第十三話
七月下旬
インターンの受け入れ期間が終了した。
この日は、彼女の発案で、カラオケに行くことになった。
僕とシュリは、もちろん初めての経験だった。前日は、宇宙船の中で、YouTubeを見ながら、なんとかお互い一曲は歌えるように練習をした。
僕は『私は最強』を熱唱した。まなは、この曲の『あなたと、最強』のフレーズの時に、マイクを持ち、僕を指さして一緒に歌い、場を盛り上げた。
シュリは『風のゆくえ』を歌った。
まなは、シュリが選曲したときに、「二人ともAdo?」と呟いていたが、シュリの意外な歌声に驚いていた。
木村君は、他のどの歌にも反応しなかったが、『風のゆくえ』の歌詞を真剣に見ながら、時々、大きく頷いていた。そんな木村君が歌ったのは『情熱の薔薇』だ。まなは、彼に冗談めかして「ねえ、本当はいくつなの?」と聞いていた。
僕は、この歌を初めて聞いたが、モニターに流れる本物の歌手の独特の歌い方と、歌詞の深さが、妙に印象に残った。
――いつまで経っても変わらないそんなものあるだろうか
答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方――
僕は、このフレーズに心がぎゅっと締め付けられるようだった。
カラオケでの半分以上の時間は、まながマイクを握っていた。
まなの歌声は、本当に心を揺さぶる。できれば僕一人のために、アカペラで歌って欲しいと思いながら、彼女の歌う姿を見つめていた。
彼女が歌った『ジュピター』は、遠く離れた美しき星を思い出して郷愁の念に駆られた。
――愛を学ぶために 孤独があるなら
意味のないことなど 起こりはしない――
九月
まなが、インターン終了時に、水生生物研究所の件を提案書にまとめてくれていた。
内容は、メディアを動かし、政治に圧力をかけていくというものだった。政治の中枢にいながら、他の力を使うしかないのも情けない話であるが、この方法が一番政治を動かせるのも事実だった。
各メディアは、農薬や化学肥料の生態系への影響を毎日のように報道するようになったが、農水省は一向に動きがなかった。
十月
ついに僕は、全く動こうとしない政治家、官僚の態度にしびれをきたし、単独記者会見を開いた。カメラの前で、環境省も農水省も危険がある農薬や環境汚染につながる化学物質について、誰も動こうとしないことを訴えた。
『ヨーロッパのように、日本も予防原則主義をとるべきです。国民を守るために私たち、国会議員や、官僚がいるのではないのですか? どこを向いて仕事をしているんだ!』
僕は、そう訴えた。
十一月
ようやく、委員会が立ち上がった。
僕は逐一、その内容をYouTubeで公表し、世論を味方につけていった。
委員会で一切発言しない者や企業を優先するようなものは、すぐに批判の的になった。
十二月
農林水産大臣の女性問題の記事が週刊誌に掲載された。
大臣は自分の私設秘書とホテルでの密会を写真に撮られた他、女子高生とのいかがわしいメールのやりとりが公になった。
大臣更迭の後、大臣は辞職した。
新しくなった大臣の元、ようやく予防原則主義を取り入れる方向でまとまり、化学肥料に関しては、価格も年々上昇しており、使用半減で補助金を出すことが検討された。また、有機農業への転換は、さらに補助金を充実させることで合意に至った。
僕はこの件で、与党内からは煙たがれるようになり、ますます孤立を深めていくことになった。
十二月二十四日、クリスマスイブ。
僕が唯一、孤独の戦いが休戦となり、一時の安らぎを得られるのは、まなと過ごす時間だけになっていた。
この日は、僕たちの初めてのクリスマスイブだ。僕はいつものように、まなにワンコールをした。なかなか返事が来ないので、仕事中も何度もスマホを確認してしまった。もしかすると今日は会えないのかと心配になったが、夕方遅くに、まなからワンコールが届いた。
今日も相変わらず、政務官の仕事は忙しかったが、何とか九時には終わることができた。
十一時、いや、十時半には、まなに会える。僕は急ぎ足で、自宅に向かった。シャワーを済ませ、バスローブ姿のまま、髪の毛を乾かしていたところに、玄関のチャイムが鳴った。
時計を見ると十時二十分、こんな夜中に誰が来たというのか?
もしや、シュリが寂しくなって、うちに来たのか?
のぞき穴から外を確認すると、まなが息を切らしてドアの前に立っていた。
僕は、すぐにドアを開けた。
「ごめん、こんな格好で。すぐに着替えるよ」
まなは、無言で僕に抱き着いてきた。
「どっ、どうした? まな、何かあったのか?」
彼女はいつもの雰囲気ではなかった。
「ううん、何もないよ。ただ、今日は、待てなかったの」
さっき感じた違和感は、ただ待ちきれずに僕の家まで来ただけのことか……
僕は、髪の毛についた雪を払って、彼女をさらに強く抱きしめた。
「寒かっただろ―― ごめんな、いつも遅くなって」
「ううん、どうしても今日が終わるまでに会いたかっただけ。押しかけてきてごめんなさい」
上目遣いに見る彼女に、もう愛おしさが止まらなくなっていた。
「いや、嬉しいよ。そんな風に思っていてくれて」
「シンジュ、これ」
彼女は、僕にプレゼントを差し出した。
「開けてみてもいいかい?」
「もちろん」
彼女のプレゼントは、濃紺のネクタイだった。彼女の地元、岡山で丁寧に作られたものだった。
「このネクタイは、願いが叶うと言われているネクタイなんだって。これをつけたらシンジュも総理大臣にきっとなれるわ」
「願いは、他にも叶うのかな?」
「……叶うよ。きっと、大丈夫」
僕は、その言葉が嬉しくて、彼女にキスをした。
「はい、僕からは、これ」
僕は、彼女にカシミアのマフラーを準備していた。
「うわぁ、きれいな色。つけるのがもったいないわ」
「また買ってあげるから、毎日巻いて、暖かくするんだぞ」
「ありがとう」
僕たちは、残り少ないクリスマスイブの時間を、一分一秒を惜しむかのように愛を確かめ合った。
翌朝、彼女は僕を起こさないまま、家を出て行った。
目が覚めて彼女がいないことに気づいたが、僕は、彼女の残り香の中にもう少しだけ浸っていたかった。シュリには、ベッドの中から、少し遅れることをメールしておいた。
「おはようございます、清田さん。それにしても、今年のクリスマスイブは、男同士で過ごさなくて済んで良かったよ」
「急に、清田さんと呼ぶとは、気持ち悪いな。それで、自慢話ですか?」
「いや、ちょっと嬉しくてさ。でも、まなに大事なものを渡しそびれたんだよな」
「クリスマスプレゼントを渡さなかったのか?」
「いやいや、別に買っておいた髪飾りをね」
「別に買った?」
「二年越しのプレゼントだったんだけどね」
「二年? 付き合い始めたのは、今年なのに?」
「いやね、お恥ずかしながら、二年前にシュリと藤山さんに会いに行った時に、ちょっとお店に寄ったら、まなに似合いそうな髪飾りがあって、つい買ってしまったんだよ。渡す予定もないのにな、バカだろう。それで、今年はようやく渡せると思ったんだけど、今年もやっぱり渡せなかった。ほんとにバカだろう」
「髪飾りをもらえなくて、まなさんは残念でしたね……」
「まあ、いいさ、また近いうちに渡すよ」
「それ、今どこに?」
「ベッドの横のチェストだけど」
「そうですか……」
僕は両手で頬を叩いて気合を入れてから執務室に入った。
年末も政務官の仕事は山のようにあって、まなに会えそうな日は、一日もなかった。
年が明けてすぐに、彼女から一通の手紙が自宅に届いていた。
――石山先生へ
突然のお手紙でごめんなさい。
実は、私、オーストラリアに留学することになったの。イブの日に、頑張って伝えるつもりだったん
だけど、どうしても言い出せなかったの。
この手紙が届くころには、オーストラリアに到着したころだと思う。
しばらく会えないけれど、石山先生の活躍を応援しています。
戸川 まな――
僕は、この手紙を読んで、急いでシュリの宇宙船をリモコンで呼んだ。
だが、いつも現れるはずの宇宙船は現れなかった。彼女にしばらく会えないという事実が僕を不安に追い込んだ。
あの時のまなから感じたいつもと違う雰囲気。あれは、やっぱり気のせいではなかった。
僕は、不安で胸が押しつぶされそうで、一人では耐え難かった。
――宇宙船は現れない。
シュリは、地球にいないのか……きっと美しき星へ戻っているのだろう。彼にも休暇が必要だよな……
僕は、クリスマスイブの夜を思い出しては、胸の奥の痛みに耐えていた。
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