第三十七話 忠告
夜の帳が下りた頃、扉を叩く音がした。
サイモンだった。
「ユリウス様、旦那様がお呼びです」
それだけ言って、執事は静かに下がった。用件は言わない。言わなくてもわかった。
書斎の扉を叩くと、「入れ」と短い返事があった。
エドワード・フォン・ランベルトは、執務机の向こうで書類に目を落としていた。ユリウスが椅子に座るのを確認してから、ようやくペンを置く。
「学園での件だ」
「はい」
「カッセル男爵家の娘を庇ったそうだな」
「庇ったわけではありません。事実を、述べただけです」
エドワードが、わずかに目を細めた。
「魔導具の申請書か……随分と手回しがいい」
「……はい」
沈黙が落ちた。父親の目が、ユリウスを測るように見ている。
「ドラグネスがまた、縁談話を持ちかけてきたぞ」
「断固として断ります。侯爵には父上からも一言いただければ」
「それは構わん」エドワードが静かに言う。「だが、お前はその娘をどうするつもりだ」
ユリウスにためらいはなかった。
「彼女は唯一の存在です」
エドワードの眉が、ほんのわずかに動いた。一瞬だけ。それからすぐに元に戻る。
「今まで誰も選ばなかったお前が」
「はい」
「カッセル男爵家の跡取り娘を」
「はい」
エドワードが、ゆっくりと背もたれに体を預けた。重厚な椅子がぎし、と音を立てた。
「身分差は」
「誰にも文句は言わせません」
「跡取り問題は」
「それも、必ず。両家にとっての最善を尽くします」
しばらく、書斎に沈黙が続いた。暖炉の火が、パチと小さく弾ける。
「……好きにしろ」
短く、それだけだった。
ユリウスが一礼し立ち上がりかけたとき、エドワードが続けた。
「ただし、ひとつだけ言っておく」
「……なんでしょう」
「お前の一番の障壁は、身分差でも跡取り問題でもない」
ユリウスが眉をひそめる。
「……どういう意味ですか」
エドワードはすでにペンを手に取っていた。
「自分で考えろ。以上だ」
書斎を出ても、父親の言葉が頭から離れなかった。障壁が、身分でも跡取りでもない。ならば何だというのだ。
ユリウスには、答えがわからなかった。
♢
暖炉の火が落ち着いた頃、書斎に断りもなく入ってくる人物がいた。
エドワードは顔を上げもしなかった。
「盗み聞きとは感心しませんな、陛下」
「聞こえてしまったんだから仕方ない」
アレクシス・ノア・レオンハルト三世が、肘掛け椅子に腰を下ろす。しばらく、暖炉の火だけが音を立てた。
「カッセルの娘か」
「……はい」
「ローランは何と言う」
「さあ」エドワードがペンを走らせる。「あの男のことです」
それだけで、レオンハルトには十分だったらしい。小さく息をついて、足を組んだ。
「なあ、エド」
エドワードの手が止まる。
「私にもあいつを動かすことはできなかったな」
答える必要がなかった。
歴代の王が、歴代のカッセルに断られ続けてきたことを、エドワードも知っている。
魔導鉱脈を発見し、この国の発展を支えてきた一族。
地盤、水脈、鉱脈。
国家の根幹に関わる情報を握りながら、カッセルは決して中央には来なかった。
忠誠は誓う。だが、誰のものにもならない。
それがカッセルだった。
「それに、カッセルのことが公になれば、お前の家への反発も多かろう」
「おそらくそうなるでしょうね。筆頭は、ドラグネスあたりか……」
「お前の息子はどうするつもりだ」
「さあ」
「さあ、か」
レオンハルトが笑う。
「お前も大概だな、エド」
暖炉の火が、静かに揺れていた。




