第三十九話 期待させないで
演習場の端で剣を収めたとき、ユリウスは視線の先に見慣れた後ろ姿を見つけた。
実務科の実習が、今週から騎士科の演習場内にあるエリアで始まると聞いていた。だが実際に目にするまで、それがこれほど気になるとは思っていなかった。
ロシーナが、笑っている。
測量器具を覗き込みながら、隣の男子生徒と何か話している。距離が近い。男が何か言うたびにロシーナが頷いて、また器具に目を戻す。実習中のごくありふれた光景だ。別におかしなことは何もない。
そう思うのに、妙に目についた。
鞘を持つ手に力がこもる。
「ユリウス」
ヴィクターに呼ばれて、ようやく視線を戻す。
「どうしたの?」
「……何でもない」
午後の演習が終わる頃、ユリウスは実務科の実習終了時刻を把握していた。把握していたことに気づいたのは、気づけば演習場の出口へ向かって歩いていたときだった。
ロシーナと話していた男子生徒が、仲間と連れ立って去っていく。入れ替わるように歩み寄った。
「随分親しいんだな」
ロシーナが振り返った。
さっきまで男子生徒と笑っていた顔のまま、きょとんとしている。その顔が、なぜか余計に癪だった。
「じ、実習班が一緒なだけです」
「気安く見えたが」
「……調査の話をしていたので」
なぜそんなことを、と言いたげな顔だった。ユリウスには、それがどうにもおもしろくない。
「私のときは、少し離れてくれと言ったな」
「あれは……! ランベルト様と私なんかが誤解されたら、困るのはランベルトさ──」
「困らないと言っている」
自分でも思ったより強い声が出た。ロシーナが大きく目を見開く。
冬の光の中で、その瞳が揺れた。
苛立ちはいつの間にか消えていた。ただ、話がいつまでも堂々巡りな気がして、ロシーナに届かないことが、どうにも歯がゆい。
「……『私なんか』と、言わないで欲しい」
「え……?」
「その言葉で、君と……私の間に線を引かないでくれ」
ロシーナが息を呑む。
風が、強く吹いている。演習場に最後まで残っていた騎士科の生徒たちが、遠ざかっていく。
「君に」
初めて、請うような声が出た。
「私がいいと、望んでほしい」
ロシーナの表情が強張った。
ユリウスを見つめたまま、動かない。
「……望む、って……何を、ですか」
掠れた声だった。
瞳が揺れている。
なぜ、自分は彼女にこんな顔をさせているのか。
「私に、何を望めと?」
責めるような声音に、ユリウスは言葉を失う。
そう言ったあと、ロシーナは何度も口を開きかけては閉じた。何かを飲み込むように唇を引き結び、やがて意を決したように大きく息を吸う。
「話を聞いてくれて、助けてくれて、守ってくれて。頼っていいって、なんとかするって……言ってくれて。でも──」
ロシーナの指先が震えていた。
「あなたは公爵家の方で、私にも守るべき領地があります。生きている場所が違うんです。あなたの未来に、私はどうしたって入れない」
肩で息をしながら、ロシーナが黙り込む。
違う。
そうではない。
そう言いたいのに、風の音がそれを妨げるように大きく響いた。
「あなたは……ずるいです。何も言わないまま、そんなふうに……期待させないでください……!」
何か言わなければならない。
そう思った。
けれど、目の前の少女の、今にも泣きそうな顔がユリウスの胸を締め付ける。
そんな顔をさせたいわけじゃないのだ。
ロシーナが踵を返し、そのまま走り出す。
ユリウスはその背中が見えなくなるまで動けなかった。
──期待させないでください。
ロシーナの言葉が、何度も頭の中で繰り返される。




