第二十四話
東京上空
彼女は、カバンから一冊の小さな本を出した。それは、アルバムのような作りで、プラスチックケースの中に入っていた。彼女はその本を開いて僕に見せた。その中は、紙が切り抜かれ、鍵と印鑑が入っていた。最後のページに家の写真と住所が書かれていた。
「これは、清田さんが会社を整理して私のために家を用意してくれていたんです。シンジュにもしものことがあったら、日本に帰ってここで暮らせるようにって」
「シュリが……」
僕たちは、宇宙船から降りて、この家に向かった。
数年前に新築で購入した物件は、今もまだ新しい状態を保っていた。
玄関を開けた瞬間、誰もいないはずの空間に、わずかな生活の匂いが残っている気がした。
――ここで、まなが生きるはずだった。
階段を上がりリビングに入った。すぐに住めるように、机もソファーも全て揃っていた。二階にはお風呂と台所、三階には、トイレと部屋が2つあり、屋上にはバルコニーも設置されていた。
僕たちは、一通り部屋を確認したところで、リビングのソファーに座った。
言葉が出なかった。
さっきまで、どうやって逃げるかしか考えていなかったのに、こうして座ってしまうと、自分たちがどこにたどり着いたのか、急に分からなくなった。
ふと、ソファーの横に目をやると、プラーナ生成器まで準備されていた。
部屋の数やプラーナ生成器まであるというのは、まなのためだけに準備したとは思えなかった。シュリは、僕がまた日本に来ることも想定していたのかもしれない。
「まずは、金庫を確認しろと言われていたの」
「金庫? どこにあるんだ?」
「一階かしら?」
「そういえば、一階の確認をしてなかったな」
僕たちは、一階に降りて、階段の奥の扉を開けた。ここにも六畳ほどの部屋があった。クローゼットを開けると一人暮らし用の冷蔵庫程度の金庫が設置されていた。
扉を開くと、そこには金のインゴットが十本、通帳が三冊、そして、資料が束になって入っていた。
ここまで用意していたのか――。
彼女は、資料を持ち出し床に広げた。
僕は、すぐには中身に手を伸ばせなかった。
守られていたのは、ずっと僕たちの方だったのかもしれない。
「清田さんが、金庫に入れるくらいだから大切な書類だと思う」
そう言って、彼女は読み始めた。
僕は、とりあえず通帳三冊に目を通した。
三冊とも一千万円を超える残高と、定期預金がそれぞれ一千万円ずつ入っていた。メモ書きには、固定資産税引き落とし口座。公共料金引き落とし口座と書かれていた。
「シンジュ、これって、本当ならすごいネタよ」
彼女は、僕にその資料を見せてきた。
シュリは、どうやってこれを突き止めたというのだ、僕は首をかしげるしかなかった。
「ねえ、どうして清田さんは、こんなにもあなたのために動けるの?」
「それは、たぶん幼いころのことをずっと思っているのかもな」
「何があったの?」
「僕とシュリは幼馴染で、一緒に学校に通っていたんだけど、彼は本当に頭が良くて、学習もどんどん進んでいって、十歳くらい上の人たちと学んでいることもあったんだ。同じ年の者たちとはレベルが違うと言って、付き合わなくなっていった。ところが、ある日、年上の子たちが、シュリのことを生意気だと言って、池に突き落としたんだ。シュリはまだその頃は泳げなくて、おぼれそうになっていたのを僕が助けた。その後僕は、親や警察にも通報したんだよ。単なるいじめで片づけなかった。ルールが甘いなら、ルールを変えさせることを要求したんだ。それから、シュリと僕は親友として付き合うようになったということなんだ」
あのときの水の冷たさを、今でも思い出せる。
けれど、それ以上に覚えているのは、必死に僕の名前を呼ぶシュリの声だった。
「命の恩人ということなのね」
「それもあるけど、あまりに頭が良すぎて、僕以外に友達ができなかっただけだよ」
「それって、シンジュも頭が良かったってこと?」
「まあな」
まなは、鼻で笑った。
「信じないのか?」
「信じるわ」
そう言いながら、彼女はクスクス笑い続けていた。
「まあ、嘘はバレるか。シュリのあの仕事ぶりを見て、僕たちが相手にされるわけないよな」
「確かに。本当なら清田さんが全部一人でできるのに、それでは私たちのためにならないから、仕事を与えてもらっていたというのが、正しいかもしれないわね」
「でもな、まなのことは、すごく認めていたんだよ」
「そうなの?」
「まなが初めて選挙事務所で司会をした時、シュリは、僕にこう言ったんだ。『いい声だな、飲み込まれるなよ』ってな」
「えっ、そうだったの?」
「まなの圧倒的なカリスマ性をシュリは認めていたんだ」
「カリスマ性だなんて……」
「今回のデモの時にも気づいただろう?」
「不思議ね、オーディションに落ちた私の歌が、あんなにも人の心を動かせるなんて」
「オーディションの選考委員がアホなんだよ、まなの凄さに気づけなかっただけだ」
「清田さんは、シンジュのことも認めてたと思うよ」
「そうか? シュリは、面白がっていただけだよ」
「そんなことないと思う。私がインターンで入っていた時、清田さんは、シンジュのことは、信頼して任せているから大丈夫なんだって」
「えっ、本当に? そんな感じではなかった気がしたけどな」
「清田さん、裁判で無罪になるかしら……」
「大丈夫、あれだけやったし、多くの人が真実を知ったんだ。もし、実刑になるようなことがあったとしても、もう皆の力で異議を唱えることができるさ」
「そうね……」
僕たちが、彼の裁判結果を知るのは、半年後のことだった。
「まな、これからどうする?」
僕たちは、金庫の中で光る金のインゴットを見つめた。
それは、未来を選べるということだった。
同時に、もう逃げ場がないということでもあった。
「世界一周旅行にでかけるか?」
まなは首を横に振った。
「会社を立ち上げるか?」
「シンジュには、無理でしょ」
「そんなことは無いと思うぞ」
と言ったものの、まなの言う通りだった。
「だったら…… 愛し合うかい?」
まなは、首を縦に振った。
その言葉を口にした瞬間、自分でも驚くほど怖くなった。
戦うことよりも、守り続けることの方が、ずっと難しい気がしたからだ。
僕は、彼女を抱き寄せて、長いキスを交わした。
彼女の体温が、逃げ場のない現実として伝わってきた。
もう、後戻りはできない。
宇宙船の中での彼女の言葉を思い出していた。
――家族になりたいの、私たちの家族を持ちたいの。
父親になる……
僕にできるだろうか……
それでも――
今度は、守る側でいたいと思った。
毎日更新予定
いよいよ次回は、最終回。
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