第九話
「えっ、僕たち、お菓子も食べないじゃないか。何だよこれ?」
「これを見て、やり方を覚えておくように」
そう言って、動画を開いたスマホを机の上に置いた。
僕は真剣に見始めたが、数秒もしないうちに「うわぁっ」と声を上げた。
「なっ、なんだこれは……なんで、どうして、僕に?」
顔が一気に熱くなるのがわかった。
思わず視線を逸らしたが、画面の内容が頭から離れない。
スマホを投げ捨てるわけにもいかず、うろたえるしかなかった。
動画の音声だけが、淡々と先へ進んでいく。
「そろそろ必要だと思ったからさ」
「ええっ、どっ、どういうことだよ」
僕は、動揺を抑えきれなかった。
「好きなんだろ、まなのこと」
その一言で、心臓が跳ね上がった。
「なんだよ、急に、選挙もまだあと2日残っているし、それどころじゃないだろ」
「選挙が終わる前に渡しておかないと、間に合わなかったらいけないからな」
まなと、これを……?
頭に浮かんだ映像を振り払った。
「まだつきあってもないんだぞ」
「いつ何が起こるかわからないのが、男と女。準備は大切だぞ」
「はぁ……」
準備は大切か……
僕は観念して、続きを見始めた。アニメがなかなかリアルだったこともあり、思わず生唾を飲み込んだ。
最後まで見終わるころには、さっきまでの動揺が嘘のように、頭が妙に冷えていた。
(いったいこれは、何のために開発されたものなんだ……?)
机の上にスマホを置いて、僕はシュリに話した。
「もしかして、出生率の低下は、これのせいじゃないのか?」
シュリは、咳ばらいをして
「シンジュ、このことは、絶対に人前で話すなよ、女性票がゼロになるぞ」
「どうして?」
「1950年代に避妊具が登場してから、確かに出生率が劇的に低下したんだ。政府が主導して、子どもを減らしていたんだよ」
「少子化が問題で税金を投入して対策をしているけど、そもそも政府が少子化を率先してやっていたというのか?」
「まあ、そうなんだよ。でもな、それで女性は助かっている側面があるんだ。もし、避妊具が禁止になったら、望まない妊娠も増える。お産は女性にとって命がけなんだ。産まない権利を守るために、これは必要なことなんだ」
「原因がわかっても対処できないわけか……」
「特に、シンジュは、まだ結婚もしていないんだから、子どもができたら困るだろう?」
「僕は、困らないよ」
「おいおい、その発言も、女性票がゼロになるぞ。女性の立場に立って、物事を考えるんだ。女性目線で、政策を訴えることが大切なんだ」
「そうか、まなは、まだ大学生だし、自分の進みたい道を目指している途中だからな。軽々しいことを言ってはいけないな。今後は気を付けるよ」
「もう一つ、女性票を失うものを伝えておくよ」
「何?」
「女性スキャンダルだ」
僕には縁遠い話だと鼻で笑った。
「僕は、大丈夫だよ」
「石山真治、女子大生と腕組み、夜の街へ」
「なんだよそれ」
「週刊誌の見出しさ。あり得る話だということだよ」
「それじゃ、まなと付き合うなんて無理じゃないか」
「まあ、よく考えて上手く付き合うことだな」
選挙最終日、午後七時、明治神宮外苑には、一万人を超える人が集まった。
最高の盛り上がりの中、十二日間の選挙戦は幕を閉じた。
僕たちは、選挙カーに乗って、選挙事務所に戻った。
「明日、また午後から準備をすることにして、今日は各自家に帰って休みましょう。お疲れさまでした」
僕は、スタッフに労いの声をかけた。
帰ろうとしているまなを呼び止めて声をかけた。
「明日また、ここで会おう。まな、本当にありがとう、お疲れ様」
彼女は、微笑んで事務所を後にした。
翌日の事務所。
「今日は、何時になるかわからないから、各自、休憩と食事は十分にとっておくようにお願いします」
シュリは、スタッフにそう声をかけた。
僕は、準備が整ったところで、一度家に戻り、仮眠をとることにした。
ソファーにもたれかかり、目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、まなが一生懸命に支援を呼びかけている姿だった。束ねた髪が、何度も右に左にと揺れ動く。白い肌は、連日の街宣で日に焼け、赤みを帯びていた。僕は、何度その肌に触れたいと思ったか……
車の中で隣に座ったとき、触れ合った体の一部から、彼女の全てが、僕の中に入り込んだかのように感じたあの時、このまま、時が止まってしまえばと何度思ったことか……
でも同時に脳裏によぎるのは、僕は、彼女に受け入れてもらえるのかということだった。いや、このまま、宇宙人だという事実を隠し通せるのかということだった。
夜七時、事務所には、支援者が集まり始めた。メディア十社はスタンバイが完了していた。僕も各テレビ局のイヤフォンとマイクの確認を終え、準備を整えていた。
午後八時、会場内のテレビは、ゼロ打ちで当確が出され始めた。
ネットの情報は、シュリが逐一報告をしてくれた。
夜九時を過ぎたころ、会場内がざわついた。ネット情報をいち早く検索した支援者が、「東京七区、当確! 当確が出ました!」と大きな声を上げた。
シュリもガッツポーズをして、僕に合図をくれた。
テレビ画面でも、当確が出たのを確認して、僕はようやく安堵した。
各テレビ局の中継のインタビューを終え、片づけに入れたのは、午後十一時だった。
「シンジュ、これ、さっきまなさんが渡してくれと持ってきたんだ。彼女は、明日、実家に帰省するから、もう帰らなければならないと言っていたぞ」
「そうなのか……」
僕は、一気に力が抜けた。当選したら、覚悟を決めようと思っていたからだ。
彼女の手紙を持って、僕は一人家に戻った。
『石山真治様
ご当選おめでとうございます。一年前のあの日、あなたに出会えたことで、私は、本当に救われました。いつか恩返しできたらと思っていましたが、こんな私でもお役に立てたでしょうか?
十二日間、本当に楽しかったです。真治さんの隣にいられたことを誇りに、これからも頑張ります。真治さんは、これからは、日本のたくさんの人を救ってくださいね。ありがとうございました。戸川まな』
まな、役にたっただと? そうじゃない、まなは、僕にとってなくてはならない存在なんだ。役に立つとか、効率的なことを要求したわけじゃないんだ。僕の側にいてくれたことが、どんなに支えになったか、どんなに励ましになったか、どんなに力になったか……
まなは、僕にとってかけがえのない存在だ。
まな……
まなは、違うのか? 本当に、恩返しだけなのか?
違うだろ、あの時の握手、体が触れ合ったときの感覚は、僕だけが感じていたわけではないはずだ。君の微かな振動、高揚を、僕は、はっきりと感じ取っていた。
まな、本当に君の想いは、僕のその想いとは違うのか?
僕は、手紙を床に放り投げて、頭を抱え込んだ。
臨時国会が召集され、僕は慌ただしい日々を送っていた。
シュリは、公設第一秘書として、全てを回してくれていた。
「清田さん、一人で大丈夫ですか?」
そう聞いてきたのは、同期初当選の上島優太郎だった。
「上島先生のところは、何人ですか?」
「第一秘書、第二秘書、それに私設秘書が二人」
「えっ、もうそんなに?」
「党に相談すれば、いい秘書を探してくれますよ。石山先生、清田さん一人に仕事を押し付けたらダメですよ」
そう言って、彼は部屋を出て行った。
「シュリ、秘書をもう一人探そうか?」
「いいえ、不要です」
「政策担当秘書とか必要ないのか?」
「はい、衆議院法制局がちゃんとあるので、立案は出せますから心配不要です」
「あと二人雇えるのに」
「税金の無駄遣いはやめましょう」
税金の無駄遣いか、シュリらしいな……
「まあ、シュリの仕事が大変になったら、いつでも言ってくれよ」
議員会館の部屋は、僕とシュリの二人だけで、広々と使用できた。でもちょっと寂しいくらいだった。
僕は、公約に掲げた外国人問題を前に進めるため、党の特別委員会にすぐ働きかけた。
会議は、まともに議論などできなかった。人の話を聞いていないのか、わざと話をずらす者ばかりだ。 この国の人たちは、議論の仕方を知らないのか? 今まで何を学んできたというのだ。
「ダメだ、全く話にならない」
議員会館に戻り、僕はドアを勢いよく閉めた。
「どうした? 今日は、いつもになく怒っているな」
「僕はね、たった二年で日本語をマスターしたんだよ。六十年、七十年住んでいる人と日本語で話し合えないって、どういうことなんだよ」
「わかるよ、これ、読むかい?」
そう言って、シュリが出してきた本は『どうして話が通じないのか?』というタイトルの本だった。
「読んでいる暇はないよ、要約して説明してくれないか」
「まず、人それぞれ経験が違う。だから同じ言葉でも解釈がズレる。――それで“わかったつもり”になる」「それから、人は興味のないことはすぐ忘れる」
僕は腕を組み、鼻息を荒げたまま聞いていた。
「興味のないことは忘れる? 特別委員会で興味のある者が集まっているはずだろう、どういうことなんだ!」
「興味があるふりをしているだけかもしれないな」
「あいつらっ! しばらく、部屋にこもる。誰も通さないでくれ」
僕は、もう本当に腹が立っていた。何度も何度も説明し、この衆議院選挙で、大敗したのは、外国人問題の方向性が違ったからだ。
それなのに、なぜわからない。
あの人たちの前に広げられた、双六ゲームには、振り出しに戻るというコマしかないのか。
全く!
毎日更新予定




