第三十四話 視線の刃、敵意の中で
昼休み。
カフェテリアは、様々なクラスの生徒たちで混雑する。
給仕台の前にできた列と、あちこちのテーブルから聞こえるざわめき。いつもと変わらない光景だった。ただ一点を除いて。
「……誰も座らないわね」
マリーが、周囲をさりげなく見渡しながら言った。
ロシーナとマリーが座るテーブルだけ、隣の席が空いていた。満席に近いカフェテリアの中で、そこだけぽっかりと間が抜けている。
「気にしない」
「気にしてないのはシーナだけよ」
マリーがトレイを置く音が、少し強かった。
ロシーナは湯気の上るスープをひと匙掬いとる。大きめに切られた根菜の重みがスプーン越しに伝わってくる。食欲は、あまりなかった。
「あら」
聞き覚えのある声がした。
顔を上げる前に、周囲の空気が変わったように感じた。
イザベラ・ドラグネスが、取り巻きを連れてこちらへ向かってくる。カフェテリアの視線が、じわりと集まり始めた。
「あなた、登校されているのね。……なによりだわ」
心配しているような口ぶり。少なくとも周りには、そう聞こえるだろう。
「この方が、あの……?」
取り巻きの一人が、わざとらしく声を潜める。
「ええ、噂の」
「まあ、こわい」
あえて聞こえるように言っているのだろう。ロシーナはスプーンから目を離さなかった。
「よく来れるわね」
「実務科の方って、たくましいのね」
クスクスという笑い声が続く。周囲のテーブルから、こちらを窺う視線が増えた。
「そういえば」
イザベラが一歩近づいた。
「いつも大きな荷物を抱えてらしたとか。……何が入っているのかと、気になっている方も多かったのよ?」
「確かに令嬢が持つ鞄じゃないよな」
近くのテーブルから、男子生徒の声がした。
「実際、何入ってたんだろうな」
「実務科の奴らってほんと、何やってるかわからないからな」
「そういえば子爵家の方が怪我したって話あったよな?」
「ああ」
ざわめきが広がる。
ガタンという音と共に、マリーが立ち上がりかけた。ロシーナはマリーの手をそっと押さえた。
イザベラの視線が、すっとマリーへ移る。
「そういえばあなた、ヴィクター様と中庭でお話されていたわよね?」
取り巻きが「まあ」と声を上げる。
「ヴィクター様とですって?」
イザベラは小さく首を傾げた。
「ユリウス様もヴィクター様も、お優しい方ですものね」
その声は穏やかだった。
「勘違いしてしまう方がいても、不思議ではないわ。お二人の慈悲を、特別なものだと思い上がってしまったのかしら? あなたたちにとっては、めったにないことですものね」
周囲のあちこちで、小さな笑いが漏れる。
マリーが、静かに立ち上がった。
「そのようなこと、一度も思ったことはございません。それに、ロシーナにはみなさまに噂されるような事実はございません」
周囲が静まった。
イザベラの口元が、わずかに動く。
「……そう」
取り巻きを一歩下がらせ、イザベラがロシーナの正面に立った。
「では、ひとつお聞きしても?」
ロシーナは顔を上げる。
「ねえ、あなた。温室を使用していたって、本当?」
「はい」
「まあ。何をされていたの?」
周囲の視線が、一斉にロシーナに突き刺さる。答えを待つ沈黙が、テーブルの上に重く落ちた。
「それはっ……」
誰もイザベラを見ていなかった。
それをわかっているのだろう。
ロシーナだけに見えるように、イザベラがにたりと笑った。
どんな答えも、意味をなさないのだと悟った。
「言えませんの?」
「っ……私は……!」
喉がうまく動かない。
「私はただ、蒼玄草の──」
「まあ! みなさま聞きまして? やはりこの方が……」
ざわめきが一気に広がった。ロシーナは口を閉じた。言い切る前に奪われた言葉が、宙に浮いたまま消えていく。
(違う。違うのに)
「不思議ね」
イザベラの声が、低くなった。
「わたくし、お父様から聞いたのよ。蒼玄草ってとても危険な植物で、国が厳しく管理することになったと。それを温室で、なぜあなたが?」
答えられなかった。
カフェテリア全体が、まるで一つの生き物になって、息を潜めて待っているようだった。
誰も口を挟まない。
ざわめいていたはずのカフェテリアが、不自然なほど静かだった。
「ユリウス様に近づいたのも、そのため? 危ない草ってご存知でしたの? 蒼玄草を使って……何をしようとしていたの?」
ロシーナは唇を開いた。言葉が、出てこない。否定したい。そんなはずないと。
でもこの場で、ロシーナの言葉を信じてくれる人がどれだけいるというのか。
手元のスープの湯気はもう見えない。
蔑むように見下ろすイザベラに、ロシーナが俯いたとき。
頭上から影が落ち、視界が暗くなる。
見上げるとそこには大きな背中。
「何をしている」
低く、静かな声だった。
イザベラの視線からロシーナを守るように、ユリウス・フォン・ランベルトが立っていた。




