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土を読む男爵令嬢のせいで、公爵令息は完璧ではいられない──我が家が国家機密だなんて知りませんでした  作者: 中田かすり


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第三十五話 私の前の大きな背中




 トレイに食事をのせ列を抜けたところで、近くのテーブルから声がかかった。



「サヴァラン様、こちらへどうぞ!」


「ありがとう」



 愛想よく微笑んで腰を下ろすと、令嬢たちが一斉に顔を輝かせる。椅子が引かれ、隣の席が詰められる。いつものことだった。そしていつも通り、好都合だった。



「ねえ、最近温室で何かあったとか……詳しくは知らないのだけれど」


「退学されたティナ様のこともあるし……」


「カッセル家の方が関係してるって聞きましたわ」


「まあ!」


「ねえ。君たち」



 ヴィクターがにっこりと微笑んで首を傾げる。



「そんな物騒な話ばかりしてると、可愛い顔が台無しだよ?」



 きゃあ、と声が上がる。令嬢たちが顔を見合わせ、頬を染めてヴィクターの周りに集まってくる。その騒ぎに紛れながら、ヴィクターの視線だけが静かにカフェテリアの奥へ動いた。


 ひときわ人の少ない一角に、ロシーナとマリーが座っている。

 距離があるから、令嬢たちには見えていないだろう。そこへ、イザベラ・ドラグネスが取り巻きを連れてまっすぐ向かっていくのが見えた。



(動いた)



 令嬢の一人がヴィクターの袖を引く。

 笑顔のまま、隣に控えていた従者へ視線を向けた。言葉はいらなかった。従者が静かに席を立つのを確認してから、ヴィクターは再び令嬢たちの話に相槌を打ち続けた。


 取り巻きが畳み掛け、野次馬が乗っかり、マリーが言い返す。ここまでは想定の範囲内だった。

 だが、イザベラが取り巻きを一歩下がらせ、ロシーナの正面に立ったとき、ヴィクターの手がテーブルの上で止まった。



(これは、やりすぎだ)



 腰を上げかけたとき、人影が自分を追い越した。


 ユリウスだった。

 いつもと変わらない顔で、ただ真っすぐに歩いていく。令嬢たちが「あら」と声を上げたが、彼は一切振り向かなかった。



(……早いな)



 ヴィクターは静かに腰を下ろし、立ち位置に戻った従者にひとつ瞬きをした。令嬢たちが何か言っているのが聞こえる。笑顔だけを返しながら、カフェテリアの奥を見ていた。







 頭上から影が落ちた。


 振り返ったユリウスと、目が合った。


 一瞬だった。けれどユリウスは、まっすぐロシーナを見て、小さく頷いた。



(大丈夫だ)



 そう言われた気がした。言葉はなかったのに。


 熱いものが、込み上げてきそうになる。ずっと、前だけを見ていた。マリーを巻き込みたくなくて、気にしないふりをしていた。それなのに、こんなことをされたら。


 ユリウスがイザベラへ向き直る。ロシーナは唇を強く結んだ。



「ドラグネス嬢」


「ユリウス様! イザベラとお呼びくださいと、何度もお願いしていますのに」


「これはなんの騒ぎだ」



 イザベラの表情が、すっと柔らかくなった。



「ユリウス様、ご存知でしたか? この方、温室で危険な植物を扱っていたんですの。毒性もあるという話なのに恐ろしいですわ。それに最近ユリウス様に近づこうとしているようですし……わたくし心配でたまらなくて。もし、何かあってからでは、遅いでしょう?」


「……そうか」



 何の感情も乗せない声で、ユリウスが続ける。



「ドラグネス嬢。ひとつ確認したい」


「なんでしょう」


「蒼玄草が国の管理下に置かれたことは、どこで?」



 イザベラの表情が、わずかに揺れた。



「それは……お父様から」


「この件は王宮議会出席者への通達事項だ。いくらドラグネス侯爵家令嬢とはいえ、学園内で話すべき内容ではないはずだ」



 取り巻きたちが顔を見合わせる。イザベラの顔色が変わった。



「そ、それは──」


「それについては、後ほど然るべき場で確認する」



 遮られ、イザベラが口を閉じた。


 ユリウスが懐から書類を取り出す。折りたたまれた、見覚えのある紙だった。



「カッセル嬢が温室で蒼玄草の調査を行っていたのは事実だ。だが、それは私が依頼したことであり、私も共同研究者として名を連ねている。これは魔導具使用の申請書だ。私の署名がある」



 誰も何も言わなかった。



「入学以来、地質学及び魔導測量の面で、優秀な成績を収めてきたカッセル嬢に依頼した研究は、『希少種の解明』。私の責任下にある」



 周囲は、水を打ったように静まり返っていた。


 ロシーナは、ユリウスの背中を見ていた。

 振り返らなくても、言葉がなくても、ロシーナを守るように目の前に立っている。さっきまで胸を押し潰していた重さが、少しずつ遠ざかっていく気がした。



(どうして、あなたは──)



 喉の奥が熱い。



(──こんなにも、当たり前のように)



 泣くつもりはなかった。泣かない。ただ、必死に抑えていたものが顔を出す。

 見ないようにしていた自分の心。

 こんなにも疲弊して、弱っていたのかと思い知る。



 縋るようなイザベラの視線を、蒼い瞳が冷え冷えとはね返した。


 思うような反応を得られなかったのか、苛立ちを滲ませたイザベラがロシーナを一度睨みつけた。

 優雅に組まれた手だけが、不自然なほど強く握られていた。



「……カッセル男爵家の方と、共同研究。ユリウス様がそのようなことをなさるとは思いませんでしたわ」



 そう言い放つと、イザベラは取り巻きを連れてカフェテリアを出ていった。





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