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土を読む男爵令嬢のせいで、公爵令息は完璧ではいられない──我が家が国家機密だなんて知りませんでした  作者: 中田かすり


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第十三話 逃げ場が、ない



 正午を知らせる鐘が鳴り、講義が終わる。

 ヴィクターは軽く伸びをすると、そのまま廊下へ出た。


 今朝のやり取りを思い出しながら、ユリウスを探すためにいつもの場所へと足を向ける。



 だが──



「……あれ?」



 カフェテリアには、見慣れた姿がなかった。

 代わりに、取り巻きの令嬢たちが落ち着かない様子で周囲を見回している。



「ユリウス様……?」



「それが、どちらへ行かれたのか……」



 口々にそう言うが、要領を得ない。

 ヴィクターは小さく息をついた。



(珍しいな)



 あれほど律儀に、同じ時間に同じ場所へ現れる男が。



「……伝えるまでもなかった、か」







 図書室の奥は、昼間だというのにひっそりと静まり返っていた。

 ほとんど人の寄りつかない一角。

 その窓際に、見覚えのある後ろ姿があった。



(……いた)



 足を進めかけて、ふと窓に映り込んだ自分の姿が目に入る。

 鐘の音とともに教室を後にし、人の流れを避けながら遠回りをして、ここまで来た。



──乱れている。



 わずかに眉を寄せ、小さく息をつく。

 指先で軽く髪を撫でつけ、何事もなかったかのように、制服の襟元を整えてから、改めて歩を進めた。



「──カッセル嬢」



 ユリウスの静かな声が、図書室の天井にぶつかり、静寂を震わせた。









 ロシーナは、数冊の植物図鑑を交互に見比べ、小さな溜息をついていた。

 ここ数日、温室にこもりきりだったせいで、図書室に来るのは久しぶりだ。


 蒼玄草について、図書室にある図鑑はひと通りあたってみたが、その正確な開花条件についてはどの本も記述が曖昧だった。



「お手上げだわ。言い伝えしか残っていないなんて……」



 独り言が、埃っぽい空気の中に溶けていく。

 

 その静寂を破るように、不意に声が降ってきた。

 思い出さないように、考えないようにしていたはずの声。



「──カッセル嬢」



 恐る恐る振り返れば、そこには整いすぎた容貌に、どこか切実さを滲ませた表情で、ユリウスが立っていた。



「……やはり、ここか。君は本当に、探すと一向に見つからないな」



 低く落ちた声に、ロシーナの肩がびくりと揺れた。



「も、申し訳ありません」



 思わず頭を下げると、ユリウスは目元を和らげた。



「いや、いい。君が謝ることではない……それより──」



 言いかけて、机の上に広げられた図鑑へと視線を落とした。



「昼食もとらずに……今回は土ではなく、植物か?」



「あ、あの。気になることがありまして……」



 言いながら、ロシーナは手元の本をそっと閉じる。

 逃げ場を探すように、指先が落ち着きなく紙の端をなぞった。



「君らしいな。しかし、食事はとった方がいい」



 一瞬ためらったあと、ユリウスは一歩だけ距離を詰める。



「……もし、良ければ。私と一緒にどうだろう」



「えっ!あ、あの……私、その……そう、マリーが……!」



 顔を上げた拍子に視線がぶつかり、慌てて逸らす。



「マリー」



 短く繰り返されて、余計に焦りが募った。



「あ、いえ。ゆ、友人が……私のために、いつも手作りのパイを焼いてくれているので、その……」



「手作りのパイ」



 その言葉に、ほんのわずかにユリウスの眉が動いた。







 放課後の温室は、昼間とは違う静けさに包まれていた。



「あ、あの……どうしても、お断りしきれなくて……」



 申し訳なさそうに肩を縮めるロシーナの横には、温室の中を興味深そうに眺めるユリウスと、にこにことマリーに笑いかけるヴィクターの姿があった。



「だからって、どうしてこうなるのよ!」



 マリーの淑女らしからぬ声が温室内でこだました。

 ロシーナは肩をすくめたまま、居心地の悪そうに視線をさまよわせる。



「突然すまない。ユリウス・フォン・ランベルトだ。カッセル嬢の話をしたら……この有様だ」



「あ、いえ……マリー・シュミットと申します。ランベルト侯爵令息様におかれましては、ご機嫌麗しゅう……」



「畏まらないでくれ。ランベルトでいい」



「は、はい……」



 マリーの声がだんだん小さくなるのを、ヴィクターはくすくすと喉を鳴らしながら見ていた。



「いやあ、面白いことになっているじゃないか。シュミット嬢の手作りパイ、楽しみだなあ」



「ちっとも面白くありませんわっ!」



 ぴしゃりと言い返すマリーに、ヴィクターはまるで意に介した様子もなく微笑む。


 一方でユリウスは、二人のやり取りには口を挟まず、静かに温室の中を見回していた。


 整然と並べられた鉢植え、湿った土の匂い、ガラス越しの淡い光。

 机代わりに使われている一枚板には、複数の試験管や計算機、雑然と散らばったノートの切れ端。


 ユリウスは室内を一瞥したあと、机の上に置かれた包みに目を留めた。



「それが、例のパイか」



「え、あ……はい。マリーが……」



「へえ、それがそうか」



 いつの間にか覗き込んでいたヴィクターが、楽しげに身を乗り出す。



「……ちょっと、勝手に触らないでくださる?」



 マリーが一歩踏み出し、ぴたりと牽制する。



「君、今朝と態度が違いすぎないかい」



 ヴィクターが揶揄うようにマリーを見やる。



「あら。そうですわね。取り繕っても無駄だということがわかったからかしら」



 マリーも負けじとヴィクターと向かい合う。

 その間に挟まれる形になったロシーナは、ますます小さくなった。



(この状況は、なに……?)



 昼間の図書室でのやり取りが、遠い出来事のように思える。

 静かだったはずの温室は、今や妙に落ち着かない空気に満ちていた。




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