第二十四話 食い違う痕跡
温室の中では、教員や警備の人間たちが後片付けに追われていた。散乱したガラス片や紙を拾い集め、箱に詰めては外へと運び出していく。靴底で細かな破片が擦れる音が、途切れることなく響いていた。
荒らされたのは、あくまで一部だけだ。
「やられたのはふたりの私物だけ、みたいだね?」
「ああ。それと……蒼玄草がない」
「……そう」
ひとまとめに置かれた実験器具には、無数の傷が走っている。だが、それ以外は奇妙なほど整っていた。
「卑劣な行為だ」
「……二人の、様子は?」
「シュミット嬢は、お前のことを気にかけていたぞ」
ヴィクターの脳裏に、マリーの怒った顔が浮かぶ。
「……パイ、また作ってくれるかなあ」
「知るか」
「ふふ。犯人、早く見つけなきゃね」
「どう思う」
「ん?」
「嫌がらせ、だと思うか」
運び出されて行った箱の中には、中身の綿が飛び出したクッションが含まれていた。
「他にある? 彼女たちが狙われる理由なんて。君か、僕か、もしくは両方か」
「……気は配っていたつもりだが」
「どうしても目立っちゃうんだよねえ」
温室内を見渡していたユリウスは、妙だ、と思った。
整然と並ぶ棚と鉢。そこには“荒らされた痕跡”がほとんど残っていない。
「温室内にもともとあったものは、手付かずのままだ」
「だから、それはふたりの私物じゃなかったから……」
ヴィクターの言葉に、ユリウスが重ねる。
「蒼玄草は?」
「……あ、そうか」
裏手に回り、わざわざ掘り返されている。
温室内の手入れされた植物たちには、手がつけられていないのに。
「カッセル嬢が調べるまで、ただの雑草扱いだったはずだ」
ロシーナによれば、知っていたのは、せいぜい庭師の老人くらいだった。
「僕たちが参加しちゃったからね。つまり、誰かに見られてたってことだろ」
確かに温室も、その裏手も、図書室も、出入りは自由だった。
「もし嫌がらせがロシーナちゃんに対してだとすると……」
「蒼玄草を調査していた彼女にとって、効果的な痛手か」
「そういうこと。令嬢同士の揉め事って、案外こういう回りくどいことするし」
ユリウスは即座には反応しなかった。
「……だが、腑に落ちないことがもうひとつある」
壊されていたものと、されていないもの。
その差は、あまりにも明確だった。
「ここは破壊されていた。だが蒼玄草は違う」
踏みつけられた痕跡も、切断された跡もない。
「持ち去られている」
その結論に、ヴィクターは肩をすくめてみせた。
「たまたまじゃない?」
「いや」
違和感の正体はこれだった。
「同じ人間が、同じ目的で動いたとは思えない」
荒らす行為と、持ち去る行為。
そこに一貫性がない。
「──温室を荒らした者と、蒼玄草を持ち去った者は別だ」
夜風が吹き抜け、木々がかすかに鳴る。
「……随分、はっきり言うね」
「ヴィクター。お前、昨夜、どこにいた」
「ん?」
「その頬の傷は?」
間髪入れない追及に、ヴィクターはわざとらしく笑ってみせた。
「なになに。僕のこと、疑ってる?」
「答えろ」
わずかな沈黙のあと、ヴィクターが肩を落とした。
「ちゃんと家にいたよ」
「頬は」
「……親父にやられただけさ」
「サヴァラン侯爵か」
「……まあ、そういうこと」
それ以上は、話すつもりがないらしい。
「……さむ。そろそろ戻らない?」
くしゃみをひとつして、ヴィクターは話を切る。
ユリウスも短く頷いた。
二人は温室を後にした。
だが──。
「ヴィクター」
数歩進んだところで、ユリウスが足を止めた。
「先ほどの発言だが」
ゆっくりと振り返る。
「……なぜ、令嬢だと分かる」
ユリウスの言葉に、ヴィクターは意表を突かれたように目を瞬かせた。
「そんなこと言ったっけ」
「ああ。言ったな」
その顔から、いつもの笑みが消える。
「ヴィクター。お前は何を知ってる」
風が通り抜けるたび、夜の気配が少しずつ濃くなる。
「深い意味はないよ。ロシーナちゃんに嫉妬した誰かの仕業なら、そういう層がやりそうだなって思っただけ」
「推測か」
「そう。感情が絡むと、案外単純な手口になるからね」
ユリウスは、その言葉を飲み込むように沈黙した。
「……そうか」
それ以上、ユリウスは何も聞かなかった。
ヴィクターも何も言わない。
二人はそのまま歩き出した。
ユリウスが公爵家の馬車に乗り込むのを見送ったあと、ヴィクターは小さく息を吐いた。
“令嬢”。
あれは、迂闊だった。
さっきのやり取りが、頭の端に残っていた。
脳裏に昨夜の影がよぎる。
小柄な背丈。
揺れたスカートの裾。
余計なことを口にした。
「……そりゃ親父に殴られるはずだ」
ヴィクターがまだ少し痛む左頬をさする。
意外なほど、ユリウスは追及しなかった。
「……いや、その方がいい」
もう、手は離れたはずだ。
こんなに面倒なことになるなら、もっと早くにそうするべきだった。
満月の下、ゆっくりとした歩みで自邸に戻る。
途中後方に、今回の罰として父が差配したのだろう、影がふたつ動いたのが見えた。




