表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
土を読む男爵令嬢のせいで、公爵令息は完璧ではいられない──我が家が国家機密だなんて知りませんでした  作者: 中田かすり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
33/52

第三十三話 彼の彼女





 廊下を歩くと、声が聞こえる。


 近づけば途切れ、離れればまた続く。



「聞いた? 実務科の」


「え、あの『土まみれの──』ってやつ?」


「やっぱり本当だったんだ」



 どこで誰が言い始めたのか、もうわからない。


 断片だけが耳に残り、視線の向く先はわかった。


 ロシーナは真っすぐ前を向いたまま歩いた。

 露骨に道を開ける者もいた。昨日まで普通に挨拶を交わしていた顔見知りが、さっと目を逸らす。廊下の端を歩いていても、どこか居心地が悪い。


 足が、重い。


 両足を交互に動かしているはずなのに、前へ進んでいる気がしなかった。


 マリーがロシーナの一歩前に出る。



「ちょっと、あなたたち──」



 マリーの腕をそっと引いた。



「いいの」


「よくないわ」



 半ばマリーを引きずるように、ロシーナは歩き続けた。



「噂を聞いただけで、自分で確かめもしないで。シーナのこと、何も知らないのに」



 声が低かった。普段穏やかなマリーが、こういう声を出すのは珍しい。



「マリー」


「……わかってる。でも、納得できないわ」



 それ以上は言わなかった。マリーが隣に並び、ロシーナの腕にその手を重ねる。何かを言われたら、きっと受け止めきれない。そう思って、ロシーナは前だけを見る。


 しばらく、足音だけが続いた。




 正午の鐘が鳴る少し前、ロシーナは一人で図書室へ向かった。


 食欲がなかった。マリーにこれ以上心配をかけたくなくて、調べ物があると言い訳を残して教室を出た。


 図書室は静かだ。


 古い紙の匂いに包まれ、思いきり息を吸う。

 ここでは、誰もロシーナを見ない。

 視線を向けられないだけで、こんなにも息がしやすいのかと思う。

 学園の中で、唯一肩の力を抜ける場所だった。

 いつもの一角に近づいたとき、声が聞こえた。



(誰か、いる?)



 足が止まる。本棚の影に身を寄せた。



「ロシーナちゃんいないね」


「教室に向かった方が良かったかもな」


(……ランベルト様と、サヴァラン様……?)



 ロシーナが普段よく座る席を囲んで、何やら二人で話し込んでいる。



「どうするつもりなの? あの噂」


「出所は、ほぼ絞れた」


「さすが。で?」


「全部、潰す」


「あはは! 容赦ないねえ。ていうか、ユリウス。もしかして、もの凄く怒ってる?」


「当たり前だ」



 地を這うように低く、聞いたことのない声だった。



「へえ。君ってもっと冷静で、感情的にはならないと思ってた」


「……私もだ」



 ヴィクターは何も言わない。窓から差し込む光が、古い紙の埃をゆっくりと舞い上がらせている。棚の向こうで、ヴィクターが腕を組み直す気配がした。



「ロシーナ・カッセル、か。大したもんだな、彼女。君をそこまで本気にさせるなんて」



 どくん、と心臓が鳴る。不意に呼ばれた自分の名に、うるさいほど鼓動が早く打つ。



「でも、相手は跡取り娘だよ? わかってて言ってる?」



 聞くべきではない。立ち去るべきだった。それでも足が動かなかった。



「それでも……彼女以外、考えられないんだ」



 かたん。


 肘が本棚の端に当たった。気配が動く。ロシーナは走った。廊下へ出て、角を曲がって、壁に背をつける。


(うそ……)


 あの方は公爵家の嫡男で、次期宰相候補で。それで──。


 イザベラと、隣に並ぶ令嬢たちを思い出す。

 磨き抜かれた靴音。宝石。迷いのない笑み。

 あの場所に立つべきなのは、自分ではない。

 そんなことは、とっくにわかっていた。


 それでも、ユリウスが向けてくれる視線を思い出してしまう。


 温室で蒼玄草を観察していたとき。

 手首にハンカチを巻いたとき。

 自分の話を、最後まで聞いてくれたとき。

 足を滑らせ、助けられたとき。

 掴まれた腕に残った熱は、なかなか冷めなかった。


 身の程を知りなさい。


 イザベラの言葉が、するりと割り込んできた。


 土まみれ令嬢。

 教室や廊下で、口にされている噂も。


 わかっている。


 ──それでも。



『彼女以外、考えられないんだ』



 繰り返してしまう。



 ──選ばれたい。



 初めて、言葉になった。


 かつてユリウスが触れた左腕が、再び痺れたように熱く感じる。


 ロシーナはそこを強く握ると、壁に背中を預けたまま座り込んだ。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ