第四十話 肝心の言葉
「え? まだ伝えてなかったの?」
ヴィクターが心底驚いた顔をしている。ユリウスは無言のままだ。
「いや、待って。君、公爵に伝えたって……」
「……父上とは話した。好きにしろと言われた。……多少、気になる話もあったが」
「気になる話?」
「いや、それはいい」
今するべき話ではない。ヴィクターもそれ以上聞かなかった。
「じゃあ、ロシーナちゃんには?」
「……なんとかすると。私を、望んでほしい……と」
ヴィクターがゆっくりとため息をつく。
「……それで?」
「逃げられた」
演習場の出口に向かって走り去ったロシーナの背中が、まだ頭の中にある。
「そりゃそうだろ」
ユリウスが眉を寄せる。
「いや、君、そこまで言っといて一番大事なこと言ってないじゃん」
「……十分伝わっていると思っていた」
本気でそう思っていた。言葉にしなくても、態度で示しているつもりだった。発した言葉も、すべて彼女との未来を前提にしたものだったはずだ。それでも、それだけでは足りないのだと突きつけられている。
「伝わるか!」
ヴィクターが立ち上がりかけて、思い直したように座り直した。
「大体彼女からしたら、気づいたら周り固められてるのに、一番大事な言葉だけ聞いてない状態なんだけど?」
ユリウスは何も答えられなかった。噂になっても構わないと言った。なんとかすると言った。線を引くなとも。それがロシーナの目にどう映っていたのか、今になってようやく考えた。
演習場で、他の男と話していたロシーナに妙な苛立ちを覚えていた。気づけば、いつも以上に踏み込みすぎていたのかもしれない。
あの苛立ちは──。
「普段はあんなに完璧なのに」
ヴィクターの呆れた声を聞き流しながら、ユリウスはようやく理解した。
──あれが、嫉妬。
「恋愛になるとこれかよ」
あの夜、神妙な顔をしてこの部屋にいたヴィクターとは、まるで別人だった。それでも、こういうときに核心を突いてくるのがヴィクターだとも分かっていた。
「それとも、ほんとに妾にでもするつもり?」
「っな! そんなわけあるか! 私はっ──」
「だったら」
ヴィクターの声が、静かになった。
「早く君の気持ちを伝えたほうがいい」
ユリウスは口を閉じた。
「……僕は最初、反対だったんだよ」
窓の外を見ながら、ヴィクターが言った。
「ああ」
「どうなるか、分かりきってたから。周りが放っておくわけないし」
ユリウスは黙ったままだ。ヴィクターが何を言おうとしているか、聞かなくても分かった。
「だから、君が中途半端な気持ちならやめとけって思ってた」
ヴィクターが今日何度目かわからないため息をつく。
「でも、ここまで来ておいて、一番大事なことを言わないのはもっと駄目だよ」
耳の痛い指摘だった。
「今、ロシーナちゃんを不安にさせてるのはユリウス、君だよ」
反論などできるはずもなかった。代わりに、演習場で見たロシーナの顔がよぎる。あのとき、今にも泣き出しそうだった彼女の顔。
「……そうだな。お前に言われるまで、分かっていなかった」
言葉にする必要があるなど、考えたこともなかった。
「ありがとう」
ヴィクターが目を丸くする。
「うわ、素直。気持ち悪──ぶふ!」
投げつけたクッションが、ヴィクターの顔面に直撃する。
「相変わらずひどいなあ。ま、今日のところはこれで失礼するよ。ロシーナちゃんに、よろしくね!」
「ヴィクター」
「ん?」
「お前、その呼び方やめろ」
ヴィクターは一瞬目を瞬いたあと、ぴゅうっと口笛を吹いた。
「はーい」
軽い返事とともにクッションを投げ返し、ヴィクターはそのまま部屋を出た。
──と思った次の瞬間、閉まりかけた扉の隙間からひょいと顔を覗かせる。
「独占欲丸出しで嫌われないようにね」
ひらひらと手を振るヴィクターに再び投げつけられたクッションは、閉まった扉に当たりぽとんと落ちた。
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