第八話
5分もしないうちに、シュリはタオルで髪をふきながらシャワールームから出てきた。
視線が合った瞬間、何かを切り出すつもりだと、シュリにはすぐに伝わったらしい。
わずかに口元を緩めた。
僕は、待ってましたとばかりに話し始めた。
「シュリ、さっき考えたんだけどさ、外国人労働者を雇い入れている企業に対して、課税強化すると言うのはどうだろう?」
「なかなか、反感を買いそうだな」
「ダメかな?」
「そのくらいしないと、移民の増加を止められそうにないな。ただし、これは、国会議員になってから発表するのが得策だな」
僕は頷きながら、ソファーに置いた上着を片づけようとそれを持ち上げた時、髪飾りの入った袋が、ガサッと音を立てた。部屋に行き、ポケットから包みを取り出した。袋から髪飾りを取り出して、僕は思わず吹き出した。
『まなに会えるかどうかも分からないのに、こんなもの買ってどうするつもりなんだ。バカなことしてるよ、ほんとどうかしていたよ』
髪飾りは、チェストの上に無造作に置いて、シャワールームへ急いだ。
衆議院の任期満了まで残り半年。
内閣の支持率は、治安悪化や社会保険料の高騰で低下し続けていた。一方、先の参議院選挙で躍進した野党第二党は、メディアへの露出が増え、増々支持率を高めていた。
僕は、新たなオファーをもらっていた。
それは、オールドメディアのお昼のワイドショーのコメンテーターだった。
僕自身は、あまり乗り気ではなかったが、シュリがとっとと快諾していたのだ。
週一回、二時間ほどのスタジオは、芸能ニュースなどがほとんどで、政治について語る場面は、ほとんどなく、本領発揮できないままだったが、SNSでは、出演の度にトレンドに上がっていた。
七月中旬、突如として、衆議院解散が番組内のニュース速報で流れた。
この放送を機に番組出演を辞退し、衆議院選挙の準備に入ったのだ。
八月八日、衆議院解散。
あの郵政解散と同じ日の解散となった。
八月十五日、港区の選挙事務所からほど近い場所で、ボランティア説明会が開催された。
500人を超える応募者は、会場からあふれ出し、急遽、二回に分けて説明を行うことになった。
八月二十七日公示日、選挙事務所
僕は、朝早くから出陣式に向けて準備をしていた。
「あの、すみません。ボランティアは、まだ受け付けられていますか?」
パーテーションの向こうから、女性の声が聞こえてきた。
「えっと、ボランティアの説明会は終わっているので、今回はもう……」
スタッフが断ろうとしていたので、僕は慌てて出て行った。
一票でも多くの票を逃すまいと思ったからだ。
「まだ、大丈夫ですよ。何をしてもらおうかな?」
そう言いながら顔を上げた、その瞬間だった。
「シンジュ!」
名前を呼ばれた。
その呼び方に、胸の奥がわずかに引っかかる。
懐かしい――だが、すぐには結びつかない。
次の瞬間、彼女は迷いなく距離を詰め、僕に抱き着いた。
一瞬で、ボディーガードが間に割って入る。
けれど、僕はその腕を制した。
この呼び方をするのは、地球では一人しかいない。
いや、もう一人いた。
記憶の奥で、あの時の表情と声が重なる。
「……まな、なのか?」
恐る恐る問いかけると、彼女は少しだけ照れたように笑った。
「はい。戸川まなです。あの時、お会いした」
その笑い方で、ようやく確信した。
一年前の彼女とは、まるで別人のように垢抜け、都会の女性の姿に変貌していた。
けれど、その奥にある面影は、確かに同じだった。
「はい、戸川まなです。あの時お会いした」
一年前の彼女とは、まるで別人のように垢抜け、都会の女性の姿に変貌していた。
「まな、どうしてここに?」
「私、大学に合格して、今東京に住んでいるんです。もし、選挙があるなら、今度は私が助けたいと思って」
「覚えていてくれたんだね。本当にありがとう」
そう言って、彼女の手を優しく両手で包み込んだ。
抱きついてきたときの大胆さとは裏腹に、彼女は急に恥ずかしくなったのか、少しはにかんで手を放そうとした。僕はさらにぎゅっと握った。彼女の高揚感が、僕に伝わってきて、僕まで心が躍動してきていた。いや、そうではない――これは彼女を待ち望んでいた僕自身の高揚感だ。
「私、何でもやります。お手伝いさせてください!」
彼女は、僕の目をまっすぐに見て、そう言った。
「何ができる?」
「ウグイスもできます! 大学でアナウンサーのサークルに入っているんです」
彼女の瞳はキラキラと輝いて見えた。
「へー、すごいじゃないか」
するとシュリが、急にやってきて二枚の原稿を彼女に渡した。
「出陣式の原稿なんだけど、司会をやってみないか?」
「いいんですか?」
「私は、その間に他の仕事ができるから、司会を彼女に任せたいんだが、シンジュ、かまわないだろ?」
「あっ、ああ、もちろんだよ」
「ありがとうございます。頑張ります」
彼女は勢いよくお辞儀をして、僕を見て微笑んだ。
「ここで、ちょっと練習しておいて」
彼女に椅子を勧めて、僕はパーテーションの奥へ行き、打ち合わせの準備を再開した。
僕の心臓は、まだ興奮していつもより早く大きく鼓動していた。
『まなに会えた』何度も何度も会いたいと願っていた、あのまなに会えたんだ。
まなは、大学生になって、以前よりも増して本当に美しかった。抱き着かれたときに、彼女のシャンプーの微かな香りが心地よかった。
僕は平静を保てるだろうか……
二時間後、出陣式が始まった。
「本日は、早朝より、石山真治の出陣式にお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。司会を務めます、戸川まなと申します。よろしくお願いします。初めに、後援会を代表しまして、後援会長の山本より、ご挨拶申し上げます」
「いい声だな」
シュリは僕の隣で、小声でつぶやいた。
僕も、彼女の声に聞き惚れていた。
「いよいよ、衆議院選挙に挑みます、石山真治より、皆様へ熱き決意を表明させていただきます」
会場は、彼女の美しさと司会の流暢さに引き込まれていた。
「シンジュ、彼女に飲み込まれるなよ」
シュリは、真正面を見ながら、小声で僕に言った。
彼女が、僕に登壇するよう目くばせをしたので、僕は、周りの方々に頭を下げてマイクの前に立った。
「本日はお忙しい中、またこのように早朝から、私の出陣式にこれほど多くの方々にお集まりいただき、心より感謝申し上げます。
いよいよ、この日がやってまいりました。私はこれまでの活動を通じ、皆様から『今のままではいけない』『もっとこの国を良くしてほしい』という切実な声をたくさん頂戴してまいりました。
私は、日本の今、現在と未来の皆さんの暮らしを守るために、何としても、危機的状況にある外国人問題をまずは解決したい、そして、腐敗した政治を中から変えていくこと。その一心で本日、この場に立っております。
支援者の方々の中には、何故与党から出馬したんだという声が上がるかもしれません。人気が落ちた与党では人が離れていく、そう思われるかもしれません。しかし、与党でなければ、変えられないのも事実です。私は、必ずや変えて見せます。どうかご期待下さい。
これから十二日間、非常に厳しい戦いが予想されます。しかし、私は皆様の熱いご期待を背負い、最後の一分一秒まで、全力を尽くして走り抜く所存です。
どうか皆様、私、石山真治を、最後の最後まで押し上げていただけますよう、伏してお願い申し上げます! 本日は誠にありがとうございました!」
僕は、いつもになく、声に揺らぎを感じていた。緊張して声が震えていたわけではないが、会場には、緊張しているように伝わってしまったのか、挨拶が終わった一瞬、静寂が広がった。
「ありがとうございました。石山に盛大な拍手をお願いします」
まなのアナウンスと共に、今日一番の盛大な拍手が、会場を覆いつくした。
「シンジュ、今までになく、いい挨拶だったよ。心が震えたぞ」
シュリはそう言って、僕の背中を叩いた。
「まな、街宣車に乗るぞ、準備しろ」
まなにそう声をかけ、シュリを見た。僕の独断だったので少し心配だったが、シュリが頷いたのを確認して、迷いが消えた。
まなという大きな武器を手に入れた。この戦いは――『勝てる』そう確信したのだ。
まなの街宣での呼びかけは、皆の心を揺さぶる響きがあった。通行人の多くが、足を止めて話に聞き入った。
僕は、まなの影響を受けて、いつもよりも情熱的に、そして多くの人の心を揺さぶった。SNSでは、僕の演説と共に、まなの映像が再生回数を伸ばしていた。そして、僕たちの街宣は、日を追うごとに多くの人が集まり、ムーブメントとなっていった。
僕と彼女は、数日しか過ごしていないのに、まるで前世から今までを共に過ごして来たかのように呼吸が合っていた。
移動の車の中でも、自然と隣に座るようになっていた。
カーブのたびに、太ももが触れ合う。
最初は偶然だったはずなのに、いつしか、どちらからともなく避けなくなっていた。
触れていることが、むしろ心地よかった。
言葉を交わさなくても、何かが通い合っているような、そんな錯覚すら覚える。
それはまるで、お互いのエネルギーを同化させているかのようだった。
選挙は、後半戦に入っていた。メディアの情勢調査では、与党と野党が半数で拮抗していた。与党にとっては、かなり苦しい戦いだった。僕は、これまでのメディア戦略のお陰で、多少知名度があり、一歩リードしていた。
街宣終了後の港区の自宅マンション
「あー、疲れたー」
僕は、ソファーに倒れこんだ。
「シンジュ、これ」
シュリは、チョコレートが入っているような箱を差し出してきた。
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