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土を読む男爵令嬢のせいで、公爵令息は完璧ではいられない──我が家が国家機密だなんて知りませんでした  作者: 中田かすり


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第二十七話 来訪者

 



 図書室の扉を出るとすぐ、廊下の柱に寄りかかる長い脚が目に入った。

 顔を上げたユリウスと視線が合う。



「カッセル嬢」



 昨夜会ったばかりだというのに、軽く片手を上げて歩み寄る姿が、どこか現実味に欠ける。



「昨夜の件で話したい。放課後、来客用のラウンジへ来てくれ」



 それだけ告げると、ロシーナの返事を待たずに踵を返した。



 「……なにか、わかったのかしら……」



 思わず漏れた独り言は、すぐに廊下の静けさに溶けた。







 放課後、指定されたラウンジに足を踏み入れると、係の者がロシーナの名を確認した。

 案内されたのは、奥に設けられた小さな個室だった。

 扉を開けた瞬間、ロシーナは足を止める。

 そこには、先に来ていたユリウスと、見知らぬ人物が向かい合って座っていた。

 

(……誰?)

 

 細身の青年だった。机の上には書類と筆記具が整然と並んでいる。

 


「呼び出してすまない。君に面会したいという要請があった」

 


 ユリウスが立ち上がる。

 


「紹介しよう。こちらは──」

 


 ユリウスの視線が隣へ向く。

 


「王立アルケミア研究院の研究者だ」

 

「フェリクスと申します」

 


 青年は丁寧に頭を下げた。栗色のくせ毛がふわりと揺れて、前髪の隙間から目元がちらりと露わになった。

 

 王家が管理する施設、アルケミア研究院。自分とは無縁の機関だった。

 


「研究院の方が、なぜ……私に?」

 


 思わず口に出る。

 

 その問いに、フェリクスの表情がわずかに明るくなる。

 


「蒼玄草について──」

 

「フェリクス」

 


 ユリウスの声がそれを遮った。



「まずは座ろう」

 

「あ」

 


 フェリクスは小さく肩をすくめた。


 

「失礼しました」

 


 だが目は落ち着いていない。むしろ興味を抑えきれていない様子だった。

 


「まず結論から申し上げますと、蒼玄草は現在、王立アルケミア研究院にて管理されています」

 

「……え?」

 


 ロシーナはすぐに理解できなかった。

 


「管理……?」

 

「はい。詳しくはお話しできなくて申し訳ありませんが、現在は研究対象として保護されています」

 


 保護。

 思いがけない展開に頭の中が追いつかない。

 

 

「では……温室からなくなったのは……」

 

「すみません。僕はアルケミアに持ち込まれる以前の経緯は把握していなくて」



 フェリクスが申し訳なさそうにロシーナに頭を下げた。



「あ、いえ。こちらこそすみません」



 ロシーナは慌てて頭を下げる。フェリクスを責める気など毛頭ない。



「……蒼玄草が……アルケミア研究院に……」

 


 王都の外れ、高い塀に囲まれた無機質な建物が浮かんだ。

 

 温室の裏。

 消えた蒼玄草。

 

 初めて見たとき、まだ芽吹いたばかりだった。

 調べるにつれ、その生態が少しずつ形を持ちはじめていくのが、ただ面白かった。

 この先に、まだ知らない変化があるはずだった。

 

 花を見たかった。

 そのまま、叶うものだと思っていた。

 

 けれどもう、ロシーナにその機会はない。

 

 あの花は、今、国の最高峰機関の中。



「……そう、なんですね」

 


 声が小さくこぼれる。

 

 フェリクスはその反応には気づかず、机の上の書類を一枚めくった。

 

 ユリウスがロシーナへ視線を向け、静かに口を開く。


 

「研究院は、君に確認したいことがある」

 

「私に……ですか?」

 


 フェリクスがノートとペンを握りしめて、ロシーナに笑顔を向ける。その目元は前髪に隠れてあまり見えないが、なんだかすごく前のめりだ。



「ロシーナ・カッセルさん! 貴女は謂わば蒼玄草の開花条件を解明した、第一人者なんですよ!」

 


 ロシーナは一瞬言葉を失う。

 大袈裟だ。

 ただ気になっただけだった。

 

 ただ、土を見て、調べて、少し変だと思っただけ。

 


「……私は、ただの観察をしていただけです」

 

「それが重要なんです!」

 


 フェリクスが即答する。

 


「仮説を立てた過程、変化の順序、最初の兆候、それらはアルケミア側には存在しない情報です。我々は貴女のこれまでの調査過程こそが、蒼玄草の研究における土台となる貴重なものだと確信しています!」


 

 興奮気味に訴えるフェリクスを気にするそぶりさえみせず、ユリウスが口を開く。



「アルケミアは君の今までの観察記録を譲り受けたいそうだ」


「観察記録……?」



 温室で夢中で書き込んだノートが浮かぶ。

 あの日、床に撒かれ踏みつけられたノート。

 今朝、ひとまとめにしたものを事務室で受け取ったばかりだった。

 

 ノートも含めて、蒼玄草に関するすべてが、手元からなくなっていく。

 


「……わかり、ました」


 

 それ以上、言葉が続かなかった。



「ありがとうございます!」



 フェリクスが立ち上がるやいなや、ロシーナの両手をがっしりと掴んだ。



「記録! 記録が重要でして! ああ! 聞きたいことが山ほどある……報告書によると鉄分を含む水を与えたとか……! 大変! 興味深く──」


「フェリクス」



 ユリウスの低い声が大きく響く。



「手を離して座れ」


「はっ……っああ!」



 フェリクスがぱっと両手を持ち上げる。



「し、失礼しました!」


 

 そのときだった。

 

 扉の外からノックが響く。


 

「失礼いたします。王立アルケミア研究院より至急戻られるようにと、フェリクス様に──」


 

 職員の声に、フェリクスの顔が一気に暗くなる。

 


「もうですか……まだほとんど何も聞けてないというのに。ですが観察記録をいただけるということ、大変僥倖です!」

 


 ユリウスが小さく額に手を当てる。


 

「……アルケミアには私の方から届けさせよう」

 

「はい! ありがとうございます! ランベルト公爵令息殿!」

 


 勢いよく立ち上がるフェリクス。


 

「では失礼します! まだまだ伺いたいことありますので、また必ず!」

 


 そう言い残し、足早に部屋を出ていく。

 

 嵐のように去ったあと、室内に静けさが戻った。

 

 ロシーナはようやく息を吐く。


 

「……研究員の方ってみなさんあのような……?」

 

「あれは……少し特殊だ」


 

 ユリウスがフェリクスか座っていた席を見つめながら答えた。



「カッセル嬢」



 ユリウスがロシーナの向かいの席に座り直す。ラウンジの職員がお茶を淹れ直し、テーブルの上にそっと置いていった。



「今日は突然呼び出してすまなかった。驚いただろう」


「いえ、あ、あの……はい」



 図星だった。実のところ、今も状況を飲み込めていない。



「実は、君に話したいことがもうひとつある。……温室の件だが、外出記録からほぼ一人に絞られている。今、その者に事情を聞いている」


「……そう、ですか」


「外出届も出ていた」


「外出届……?」



 温室を荒らすために届を出すなんて、にわかには信じ難い。



「隠す気が、ないということでしょうか」



「ああ。しかしまだ聴取は続いている」



 聞きたいことはたくさんあったが、昨夜からぼんやりと靄がかっていた頭の中が、次第にはっきりとしていく。



「では──」



 昨夜の光景が蘇る。割れた試験管、倒されたマリーの椅子。そして、温室裏の穴の横には妙に整った土の山。



「温室を荒らした人は別、ということですね?」



 ユリウスの視線がわずかに上がった。



「やはり、気がついていたか」



 その瞬間、ロシーナの頭の奥に居座っていた違和感が、輪郭を持ちはじめる。

 温室の荒らされ方。

 蒼玄草だけが消えていたこと。

 そして、今の保護という事実。

 複数の糸が入り混じり、各々の意思で動いている。



「……蒼玄草って、一体なんだったんでしょう」



 ぽつりと漏れた言葉に、ユリウスの目がわずかに細くなる。



「同じことを、考えていた」



 ロシーナは、ユリウスにもわからないことがあるのかと、意外な気もした。いつも冷静で、完璧なユリウス。そんな彼が、今、ロシーナと同じ疑問の前にいる。その事実は、なぜかロシーナをひどく安心させた。

 どちらからともなく視線を交わす。



「……なんだか」



「……ああ」



 うまく説明はできないまま、空気が和らいだ気がして。

 混乱してる自分と今の状況の乖離が、なんだか途方もなく遠くて、妙に可笑しくなってくる。目の前のユリウスも心なしか口角が上がっている。

 同じものを見ていたのだと、初めてそこで気づいた。手の届かない場所にいるはずなのに、今だけはそう思えなかった。


 だからもうひとつ。

 絡まったままの糸の先。

 ずっと頭から離れないもうひとつの違和感も、聞いてみたくなった。


「あの……」


 言葉にした瞬間、自分でも内容が定まっていないことに気づく。

 それでも、浮かんでしまった名前をそのまま出すしかなかった。



「サヴァラン様は……何かご存知なのではないでしょうか」



 蒼玄草を見つけたときの、あの含みのある言葉。

 あれは、ただの冗談ではなかった気がする。

 ユリウスの動きが止まり、わずかに渋い顔をした彼を見て、妙にはっきりとわかった。



(きっと、口に出すのを避けていたんだわ……)



 言葉を選んでいるのが、手に取るようにわかる。



「……カッセル嬢」

 


 しかし、ロシーナの名を呼んだときにはもう、ユリウスは完璧な公爵令息そのもので、むしろ、どこかすっきりしたような気さえした。



「彼のことは、私に任せてくれないか」



 それはロシーナの問いへの否定でも肯定でもなく、踏み込む余地を残さない言い方でもあった。

 同時に、それが最も早く正確に答えに近づく方法だということも理解できた。



「私が、彼と話してみる」



 ロシーナはそれ以上を言葉にできなかった。自分がこれ以上関わることではない。



「……もちろんです」


 下校時刻を告げる鐘の音が、会話を終わらせる合図のようだった。






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