌じゃ、ない……です」
「決まりだな」
ユリウスが前を向いて歩き出す。その耳が、いつもより赤く感じるのは、気のせいではないはずだ。
(喜んで、くれてる……?)
自分との昼食ひとつで、そう思ってくれているとしたら。
ロシーナの心臓はこれまで聞いたことのない速さで鼓動を鳴らし、急に居ても立っても居られない気持ちになる。
学園に着くまでに何を話したか、記憶がないまま、いつの間にか教室にたどり着いていた。
午前の講義は、驚くほど頭に入らなかった。
黒板に書かれた数式をノートに写しているはずなのに、気づけば同じ行を二度書いている。測量計算の途中で数字を書き間違え、ロシーナは頭を抱えた。こんなこと初めてだ。
「シーナ」
隣からマリーが小声で呼ぶ。
「さっきから全然違うところ見てるわよ」
「……見てない」
「見てる」
即答だった。
ロシーナは誤魔化すようにノートへ視線を戻す。だがそのペン先は、止まったままだ。
昼を一緒に過ごせないか。
朝、ユリウスに言われた言葉が何度も頭の中で繰り返される。
講義も違うし、教室も離れているのだから、わざわざ実務科まで足を運ぶことない。
そう思うのに、さっきから何度も時計を確認してしまう。
これじゃあまるで、待ってるみたいじゃないか。
そこまで考えて、ロシーナは慌てて首を振った。
「顔、赤いわよ」
「っ、赤くない!」
マリーがくすくす笑う。
「はいはい」
絶対に面白がっている。
そのまま鐘が鳴り、昼を告げる鐘の音が校舎に響いた。
教室の空気が一気に緩む。
ロシーナは心臓が落ち着かないまま荷物をまとめた。
「お昼、どうなさるつもりなのかしらね。楽しみだわ」
「マリー!」
「だって、あのランベルト様が朝から寮の前にいたのよ?」
否定できないから返事に詰まる。
そのときだった。
教室の入り口がざわつき、空気が変わった。
見なくても分かる。
ロシーナは恐る恐る顔を上げる。
扉の前に、ユリウスが立っていた。
「迎えに来た」
ロシーナと目が合うと、ユリウスの表情が崩れる。
そんな顔を見せられるたびに、自分が特別な存在なのだと自惚れてしまう。
だって、仕方ないと思う。
昨日からずっと、ユリウスのすべてが、そう伝えてくるのだから。
ユリウスの瞳がロシーナを捉えて離さない。
その目に、いったいどんな風にロシーナは映っているというのか。
教室中の視線が一斉にこちらへ集まっていた。




